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2006年5月30日(火曜日)

映画監督・今村昌平氏が死去

カテゴリー: - touse @ 23時25分54秒

「にっぽん昆虫記」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「黒い雨」など数々の秀作を残し、カンヌ国際映画祭で2度、最高賞に輝いた映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)氏が、30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため亡くなった。79歳だった。

東京都出身。早稲田大卒業後、1951年に松竹大船撮影所に入社。その後、日活に移って58年に「盗まれた欲情」で監督デビューした。「にあんちゃん」(59年)、「にっぽん昆虫記」(63年)、「赤い殺意」(64年)、「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」(79年)など、バイタリティーあふれる作品を次々と発表。井伏鱒二の小説を原作とした「黒い雨」(89年)では、広島県の山あいの町でひっそりと暮らす被爆者たちを静かなタッチで描き出した。


2006年5月29日(月曜日)

俳優の岡田眞澄さんが死去

カテゴリー: - touse @ 23時45分45秒

二枚目俳優岡田眞澄(おかだ・ますみ)さんが06年29日午前4時5分、食道がんのため都内の病院で亡くなった。72歳だった。岡田さんは昨年6月に食道がんで入院し、摘出手術を受けて8月に退院。9月に仕事復帰したが、直後にリンパ節への転移が判明。家族との時間を過ごしたいとの思いから自宅療養しながら今年3月まで仕事を続け、その後再入院した。

1年に及ぶ闘病生活だった。昨年6月中旬に食道がんと判明し、すぐに都内の病院に入院。約9時間、計79針も縫う摘出手術を受けた。がんを公表したのは手術から1か月後の7月23日で、岡田さんはファクスで「病名に一瞬ドキリとしましたが、発見が早かったことで落ち着いて治療に専念することにいたしました」とコメントした。8月中旬に退院し、9月には68年から司会を務める「ミス・インターナショナル世界大会」のレセプションで復帰。体重は10キロも減ったが「選挙じゃないけれど、当選発表のような気持ち」と手術成功を振り返った。
しかし、直後にリンパ節に転移したことが分かった。そのため、出演予定だった今年1月のミュージカル「グランドホテル」を降板したが、入院することなく、家族や友人との時間を過ごしたいと普段通りの生活を送りながら自宅療養をしていた。日本テレビ系「午後は○○おもいッきりテレビ」は最後となった2月24日まで復帰後も数回出演したが、関係者は「やせていたけれど、スタジオでは元気に声も出ていた」と話す。気丈に3月中旬までテレビ出演を続け、その後再入院した。
岡田さんは画家岡田稔氏とデンマーク人の母親の間にフランスで生まれた。戦後まもなく、実兄の故E・H・エリックさんの芸能界入りをきっかけに、東宝ニューフェイスに合格。ダンディな二枚目俳優として活躍した。特にやさしく出場者をエスコートする「ミス−」の司会はライフワークとし、今年9月も務める予定だったという。
岡田さんは女優藤田みどり(59=94年離婚)との間に俳優岡田真善ら3人の子供をもうけ、再婚した恵子夫人との間に朋峰ちゃんが誕生した時は「愛はバイアグラを超えた」と手放しの喜びようで「成人するまで頑張りたい」と話したが、その願いはかなわなかった。

岡田さんはデビュー当初から「ファンファン」と呼ばれた。これはフランスの俳優ジェラール・フィリップが52年の映画「花咲ける騎士道」で演じた役名から「ファンファン・フィリップ」と呼ばれたことに由来する。53年、東宝ニューフェースとしてデビューした岡田さんは、伝説的美男俳優にあやかり周囲から「ファンファン」と呼ばれるようになった。88年から放送されたフジテレビ「とんねるずのみなさまのおかげです」の人気コーナー「仮面ノリダー」では、世界征服をたくらむファンファン大佐を演じて若い層からも人気を集めた。岡田さんの風ぼうと明るい性格にふさわしい愛称だった。

