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2007年2月28日(水曜日)

俳優高松英郎さん死去

カテゴリー: - touse @ 00時44分37秒

 「柔道一直線」などのテレビドラマや映画の脇役として活躍した俳優高松英郎さん(本名・武市哲郎=たけいち・てつお)が07年2月26日午前、心筋梗塞(こうそく)のため自宅で死去した。77歳。温和なキャラクターから悪役まで幅広く演じ、外出時はいつでもスーツ姿というきちょうめんな人柄でも知られた。

 高松さんは、亡くなる前日の25日まで茨城・鹿嶋でテレビ東京ドラマ「猪熊夫婦の駐在日誌4」(放送日未定)の収録を行っていた。一段落ついたところで「気分が悪いので1度家に帰りたい」とスタッフに語り、鹿嶋から高速バスで帰京した。深夜に帰宅し就寝したが、翌26日午前6時半ごろ、寝室で亡くなっているのを家族が発見した。

 二女の高橋幸子さんによると、発見した時はすでに心肺停止状態で、病院へ搬送したが手遅れだった。約30年前から糖尿病を患っていたものの、それ以外は大きな病気はなかった。7年前に神奈川県内に引っ越し、家族とともに暮らしていた。仕事以外は家で過ごすのが好きだったという。28日には、親しい人を集めて非公開でお別れの会を行う。

 高松さんは51年、大映にニューフェースとして入社。長く悪役、敵役が続いたが、映画「黒の試走車」(62年)で自動車会社の部長を好演。62年に大映退社後はテレビに活動の場を移した。

 69年には国民的人気番組となったTBSドラマ「柔道一直線」で、主人公の師匠である“講道館の鬼車”こと車周作役を演じた。車の編み出した必殺技「地獄車」も話題になった。その後もNHK連続テレビ小説「雲のじゅうたん」や大河ドラマ「八代将軍吉宗」などに出演。現代劇、時代劇を問わず、渋みのある男っぽい脇役として存在感を示した。88年に米アカデミー賞などを受賞した「ラストエンペラー」には軍曹役で出演している。

 プライベートでは、62年に元モデルの陽子夫人とフジテレビ「テレビ結婚式」で結婚式を挙げ話題になった。テレビで式を挙げることによって結婚資金を浮かせ、社会施設に寄付したいとの思いからだった。スポンサーから贈られる電化製品やせっけんなどもすべて寄付している。

 外出の際には必ずスーツとネクタイという律義な人柄でも知られた。ひょうひょうとしたキャラクターと堅物ぶりのギャップで最近はバラエティー番組でも親しまれた。

 遺作となった「猪熊−」は研ナオコ、地井武男主演のシリーズもので、高松さんは定年退職した駐在役でゲスト出演していた。テレビ東京によると、高松さんの出演部分にはまだ撮り残しがあり、今後の対応は未定という。

◆高松英郎(たかまつ・ひでお)  
本名・武市哲郎。1929年(昭4)10月24日、高知県生まれ。旧制早稲田中卒業後、演技の勉強を始め、51年大映第5期ニューフェースとして入社。53年「怒れ三平」で若尾文子の恋人役で俳優デビュー。大映退社後はテレビに活動の場を移し「藍より青く」「事件記者」「柔道一直線」などに出演。62年に5歳年下の陽子夫人と結婚。


2007年2月26日(月曜日)

大森幸男氏(放送評論家)が死去

カテゴリー: - touse @ 12時14分56秒

 大森幸男氏(おおもり・ゆきお=放送評論家)07年2月26日午後0時35分、肺がんのため東京都小金井市の病院で死去、84歳。兵庫県出身。東大在学中の47年に東大応援歌「ただ一つ」を作詞した。


2007年2月25日(日曜日)

立川勇作氏(元プロボクシングレフェリー)が死去

カテゴリー: - touse @ 12時12分33秒

 立川勇作氏(たちかわ・ゆうさく=元プロボクシングレフェリー、旧姓吉田=よしだ)07年2月25日午後4時30分、多臓器不全のため自宅で死去、74歳。長崎県出世界タイトル戦の経験が豊富で、73年の故大場政夫、75年の輪島功一の試合を裁いた。


2007年2月23日(金曜日)

沢田幸夫氏(元巨人スカウト部長)が死去

カテゴリー: - touse @ 14時02分46秒

 沢田幸夫(さわだ・ゆきお=元巨人スカウト部長)07年2月22日、東京都世田谷区内の病院で腸閉塞で死去。74歳。


2007年2月22日(木曜日)

