昭和プロレス支えた頭突きの「猛虎」大木金太郎さん死去
日韓両国にわたり、必殺技の頭突きで活躍したプロレスラー、大木金太郎(本名・金一=キム・イル)さんが26日、母国・韓国のソウル市内の病院で心不全のため死去した。77歳だった。心臓疾患による高血圧や糖尿病などで、長期入院していた。葬儀は韓国で営まれる。
「力道山先生あってのわたしだった」。26日に死去した大木金太郎さんは晩年、そう繰り返した。力道山を慕い、韓国から密入国。故・ジャイアント馬場、アントニオ猪木と並び若手三羽がらすの一人と称された。頭突きで日韓のプロレスファンに深い印象を刻み込んだ昭和の名レスラーが、また一人去った。
家の漁業を手伝いながら韓国相撲の大会の度に優勝する町の力自慢は、日本で活躍する力道山に入門を直談判しようと1958年、船で山口県下関に密入国。列車で東京に向かう途中、横浜で拘束された。拘置所で力道山に手紙を書き、政治家の仲介などで釈放され、日本プロレスに入門した。
「(力道山)先生はわたしをよく殴った。(自分が殴ることで)日本人からいじめられないようにと心配してくれたからでしょう」。「師」は、朝鮮半島出身者として日本で暮らすために必要な強さを教えてくれた。
ある日、力道山はガラスの灰皿を大木さんの頭にたたきつけた。平然とした表情の大木さんに「これからは頭突きだ」と必殺技を示した。「痛かったけど、痛いって顔はできませんでしたから」
大木さんは巨人の王貞治氏(現ソフトバンク監督)の打法にならい、一本足の豪快な頭突きを生み出し、日本や韓国でおなじみとなった。「日本の英雄」だった力道山は朝鮮半島出身であることを公表しなかったが、大木さんは早くから「韓国の猛虎」と紹介された。
暴漢に襲われ力道山が突然死亡したことで、日本プロレスは分裂。大木さんも混乱に巻き込まれる形で多くの団体を渡り歩いた。その後、韓国のエースとして君臨したものの、韓国でも団体が離合集散し、自らの道場は結局閉鎖。最近10年は入院生活を送っていたが、プロレス興行の度に会場に足を運び、観客から喝采(かっさい)を浴びた。
病室にはアブドーラ・ザ・ブッチャーや猪木らレスラーが見舞いに訪れた。猪木との対面では涙をこぼし「若いころには一緒によくいたずらをした」と話し、親交の深さをうかがわせた。