◆岡田眞澄(おかだ・ますみ)本名同じ。
1933年(昭8)10月22日、フランス生まれ。父は日本人画家でデンマーク人女性との間に生まれる。39年に日本移住。52年に日劇ミュージックホールで初舞台。翌年に東宝ニューフェース、54年に日活入り。映画「太陽の季節」「狂った果実」「幕末太陽伝」や舞台「リア王」「エリザベス」などに出演。プレーボーイとして知られ、60年にパントマイムのヨネヤマ・ママコと2年間の契約結婚を発表し、翌年に破局。72年に女優藤田みどりと再婚するが、3男をもうけて94年に離婚。95年には26歳年下の恵子さんと電撃結婚し、98年に長女が誕生。63歳での快挙に「愛はバイアグラを越えた」と名言を残した。兄はタレントの故E・H・エリックさん。タレント岡田美里はめい。


2006年5月19日(金曜日)

俳優の田村高廣さん急死

カテゴリー: - touse @ 21時50分23秒

映画、ドラマ、舞台に活躍したベテラン俳優田村高廣さんが亡くなったことが06年5月17日、分かった。77歳だった。田村さんは往年の時代劇スター阪東妻三郎を父に持ち、弟の俳優正和(62)亮(59)とともに「田村3兄弟」として親しまれた。この日、都内で通夜が営まれたが、「葬儀後に死亡を公表してほしい」との遺志もあって、身内や関係者だけが列席。静かにしのんでいた。

 突然の死だった。4月初めにクランクインした映画「プルコギ」にも出演し、元気な姿をみせた。同下旬に出演シーンを撮り終えていたが直後に行われた製作発表は欠席していた。

 この日、都内の葬儀場で通夜が営まれたが、親族は一切、取材を受けなかった。死因などは明らかにされていないが、関係者によると、田村さんは「葬儀が終わった後に、死んだことを公表してほしい」との遺志を伝えていたという。身内とごく親しい関係者らだけで、ひっそりと営まれた。

 田村さんはもともと俳優になるつもりはなかった。同大を卒業し貿易会社でサラリーマン生活を送っていたが、53年に当時の大スターだった父阪東妻三郎が急逝。周囲に勧められるままに24歳で俳優デビューした。木下恵介監督の映画「女の園」を皮切りに、勝新太郎とのコンビで人気だった「兵隊やくざ」、鑑真役で中国ロケを敢行した「天平の甍」、海外で多数の賞を受賞した「泥の河」に出演。演技派の俳優として高い評価を受けた。

 ドラマもNHK大河ドラマ「赤穂浪士」「太閤記」「花神」などで重厚な演技をみせ、05年にはNHK朝の連続ドラマ「ファイト」にも出演。舞台も父譲りの「無法松の一生」などに主演した。何回か「2代目阪東妻三郎」襲名の話が持ち上がったが、田村さんは「演技の質が違うし、コピーにはなりたくない」と固辞し続けた。

4人兄弟で、2番目の弟正和、末っ子の亮は俳優として活躍した。90年には日本テレビ「勝海舟」に3兄弟で共演し話題を呼んだ。96年に腰に激痛が走る「すべり症」で入院したこともあったが、酒を控えるなど健康面には気を使っていたという。「不器用で守備範囲の狭い俳優」と自認していたが、91年に紫綬褒章、99年には勲4等旭日小綬章を受章している。

◆田村高廣(たむら・たかひろ)
本名同じ。1928年(昭和3年)8月31日、京都生まれ。大学卒業後、サラリーマン生活を送るが、53年に父の阪東妻三郎が急死。木下恵介監督に勧められ、54年に映画「女の園」でデビュー。繊細な二枚目として人気を得て、56年阪妻追善記念の「京洛五人男」で初時代劇。65年大映「兵隊やくざ」でブルーリボン助演男優賞を受賞。同年NHK大河ドラマ「太閤記」などテレビ出演も多数。67年芸術座「華岡青洲の妻」で初舞台。91年紫綬褒章、99年勲4等旭日小綬章を受章。


2006年5月12日(金曜日)

亀井元農相が死去/自民党衆院議員

カテゴリー: - touse @ 17時41分58秒

自民党衆院議員の亀井善之元農相(70)が12日、東京都内の病院で死去した。

神奈川県伊勢原市に生まれる
市立成瀬小学校、成瀬中学校を卒業
県立湘南高校、慶応義塾大学経済学部卒業
大日本製糖、神糧物産に勤務の後、父・亀井善彰参議院議員秘書
昭和50年 当時革新の牙城である横浜市の市長選挙で飛鳥田一雄市長に挑戦、おしくも苦杯を喫する
ロッキード問題、新自由クラブブーム等の逆風下に、戦後日本の復興、今日の繁栄をなし得たのは保守主義、自民党の政策によるものとの信念の下、自民党の衆議院空白区を解消するため立候補、昭和54年初当選 現在、衆議院議員9回当選
運輸大臣、農林水産大臣(2期)、自民党政務調査会長代理、衆議院議院運営委員長、自民党組織本部長、自民党経理局長、自民党政治制度改革本部長、衆議院運輸委員長、運輸政務次官などを歴任


2006年5月9日(火曜日)

松山恵子さんが死去 「未練の波止場」の歌手

カテゴリー: - touse @ 00時41分26秒

「未練の波止場」などのヒットで知られる演歌歌手の松山恵子(まつやま・けいこ、本名岡崎恒好=おかざき・つねこ)さんが7日午後6時7分、肝臓がんのため埼玉県越谷市の病院で死去した。69歳。愛媛県出身。連絡先は東京都港区芝大門1ノ11ノ9ノ203、恵子プロダクション。
 約10年前にC型肝炎と診断され、その後、肝臓がんを発病。芸能活動の傍ら治療を続けたが、昨年秋に症状が悪化。今年4月の歌番組で闘病中であることを告白していた。
 中学2年で歌唱コンクールに入賞したのを機に1955年デビュー。「未練の波止場」のほか「お別れ公衆電話」などがヒット。NHK紅白歌合戦に8回出演した。庶民派歌手として「お恵ちゃん」のニックネームで親しまれ、ヒット曲「だから云ったじゃないの」(57年)の歌詞に登場する「あんた泣いてんのね」は当時流行語になった。


2006年5月8日(月曜日)

初代「オバQ」曽我町子さん死去

カテゴリー: - touse @ 00時50分27秒

「オバケのQ太郎」の声役で知られた女優の曽我町子さん(そが・まちこ)が7日未明、東京都国立市中の自宅マンションで亡くなった。病死という。68歳だった。東京都出身。曽我さんは1人暮らしで、同日昼ごろ、知人が訪ねて亡くなっているのを見つけた。
 1961年にNHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」で声優デビュー。「オバケのQ太郎」の初代声優として有名で、盆踊りなどで使われている「オバQ音頭」も大ヒットした。女優としても活躍し、特に「電子戦隊デンジマン」などの特撮番組で敵役を多く演じた。女優業と並行し、国立市内で骨董(こっとう)店も経営していた。昨年6月ごろから、体調を崩していたという。


2006年5月1日(月曜日)

沼田曜一氏(俳優)が心不全のため死去

カテゴリー: - touse @ 17時34分37秒

東映任侠(にんきょう)映画や民話の語り部として活動した俳優沼田曜一さん(ぬまた・よういち、本名・美甘正晴=みかも・まさはる)が29日、心不全のため自宅で死去した。81歳。岡山県出身。

NHK大阪放送劇団を経て、映画界入り。50年に東映の前身東横映画が製作した「きけ、わだつみの声」に主演。第2次大戦下のビルマ戦線を舞台に学徒兵の悲惨な最期を演じて注目をあつめた。「真空地帯」「深い河」のほか、ホラー映画「リング」(98年)「リング2」(99年)などにも出演した。70年からは民話の語り部をライフワークとし、各地を渡り歩き、広島の原爆を基にした「おこり地蔵」などを制作した。


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