松本竜助さん(元タレント)が脳出血のため死去
1980年代の漫才ブームで活躍した人気コンビ「島田紳助・松本竜介」の松本竜助(本名・松本稔)さんが1日午前5時2分、大阪市内の病院で、高血圧による脳出血のため死去した。49歳だった。元相方の島田紳助(50)とは、以前から50歳になれば漫才をしようと約束。本人も楽しみにしていたが、4月6日の50歳の誕生日を待たずに帰らぬ人となった。同日、都内で会見した紳助は「戦友でした」と涙を流した。
元所属事務所の吉本興業によると、竜助さんは3月31日まで血圧が安定していたが、同日夜に熱が出て心拍数が上がり、けいれんの症状も見られた。1日午前5時過ぎ、医療機器のアラームが鳴ったときには、すでに心肺停止状態だったという。病室で妻の妃加子さんと長女がみとった。
悲劇が襲ったのは3月22日夜だった。竜助さんは大阪市内の勤務先で頭痛を訴えて意識を失い緊急入院したが、重体となった。当初は手を握ると反応がみられていたが、同27日ごろから反応がなくなっていたという。
竜助さんは77年3月に漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」でデビュー。リーゼントにつなぎの衣装、テンポの速いしゃべくりによる「ツッパリ漫才」で一世を風靡(ふうび)。漫才ブームの立役者となった。人気番組「オレたちひょうきん族」ではビートきよし、島田洋八と「うなずきトリオ」を結成。発売したレコード「うなずきマーチ」がヒットした。
85年にコンビを解消してからはVシネマなどに出演していたが徐々に表舞台から遠ざかっていった。96年ごろに吉本興業を離れた後、居酒屋、喫茶店、アダルトビデオ制作会社などを経営したが失敗。約1億3000万円の負債を抱え、98年2月に自己破産。その後は芸能事務所に所属しタレント活動を続ける一方、4年ほど前からは大阪市内の風俗案内店の責任者として働いたりしていた。復帰を夢見て 親しい知人によると、竜助さんはここ数年、ドラマなどの役者業が多かったが「お笑い」に対する熱い思いは変わらず、若手お笑いタレントが出演する番組をすべてチェックし、相方も探すなど、復帰を夢見ていたという。
また、元相方の紳助と「50歳になったら、一緒に漫才を」と約束しており、周囲にもうれしそうに話すなど心待ちにしていたという。しかし、6日の50歳の誕生日を待たずに天国に旅立ってしまった。
◆松本 竜助(まつもと・りゅうすけ)本名・松本稔(みのる)。1956年4月6日、徳島県生まれ。49歳。77年3月に漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」でデビュー。80年の漫才ブームで全国区の人気に。「第15回上方漫才大賞」新人賞(80年)、「第1回花王名人大賞」新人賞(81年)などを受賞。83年の年頭に「竜介」から「竜助」に改名。02年秋、長男・安史さん(24)とのコンビ「松本一家」で「M−1グランプリ」に挑戦したが、予選落ちした。

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