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2006年8月25日(金曜日)

高木東六さん(作曲家)が死去

カテゴリー: - touse @ 14時28分18秒

 作曲家の高木東六(たかぎ・とうろく)さんが06年8月25日午前0時5分、肺炎のため埼玉県の病院で死去した。102歳。「水色のワルツ」などをヒットさせ、TBS系「家族そろって歌合戦」の審査員として茶の間に親しまれた。

 関係者によると、高木さんは8月に入り微熱が続いたことから入院。「おなかがすいたよ」と食欲もあったが、最後は「眠いなあ」とつぶやき、眠るように息を引き取ったという。100歳を過ぎてからも元気で、コーヒーを飲みながらクラシックを聴くのが日課だった。04年に横浜市の神奈川県民ホールで開かれた100歳記念コンサートでは、車いすでステージに上り「水色のワルツ」を歌った。

 高木さんは東京音楽学校(現東京芸大)を中退してパリに留学。帰国後、宝塚歌劇の作曲や指揮を担当した。戦時中の作品に軍歌「空の神兵」、「水色のワルツ」は二葉あき子さんの歌で戦後、大ヒットした。オペラ「唐人お吉」をはじめクラシックの作品も多い。総作曲数は3000を超える。

 「家族そろって歌合戦」「あなたのメロディー」などの辛口審査員としても人気が高かった。ベレー帽に黒縁メガネがトレードマーク。全国各地で収録された「家族−」では、収録地を入れた川柳を発表するのがおはこだった。「喜びやユーモアを表現できない演歌は大嫌い」などの発言も。晩年は、横浜で60歳以上の女性ばかりの合唱団を指導。演奏や講演などで全国を飛び回った。年を取ってもおしゃれないでたちで、サービス精神とユーモアを失わなかった。


2006年8月23日(水曜日)

関敬六さん(コメディアン)が死去

カテゴリー: - touse @ 14時23分13秒

 映画「男はつらいよ」シリーズの常連で、ドラマの脇役として活躍したコメディアンの関敬六さん(せき・けいろく、本名関谷敬二=せきや・けいじ)が06年8月23日午前2時8分、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳。故渥美清さんと40年来の親友で、「男は−」では寅さんのテキ屋仲間として、おなじみだった。昨年9月に血液のがん「骨髄異形成症候群(MDS)」と診断されたが、今年3月まで東京・浅草の木馬亭で軽演劇の舞台に立っていた。

 親友渥美清さんが亡くなったのは96年8月4日。それから10年、関さんは同じ夏に親友が待つ天国に旅立った。

 都内の自宅で取材に応じた恵子夫人(67)によると、関さんは3月まで舞台に出ていた。浅草・木馬亭を拠点にした軽演劇「お笑い浅草21世紀」に98年から参加し、毎月出演した。昨年9月に血液がんの一種MDSと診断され、1カ月間入院。「仕事がしたい」との関さんの意向もあって、本人への告知や抗がん治療はせず、12月に舞台に復帰。ライフワークの曲「浅草の唄」を毎回披露した。

 3月の舞台では体がフラフラし、簡単なせりふを間違えながらも懸命に務めたが、直後に入院。6月初めに一時退院したが、同11日に再入院した。10月の復帰を目指していたが、今月初めから意識が混濁。22日深夜に容体が急変した。恵子さんは「趣味は仕事。本当に仕事が好きな人でした」と振り返った。

 栃木生まれだが、第2の故郷が浅草だった。復員後、税務署に半年勤務したが、コメディアンを志して52年に浅草でエノケン劇団に入団。浅草のストリップ劇場、フランス座などで芸を磨き、59年にフランス座同期の渥美さん、谷幹一さんと「スリーポケッツ」を結成。丸顔の愛きょうある風ぼうで親しまれ、熱演型コメディアンとして頭角を現した。

 渥美さんの脱退で解散した60年代には映画に進出。80年から渥美さん主演「男はつらいよ」シリーズの常連となり、寅さんのテキ屋仲間役で存在感を示した。テレビでも「てなもんや三度笠」「天うらら」に出演し、アニメ「宇宙忍者ゴームズ」の吹き替えのせりふ「ムッシュ メラメラ〜」は子供の流行語になった。

