灰谷健次郎さん(児童文学作家)が死去
「兎(うさぎ)の眼」「太陽の子」など、ひたむきに生きる子どもの姿や優しく見守る周囲の人間模様を描いた児童文学作家の灰谷健次郎さんが23日午前4時半、食道がんのため静岡県長泉町の静岡がんセンターで死亡した。72歳だった。全国で問題になっているいじめについても「子どもではなく、大人が悪い」ともらしていたという。灰谷さんの遺言で喪主はおかず、葬儀・告別式も行わない。
どんよりとした厚い雲が空に広がる中、熱海市の自宅に灰谷さんが帰ってきた。23日午前4時半、静かに眠るように息をひきとった。この1カ月ほど、言葉はしゃべれなかったが、話す相手は認識できていたという。無宗教だった灰谷さんの遺志で葬儀・告別式などは行わないが、親族だけではなく、生前に親交のあった人びとが次々と最後の別れに訪れた。
神戸市の所属事務所によると、食道がんと判明したのは04年12月だった。灰谷さんが検査後に医師と面談して、どんなに重い病気でも隠さずに告げてほしいという希望から告知された。事務所は「電話が掛かってきて『大変なことになった。最悪や。がんや』といきなり切り出されて驚きました」と振り返る。すぐに東京女子医大に入院。手術の経過もよく、その時は年内に退院できた。
今年に入ってがんの転移が発覚。9月26日に静岡がんセンターに入院した。関係者は「自分の足で歩いて病院までいかれました。ただ、2年前にがんが分かってからは、執筆されてませんでした」と話す。
神戸市の小学校に17年間、教師として勤務した。教師を辞したあと、沖縄やアジア諸国を放浪する中で、ひたむきに生きる子どもの姿を執筆する志を持つようになった。74年、ごみ処理場の中の長屋に住みながらも希望を失わない子どもと若い教師との交流を描いた「兎の眼」が200万部のベストセラーとなった。
97年、神戸市で起きた連続児童殺傷事件の容疑者少年の顔写真を新潮社が写真誌「フォーカス」に掲載した。当時、同社と全作品を出版契約していた灰谷さんは写真掲載を批判して契約を解除してしまった。角川書店と契約を結び、やんちゃな少年・倫太郎が成長していく「天の瞳」をシリーズ化して8作刊行した。
現在、社会問題化しているいじめにも独自の考えを持っていた。角川書店の第1編集部で灰谷さんの担当だった伊達百合さんは「子どもではなく、範となるべき大人がちゃんとしないといけないんだとおっしゃっていた。『天の瞳』も倫太郎がまっすぐな青年になっていく構想もありました。その作品の中でいじめに関することも書かれたかったのではないかと思います」と話した。

- ◆灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)
- 1934年(昭和9年)10月31日、兵庫県神戸市生まれ。7人兄妹の三男。56年、大阪学芸大(現大阪教育大)を卒業。神戸市の小学校で教員を務め、72年に退職。諸国を放浪後、74年に「兎の眼」を発表。78年、国際児童年だったことから国際アンデルセン賞特別賞を受賞。79年、「太陽の子」で第1回路傍の石文学賞を受賞。80年、神戸市から淡路島に移住して自給自足生活を始める。91年には沖縄県渡嘉敷島に移る。米軍普天間飛行場の移転問題では反対派の抗議運動に所有する漁船を提供した。
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