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お寺様には、○○寺があり、門徒の多いお寺には、小寺様があります。
今回は、その前小寺様を勤めたいた方に葬儀司会をさせていただきました。
現在は、在家になるので一般葬として行なわれます。
祭壇も一般用の祭壇を使用しました。
しかし、内容はやはり荼毘式並みに行なわれました。
指名焼香は、喪主、親族、寺家、一般焼香の順にて呼び出し。
荼毘式のような、一般葬なしごとでした。
お寺様との打ち合わせのとき、少し質問をさせていただいた。

Q:小寺様のことは、正式には・・・?
A:寺中(じちゅう)

Q:大りんを鳴らす方
A:助音役(じょりんやく)左相役(さそうやく)

Q:路念仏のとき、ならすリン
A:路念仏の鈴(れい)

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本願寺派

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東本願寺

久しぶりに小さな葬儀社に、呼んで頂きました。

午後一時の葬儀だったので、朝はゆっくりと向かいました。

十時過ぎに当家に到着して打ち合わせ、喪主とは何度か面識があり和んだ雰囲気で打ち合わせができました。

指名焼香は三家族のみ・・

曾孫様三人より、「お別れの言葉」あるということ・・

故人の経歴を紹介したあと、葬儀が始まりました。

読経後、「お別れの言葉」

「曾孫様にあたります、○○君・△△ちゃん・□□ちゃんよりお別れの言葉がございます。」

「△△ちゃんが「おおばぁちゃん、ありがと・・」

○○君の番になると・・・?言葉がでない???

付き添ってくださった母親が一生懸命うながしている。しかしどうしても言葉が出てこない。

母親から合図がありましたので、「○○君は、残念ながら動揺して言葉が出ませんでした。」とアナウンスをかけました。

曾孫は五歳と四歳と三歳の子供たちには少し重荷だったのでしょうか?

 

タモリの手には白紙...あふれる感謝そのままに
タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘していました。


◆タモリ弔辞全文◆

 弔辞

8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

先日、親戚の葬儀がありました。

弟の親戚で、61歳男性 独身 自営業

母親が健在ですが、療養中につき入院しています。姉妹(三人)

長女は、地元に住んでいるが脳梗塞で身体が不自由。

次女・三女は、少し遠方に嫁いでいます。

弟から「喪主を誰にすれば良いか?」と訪ねられました。答えは簡単明瞭、「母親に決まっているだろう。」

「喪主代理を立てれば済むこと。」

結局、次女が代理を努め喪主挨拶もしました。

子供がいないと、兄妹の負担がすごく大きい・・ 

自営業なので、真宗大谷派 東本願寺より弔詞、仕事仲間・友人・同級生と弔辞を賜りました。

祭壇には、鮎釣りが趣味で着ていたジャケットや釣竿が飾られ故人らしい葬儀でした。

問題が一つ出ました。

友人がお骨を分けてほしい・・・「川に散骨をしたいので」

兄妹にとっては、重大なことです。受け入れるか、拒否をするか・・?

今度あって報告をすることにします。

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