和暦と四季

和暦と四季の目次

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五月(皐月)

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八月(葉月)

九月(長月)

十月(神無月)

十一月(霜月)

十二月(師走)

暦の種類

これまで世界各国でさまざまな暦が用いられてきました。
ここでは主な暦の種類「太陰暦」「太陰太陽暦」「太陽暦」について紹介します。

太陰暦

月の満ち欠けを基準にして作られた暦法です。日々変化する月の形は「日にち」を知るには最もわかりやすい方法でした。
太陰暦では、「新月」(あるいは満月)を「一日(ついたち)」とし、ここから一巡して次の新月までを一ヶ月としています。月はおよそ二九.五三日で地球の周りを一周するため、一ヵ月の日数を二十九日もしくは三十日と定め、それを交互に配置して十二ヵ月を一年としました。
しかし太陰暦だと一年の日数は三五四日。実際の一年の日数(約三六五日)より十一日ほど短くなり、三年で約一ヵ月の誤差が生じます。これでは年ごとに月日と季節が変わってしまうため、季節を知る目安になりませんでした。

太陰太陽暦

そこで、太陰暦で生じる季節のズレを解消するために太陽の運行に基づく暦法を取り入れたのが太陰太陽暦です。「日にち」は月の動きで、「季節」については太陽の動きで定めるというもので、太陰暦で生じる約三年で一ヵ月の差は、「閏月」を挿入することで調整しています。

太陽暦

太陽暦は太陽の運行のみに基準を置くもので、現在、もっとも広く使われている暦法です。日本では一八七二年に導入されました。
地球は三六五.二四二二日かけて太陽を一週するため一年を三六五日とし、四年に一度、生じる誤差は、「閏日」を設けて調整しています。

旧暦

「旧暦」とは、日本では一般的に太陽暦(新暦)が導入される以前の暦、つまり中国伝来の「太陰太陽暦」を指します。一八七二年、太陽暦が採用されるまで、千年以上も改良を重ねながら使われてきたものです。

二十四節気と七十二候

旧暦のなかでも、月と関係なく太陽の運行に基づく暦法にあたるが「二十四節気」です。二十四節気は、黄道(地球から見て太陽が移動する天球上の道)を二十四等分したもので、それぞれの間隔を十五日と定めています。当初は「冬至」を起点に分割されていましたが、地球が楕円軌道で動くことから、「春分(黄経0度)」を起点に分割するようになりました。
二十四節気は季節を知るためのものですが、中国の黄河中・下流域の気候を基準にしているため、日本の季節とは異なります。
二十四節気をさらに三等分し、時候の様子を表したものを「七十二候」といいます。これは五日ごとの細かい区切りなので、日本の季節に合うよう何度か改訂されました。

五節句と雑節

「節」とは、季節の変わり目のことで、昔から二十四節気といった暦とは別に、季節を表す目安としてきました。その節目の日を「節日(せきにち)」といい、祝祭を行う日としました。もともと中国から伝わった暦上の風習ですが、正月や氏神様の祭礼、農耕儀礼などの日本古来の年中行事と結びついて現在にいたっています。
節句(節供)にはさまざまな行事がありますが、なかでも代表的な行事は「五節句(五節供)」と呼ばれています。五節句は、「人日(一月七日)」「上巳(三月三日)」「端午(五月五日)」「七夕(七月七日)」「重陽(九月九日)」の五つで、江戸時代には公的な行事・祝日に定められました。
五節句以外には「雑節」と呼ばれるものがあります。「節分」「お彼岸」「八十八夜」などのことで、五節句と同じように、季節を知る基準とされてきました。

節句と季節のズレ

五節句は、現在でも年中行事として祝われています。しかし節句は、もともと季節を知るための目安でもありました。それが新暦となった今でも旧暦の日付で定められているため、一ヵ月ほどのズレが生じ、実際の季節と合わなくなることも多くなっています。
たとえば、別名「桃の節句(節供)」といわれる上巳の頃は、旧暦ではもっと春めいた時期に行われていました。また「七夕」の行われる新暦の七月は、天の川がはっきりと見えません。「菊の節句」と呼ばれる重陽も同様で、九月九日は菊を愛でるには早いといった感があります。
こうしたことから、節句にちなむ祭りは、旧暦に合わせて一ヵ月遅れで行われるところが多いようです。

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