パートナーサイト
遺品整理、引越、かたづけ、リサイクル、なんでも頼める! キーパーズ
現代供養.COM
冠婚葬祭ネット
スポンサードリンク
お問い合わせ
PR
オンライン状況
44 人のユーザが現在オンラインです。 (3 人のユーザが 冠婚葬祭トピックス を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 44

もっと...
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
冠婚葬祭ネット-
 
遺骨ペンダント
冠婚葬祭ネット---
 
遺骨からダイヤモンド
月別過去ログ

2006年10月27日(金曜日)

昭和プロレス支えた頭突きの「猛虎」大木金太郎さん死去

カテゴリー: - touse @ 09時32分41秒

 日韓両国にわたり、必殺技の頭突きで活躍したプロレスラー、大木金太郎(本名・金一=キム・イル)さんが26日、母国・韓国のソウル市内の病院で心不全のため死去した。77歳だった。心臓疾患による高血圧や糖尿病などで、長期入院していた。葬儀は韓国で営まれる。

 「力道山先生あってのわたしだった」。26日に死去した大木金太郎さんは晩年、そう繰り返した。力道山を慕い、韓国から密入国。故・ジャイアント馬場、アントニオ猪木と並び若手三羽がらすの一人と称された。頭突きで日韓のプロレスファンに深い印象を刻み込んだ昭和の名レスラーが、また一人去った。

 家の漁業を手伝いながら韓国相撲の大会の度に優勝する町の力自慢は、日本で活躍する力道山に入門を直談判しようと1958年、船で山口県下関に密入国。列車で東京に向かう途中、横浜で拘束された。拘置所で力道山に手紙を書き、政治家の仲介などで釈放され、日本プロレスに入門した。

 「(力道山)先生はわたしをよく殴った。(自分が殴ることで)日本人からいじめられないようにと心配してくれたからでしょう」。「師」は、朝鮮半島出身者として日本で暮らすために必要な強さを教えてくれた。

 ある日、力道山はガラスの灰皿を大木さんの頭にたたきつけた。平然とした表情の大木さんに「これからは頭突きだ」と必殺技を示した。「痛かったけど、痛いって顔はできませんでしたから」

 大木さんは巨人の王貞治氏(現ソフトバンク監督)の打法にならい、一本足の豪快な頭突きを生み出し、日本や韓国でおなじみとなった。「日本の英雄」だった力道山は朝鮮半島出身であることを公表しなかったが、大木さんは早くから「韓国の猛虎」と紹介された。

 暴漢に襲われ力道山が突然死亡したことで、日本プロレスは分裂。大木さんも混乱に巻き込まれる形で多くの団体を渡り歩いた。その後、韓国のエースとして君臨したものの、韓国でも団体が離合集散し、自らの道場は結局閉鎖。最近10年は入院生活を送っていたが、プロレス興行の度に会場に足を運び、観客から喝采(かっさい)を浴びた。

 病室にはアブドーラ・ザ・ブッチャーや猪木らレスラーが見舞いに訪れた。猪木との対面では涙をこぼし「若いころには一緒によくいたずらをした」と話し、親交の深さをうかがわせた。


2006年10月22日(日曜日)

ばってん荒川さん死去

カテゴリー: - touse @ 22時41分15秒

「お米(よね)ばあさん」のキャラクターで知られるタレント、ばってん荒川さん(ばってん・あらかわ=本名・米崎一馬、よねざき・かずま)が06年10月22日午前11時23分、心不全のため熊本市内の病院で亡くなった。69歳。熊本市出身。
 所属事務所によると、今年1月からぼうこうがんのため入退院を繰り返した。体調次第で地元局のレギュラー番組に出演。8月収録分が10月中旬まで放送されていた。
 荒川さんは漫才師の父(荒川九州男)に影響され、18歳で「肥後ばってん」の芸名で活動を開始した。19歳の時、お米ばあさんを生み出し「ばってん荒川」に改名。70年に歌手として「火の国一代」が10万枚を売り上げ、全国でも知られるようになった。しかし、拠点を熊本に置き続け、熊本、福岡のレギュラー番組は30年以上続いた。


2006年10月20日(金曜日)

小料理屋「おかくら」主人役、藤岡琢也さんが死去

カテゴリー: - touse @ 23時20分16秒

 TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などで知られる俳優藤岡琢也さん(ふじおか・たくや)が慢性腎不全のため06年10月20日午後3時18分、東京都新宿区の病院で亡くなった。76歳だった。藤岡さんは肺炎のために今年2月に入院。90年のスタート時から大家族の父・岡倉大吉役でレギュラー出演していた「渡る世間−」を降板し、治療に専念していた。