大田学氏(将棋師)が死去

カテゴリー: - touse @ 14時49分00秒

 賭け将棋で生計を立てる「真剣師」と呼ばれ、ドラマのモデルにもなった大田学(おおた・まなぶ)氏が07年2月21日午前5時半、大腸がんのため大阪市西区の吉川病院で死去した。92歳。鳥取県出身。

 終戦直後に将棋と出合って腕を磨き、50〜60年代に対戦相手を求めて全国を渡り歩き、賭け将棋で生計を立てた。70年代から25年間、大阪市浪速区の「通天閣囲碁将棋センター」(経営難で閉鎖)で将棋師範を務め、77年には第1回朝日アマチュア将棋名人戦で優勝した。96〜97年に放送されたNHKドラマ「ふたりっ子」では、ヒロインに将棋を教える師匠「銀じい」のモデルになった。


2007年2月21日(水曜日)

木村現氏(サッカー元日本代表)が死去

カテゴリー: - touse @ 13時57分26秒

 木村現氏(きむら・あらわ=サッカー元日本代表)07年2月21日午前1時25分、神奈川県海老名市内の病院で死去、76歳。広島県出身。
 広島高等師範付属中時代の47年に全国中等学校選手権(現全国高校選手権)で優勝。50、53、55年には全関学で天皇杯を制した。日本が初挑戦した54年のW杯スイス大会アジア予選で日本代表に選出されるなど、俊足と強烈なシュート力を武器に活躍した。


2007年2月20日(火曜日)

19連勝元巨人左腕、松田清氏が死去

カテゴリー: - touse @ 23時42分10秒

 シーズン19連勝のセ・リーグ記録を持つ、元巨人投手の松田清氏が07年2月18日午後、虚血性心疾患のため大阪府羽曳野市の自宅で死去した。享年76歳。東京都出身。

 松田氏は1949年にテスト生で巨人入団。左腕から大きく縦に落ちるカーブを武器に、51年には23勝3敗で新人王と防御率(2・01)のタイトルを獲得。同年5月23日広島戦から10月4日中日戦までマークした19連勝は、半世紀を経てもセのシーズン最多連勝として破られていない。(日本記録は稲尾の20連勝)

 56年に国鉄(現ヤクルト)に移籍し、外野手転向。打者として61年までプレーし、引退した。通算成績は投手7年(通算12年)で39勝14敗、防御率2・62。打者として11本塁打、107打点。引退後はコーチ、評論家。野球塾も開設した。


2007年2月15日(木曜日)

すぎ恵美子さん(漫画家)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時18分30秒

 すぎ恵美子さん(すぎ・えみこ=漫画家、本名・杉山恵美子=すぎやま・えみこ)07年2月10日午後0時17分、胃がんのため横浜市の病院で死去、47歳。神奈川県出身。

 77年にデビューし、「げっちゅー」「♂(アダム)と♀(イブ)の方程式」などがヒット。小学館によると、コミックの単行本は計約1800万部売れた。


2007年2月13日(火曜日)

中島忠雄氏(大相撲元行司第10代式守錦太夫)が死去

カテゴリー: - touse @ 01時17分10秒

 中島忠雄氏(なかしま・ただお=大相撲の元行司第10代式守錦太夫)が07年2月10日午前4時45分、急性心不全のため千葉県松戸市西馬橋1の11の20の自宅で死去、66歳。佐賀県出身。

 57年九州場所で初土俵。94年秋場所から第10代式守錦太夫を襲名した。01年名古屋場所では隆乃若と玉乃島と一緒に土俵下に転落し、両力士の下敷きになり、右かかとを粉砕骨折し休場するなど、負傷が多かった。取組中にバランスを崩して土俵下に転落、さらに戻る際に、はかまのすそを自分で踏んで転ぶハプニングもあった。05年名古屋場所を最後に定年で引退した。


2007年2月12日(月曜日)

渡辺和博さん(イラストレーター)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時56分26秒

 「マル金」「マルビ」が流行語になった「金魂巻」の著者として知られるイラストレーターの渡辺和博(わたなべ・かずひろ)さんが07年2月6日未明、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去した。56歳。広島市出身。
 雑誌「ガロ」編集長を経てフリーとなり、いわゆる「へたうま」の画風で人気イラストレーターに。84年に出版した「金魂巻」は、職業を「マル金(=金持ち)」と「マルビ(=貧乏)」に分類。バブル時代を先取りするような笑いが話題となり、第1回流行語大賞を受賞した。


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