 75年に「浅草の喜劇の灯を消すな」と関敬六劇団を結成。16年間活動し、91年に芸術祭優秀賞を受けた。長男は敬六劇団に、二男は欽ちゃん劇団に一時参加したが、現在は会社員をしているという。渥美さんの数少ない親友として「寅さんとの想い出と秘話」と題した講演会を行い、長年の交友をつづった著書「さらば友よ」も出版した。

 浅草と渥美さんをこよなく愛した、昭和の名コメディアンだった。

関係者悲しみの声

 浅草・フランス座の後輩だった萩本欽一(65) 先輩も後輩も、舞台も袖も笑わす方でした。素に戻ると違う雰囲気になる芸人ではなく、舞台が終わってもみんなを笑わしていて。最後まで浅草が大好きで、浅草芸人といえば関敬六さんでした。「欽ちゃん、元気でやってるかい?」と声を掛けてくれて、僕もお友達のように話しちゃって。普通の行動からおかしくて、どこが芸なのか分からないぐらい。(付き人として)息子さんの面倒を見たこともありました。息子さんも地でおかしかったなあ。関さんの笑顔しか浮かんでこない。笑わし疲れたのかな。残念です。

 山田洋次監督(74) 渥美清さんが、最も心を許した友人でした。渥美さんの死後は頭も丸め、なにかと言えばお墓を訪れ、墓石に向かって語りかけていたといいます。今ごろ、渥美さんとうれしそうに手を取り合って、再会を喜んでいるに違いありません。その笑顔が目に浮かぶようです。寅さんシリーズのレギュラーメンバーがまた1人、消えてしまいました。

 浅草時代からの仲間の谷幹一(73) 戦友に死なれて、悲しくてたまりません。関やんはいいよ、渥美やんと会って、おれの話をしてるんだろうな。思えば、昭和27年からの付き合いだったね。3人でよく仕事を探しに日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日と、歩いたっけね。どこにいっても、ないないとおっぱらわれたね。そして、渥美やんが映画に、関やんが舞台に、僕は時代劇と分かれていったね。でもプライベートは一緒で、よく夜中まで谷のうちでしゃべりまくったね。それも夢になったね。おれが行くまで、そっちでいろいろ探求しておいてくれよ。祈る、成仏を。関よ、さようなら。

復帰望む声も…

 関さんの休演が続いていた「お笑い浅草21世紀」には、復帰の時期の問い合わせが絶えなかったという。関さんも「舞台はどうなっている」と気にし続けていた。晩年は持病の糖尿病のため甘いものを食べられなかったが、橋達也座長が離れると、若手劇団員の前でチョコレートに手を伸ばすなど、ちゃめっ気も見せたという。橋座長は「喜劇の火を消すなと頑張っていましたが、また1つ消えてしまった気がしました。子供のように無邪気で屈託のない人で、誰からも愛された、幸せな人だったと思います」としのんでいた。


2006年8月18日(金曜日)

新派俳優、青山哲也さんが死去

カテゴリー: - touse @ 16時42分48秒

青山哲也氏(あおやま・てつや=新派俳優、本名・工藤幸隆=くどう・ゆきたか)が06年8月14日午前1時36分、すい臓がんのため都内の病院で死去。66歳。東京都出身。自宅は東京都中野区上高田3の22の18のB206。
66年、劇団新派に入り、初代水谷八重子に師事。ドラマなどでも活躍した。主な出演作に舞台「遊女夕霧」など。


2006年8月2日(水曜日)

セクシー女優P・アンダーソン、キッド・ロックと結婚

カテゴリー: - touse @ 17時21分29秒

カナダ出身のモデルで女優のパメラ・アンダーソンさん(39)が自身のウェブサイトで、この週末にラップ歌手のキッド・ロックさん(35)と、フランスのサントロペのヨットの上で結婚式を挙げたことを明らかにした。
 パメラさんは「最高にロマンチックな結婚式だった。ロックンロール・ウエディングよ」と書いている。またパメラさんは、サイトに式を挙げたヨットの上で、ピンクのビキニ姿で水兵帽をかぶってキッドさんと熱い抱擁とキスを交わしている自身の写真を掲載している。
パメラさんは、モトリー・クルーのドラマー、トミー・リーと結婚していたが離婚。2人の間に8歳と10歳になる2人の子供がある。


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