 藤岡さんの訃報(ふほう)は亡くなった直後に「渡る世間は鬼ばかり」の収録現場に伝えられた。ちょうど小料理屋「おかくら」のシーンの収録中。終わった午後6時すぎ、藤岡さんから岡倉大吉役を引き継いだ宇津井健の声掛けで現場にいた出演者、スタッフ全員が集まり、黙とうをささげた。「渡る−」では大吉の妻節子役の山岡久乃さんが99年に亡くなっている。

 藤岡さんは昨年4月ごろから腎臓病を患い、週3回の透析を受けながら、仕事をこなした。今年2月に透析を受けていた時に体調不良を訴え、肺炎と判明。そのまま入院した。そのため、15年間レギュラー出演していた「渡る−」を降板して治療に専念。当初は無菌室に入っていたが、3月には一般病棟に移り、藤岡さんも年内の退院と仕事復帰に向けて意欲をみせていた。しかし、19日昼ごろに容体が急変。知らせを受けて「渡る−」の石井ふく子プロデューサーが駆けつけ「お父さん、来たわよ」と声を掛けると、藤岡さんは目で応じたという。いったん小康状態になったが、この日午後、妻千鶴さんや妹ら親族に見守られ、息を引き取った。

 藤岡さんは下積みが長かった。関学大在学中に結核を患い、片方の肺を切除した。劇団に入ったものの、大きな役はつかず、外国ドラマのアテレコやドラマの端役が多かった。注目されたのはNHK「事件記者」で関西弁の記者役で、36歳になっていた。以来、メガネにチョビひげのスタイルで、頑固だが気は優しいキャラクターで親しまれた。「サッポロ一番」などCMにも出演し、「渡る−」以外にもNHK大河ドラマ「春日局」の秀吉役など橋田寿賀子作品に欠かせない1人だった。「兵隊やくざ」「社長」シリーズなど60本以上の映画に出演した。

 「渡る−」では共演者やスタッフから「お父さん」と呼ばれて愛されたが、私生活で子どもはいなかった。石井プロデューサーは「もうちょっと頑張ってほしかった。つらいです。見送りたくないです。一発OKだった時の愛嬌(あいきょう)ある笑顔が忘れられません」と涙ながらに話した。橋田さんも「私の作品では、お父さん役はいつも藤岡さんで、大事な人でした。テレビで藤岡さん夫婦と一緒になったら、甘えん坊の一面が見えてかわいかった」と思い出を話した。遺影は大吉役のスチール写真から検討中という。

◆藤岡琢也(ふじおか・たくや)本名同じ。
1930年(昭5)9月4日、兵庫県生まれ。広島の陸軍幼年学校在学中に終戦を迎え、関学大中退後、57年に劇団葦に入団。芸術座「人間の条件」で初舞台を踏み、外国ドラマのアテレコなどを経て、66年にNHKドラマ「事件記者」の記者役で人気者となる。70年に「頑張れ!日本男児」で映画初主演。90年には演歌「親ごころ」も発表。02年に菊田一夫演劇賞特別賞を受賞した。阪急時代からのオリックスファンとしても知られた。


2006年10月13日(金曜日)

柳家小せんさん(落語家)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時20分37秒

 現役最高齢の落語家柳家小せんさん(やなぎや・こせん、本名飯泉真寿男=いいずみ・ますお)が06年10月10日午後10時23分、肺炎のため東京都足立区の病院で死去した。83歳だった。

 49年、5代目柳家小さんに入門。61年、真打ち昇進とともに4代目柳家小せんを襲名。ひょうひょうとしたキャラクターと芸風で知られ、60年代にはテレビ演芸番組「お笑いタッグマッチ」などでも活躍。「女房のケメ子が…」は流行語になり、ナンセンスソング「私がケメ子よ」の作詞も手掛けた。04年11月24日の鈴本演芸場が最後の高座で、以降、入退院を繰り返していた。


2006年10月3日(火曜日)

「マヒナスターズ」三原さと志さん死去

カテゴリー: - touse @ 18時20分13秒

 コーラスグループ「和田弘とマヒナスターズ」のメンバーで病気療養中だった三原さと志=本名・小山田晃=さんが、9月30日午前、呼吸不全のため都内の病院で死去した。71歳だった。中国・青島生まれ。
 「コーネリアス」として活動する歌手、小山田圭吾(37)の父で、「マヒナスターズ」は都会派歌謡にジャズとハワイアンの要素を盛り込んだムード歌謡の先駆けバンドとして活躍。35年には「誰よりも君を愛す」で第2回レコード大賞を受賞。39年の「お座敷小唄」は300万枚を突破した。
 メンバーはその後、入れ替わりを繰り返したが、平成元年に全盛期のオリジナルメンバーで再出発。16年1月にリーダーの和田弘さん(享年72)が死去してからは、活動休止状態になっていた。


21 queries. 0.049 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress