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2007年5月31日(木曜日)

松岡利勝農水相が自殺、議員宿舎で首つる

カテゴリー: - touse @ 20時25分56秒

 「ナントカ還元水」などの事務所費問題や「緑資源機構」の談合事件に絡み、与党からも辞任を求める声が上がっていた松岡利勝農水相(62)が07年5月28日午後0時20分ごろ、東京都港区赤坂の衆院議員宿舎で首つり自殺を図り、搬送先の慶大病院(新宿区)で午後2時、死亡が確認された。宿舎の机には封書6通と便せん2通の遺書が置かれていた。うち1通は安倍晋三首相(52)あてだった。国会議員の自殺は戦後7人目だが、現職閣僚は初めて。

 午後1時40分からの参院決算委員会で「緑資源機構」の官製談合事件について答弁する予定だった松岡氏が首をつっているのが発見されたのは赤坂議員宿舎1102号室。正午ごろ宿舎を出るはずが、出てこないため、午後0時20分ごろ、男性秘書がSPとともに合鍵で部屋に入ったところ、リビング入り口のドア上部の角に、犬の散歩用の布製のひもを掛けて首をつっていた。男性秘書は午前10時ごろ、宿舎で松岡氏と直接会って話したが、その後松岡氏は部屋で1人だった。発見時はパジャマ姿で部屋の鍵は閉まっていた。

 救急隊が駆け付けた時にはすでに心肺停止状態だった。ストレッチャー上でも、顔と体に掛けられた白い布の上から心臓マッサージが続けられたが、午後2時に死亡が確認された。死因は窒息死と分かった。

 宿舎のリビングの机の上から「親展」と書かれた封書6通と便せん2通の遺書が見つかった。封書のあて先は安倍首相、長男の義父である景山俊太郎参院議員(63)、農水事務次官、大臣秘書官ら。便せん2通のうち1通は「国民の皆さま 後援会の皆さま」との書き出しで「私自身の不徳の致すところであり、誠に申し訳ない。ご迷惑をかけておわび申し上げます」と記されていた。もう1通にはあて名がなく「家内だけが内情を知っている。それは家内にいってある場所にあるので、探さないでください」。いずれも農水省の便せんにボールペンで書かれ、28日の日付と署名が入っていた。

 松岡氏は25日午後1時半から都内のホテルで開かれた農産物の輸出促進のための協議会に出席。得意分野にもかかわらず、用意した紙を読み上げるだけで、精彩を欠いていた。同日朝の定例会見では、官製談合事件に質問が集中。「極めて遺憾」「信頼回復に全力で取り組みたい」との答弁を繰り返したが、疲れ切った様子だった。27日の日本ダービーでは、自身の名前で皇太子さま(47)らに招待状を出していたにもかかわらず、姿を見せなかった。

 松岡氏の遺体は、慶大病院に駆けつけた遺族に引き渡され、午後7時すぎ、霊きゅう車で病院を出て仮通夜が行われた東京・新宿区内の斎場に入った。初美夫人(60)は「支援していただいた方に迷惑をかけたのが、つらかったのではないか」と話すと、頭を下げたという。遺体は29日、地元熊本に運ばれる。



松岡利勝

◆松岡利勝(まつおか・としかつ)
1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)生まれ。69年鳥取大農学部卒。農林水産省に入り、国土庁課長補佐などを経て、86年林野庁広報官。88年に退職し、90年衆院選に立候補し初当選。当選6回。村山改造内閣で農水政務次官、第2次森改造内閣で農水副大臣、06年安倍内閣で農水相として初入閣。初美夫人との間に2男。長男は銀行員、二男はNHKアナウンサー。

2007年5月30日(水曜日)

中野五男氏(川崎競馬調教師)が逝く

カテゴリー: - touse @ 23時56分56秒

中野五男氏(なかの・いつお=川崎競馬場所属調教師)07年5月28日午後3時55分、川崎市内の病院で脳内出血のため死去。51歳。福島県出身。

通算成績は1602戦103勝。


伊藤勲氏(元大洋捕手、コーチ)が逝く

カテゴリー: - touse @ 22時28分47秒

伊藤勲氏(いとう・いさお=元大洋捕手、コーチ)07年5月26日午前0時16分、肺がんのため死去した。65歳。宮城県仙台市出身。61年から78年まで大洋でプレー。その後は南海に移籍し、80年に引退。20年間の現役生活では通算1771試合に出場。1054安打、152本塁打、495打点。引退後は大洋でバッテリーコーチ、社会人のNTT東日本野球部でコーチを務めた。


2007年5月27日(日曜日)

松野健一氏(俳優)が逝く

カテゴリー: - touse @ 18時15分14秒

松野健一氏(まつの・けんいち=俳優)07年5月24日午前11時29分、急性心筋梗塞(こうそく)のため埼玉県の自宅で死去、69歳。東京都出身。
61年俳優座に入団。「カラマーゾフの兄弟」「阿修羅の妻」「春、忍び難きを」などの舞台に出演した。


2007年5月25日(金曜日)

鈴木光枝さんが心不全のため死去

カテゴリー: - touse @ 22時40分04秒

 新劇界の重鎮で老け役などで活躍した女優の鈴木光枝(すずき・みつえ、本名佐々木光枝=ささき・みつえ)さんが07年5月22日午前2時45分、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。88歳。

 鈴木さんは旧制高等女学校を中退し俳優の井上正夫に師事。32年「乳姉妹」で初舞台を踏んだ。42年に夫の演出家佐佐木隆、山形勲、山村聡らと劇団文化座を結成。リアリズムが基調の創作演劇を目指し、文化座の代表も務めた。

 代表作は上演回数500回の「おりき」のほか「荷車の歌」など。20代から老け役に定評があり、朝の連続テレビ小説「おはなはん」、大河ドラマ「徳川家康」の大政所役で親しまれた。01年の舞台「いろはに金平糖」以降、闘病生活に入った。紫綬褒章、勲4等宝冠章を受章。


2007年5月22日(火曜日)

「鉄腕」野口二郎さん肺炎で死去

カテゴリー: - touse @ 23時20分09秒

 大洋、阪急(現オリックス)などで活躍し、「鉄腕」の異名を取った野口二郎氏が07年5月21日午前9時2分、肺炎のため兵庫・宝塚市内の病院で亡くなった。87歳。

 戦前から球界では有名な野口4兄弟(全員プロ入り)の二男で、愛知・中京商(現中京大中京)時代には37年夏の甲子園で熊本工・川上哲治投手(元巨人監督)と投げ合い優勝。翌春のセンバツではノーヒットノーランを含む4試合連続完封で史上初の夏春連覇を達成した。

 法大を中退し、長男明(故人)と同じ東京セネタースに39年入団。1年目に33勝、42年には527回1/3を投げ、40勝17敗の成績を残した。同年5月24日の名古屋戦(後楽園)では当時世界最長の延長28回(4−4引き分け)を先発完投した鉄腕ぶりは有名。入団5年で156勝、通算でも237勝を挙げた。

 戦後は46年から阪急で投手以外に野手でも活躍。登板のない日は「4番」で出場もあった。通算830安打、打率2割4分8厘。46年に当時日本記録の31試合連続安打も達成した。引退後は近鉄2軍監督などを務めた。89年野球殿堂入り。




◆野口二郎(のぐち・じろう)
1920年(大正9年)1月6日、名古屋市生まれ。中京商で活躍した野口4兄弟の二男で、甲子園に3度出場。37年春準優勝、同年夏と38年春に連覇。甲子園通算13試合で被安打はわずか29本。法大中退後の39年、セネタース入団。42年の完封勝利19、48年の無四球試合13は今もプロ野球シーズン記録。通算防御率1・96は投球回2000以上で藤本英雄の1・90に次ぐ歴代2位。89年殿堂入り。175センチ、64キロ、右投げ右打ち。

2007年5月20日(日曜日)

藤原伊織さん(直木賞作家)が逝去

カテゴリー: - touse @ 13時40分24秒

ハードボイルド小説「テロリストのパラソル」などで知られる直木賞作家の藤原伊織(ふじわら・いおりさん、本名利一=としかず)が07年5月17日午前10時14分、食道がんのため東京都品川区の病院で死去した。 :cry:
59歳。大阪市出身。

05年に食道がんと分かり、告知の様子などを小説誌に発表。闘病中も小説を書き続け、今年1月には「ダナエ」を刊行したが、5月に入って容体が悪化した。
東大仏文科卒。電通に勤務する傍ら小説を執筆し、85年に「ダックスフントのワープ」ですばる文学賞を受けてデビュー。代表作の「テロリストのパラソル」は、全共闘運動に身を投じた経歴がある男を主人公に、東大紛争や爆弾事件などを織り交ぜた作品。95年に江戸川乱歩賞、翌年に直木賞を受け、史上初のダブル受賞が話題になった。


2007年5月19日(土曜日)

塩沢ときさん(タレント)が逝く

カテゴリー: - touse @ 23時21分44秒

 奇抜なヘアスタイルと過激発言で人気を集めたタレント塩沢ときさん(本名・塩沢登代路=しおざわ・とよじ)が07年5月17日午前3時23分、スキルス性胃がんのため東京・目黒の東京医療センターで亡くなった。79歳だった。葬儀・告別式は故人の遺志で関係者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。

 生涯独身を通した塩沢さんの半生はがんとの闘いの連続だった。30歳で初めてがんにかかった。舌がんで、その手術の影響で総入れ歯になった。当時は美人女優で売り出していた時で、がんは公表しなかった。

 その後、ドラマで教育ママなどコミカルで個性的な役を演じ、84年のフジテレビ系トーク番組「いただきます」で人気者になった。発泡スチールをあんこにした独特のデカ頭ヘアスタイルに大きなサングラス、派手な衣装、下ネタもあっけらかんと話す過激発言が話題となった。

 そのさなかの88年、今度は乳がんを患った。巨乳が自慢だったが、担当医に「私は女優ですが、切るだけ切っていただきたい」と直訴し右の乳房を全摘出した。99年には骨粗しょう症で闘病生活を送り、04年には左胸にしこりを発見した。初期の乳がんだったが「ありたっけ取ってください」と左の乳房も全摘出した。

 しかし、がんとの闘いはこれで終わらなかった。昨年3月に血便が出て、診断を受けたところ、スキルス性胃がんと判明。4月14日に入院し摘出手術を受けた。しかし5月には肺に転移して即手術。10月末に退院し、自宅で療養したが、今年2月6日に再入院。5月17日未明に容体が急変し、付き添いのスタッフにみとられて亡くなった。

 度重なるがんとの闘いにもいつも前向きだった。闘病記「がん人生」を書き、講演会では「がんは治ります。おかしいなと思ったら病院に行ってください」と言い続けた。最後の仕事は、一昨年末に撮影したフジテレビ系「新細うで繁盛記」(昨年1月放送)。

塩沢とき

◆塩沢(しおざわ)とき 本名・塩沢登代路
1928年(昭和3年)4月1日、東京生まれ。47年に東宝の第2期ニューフェースに合格し、50年「女三四郎」で映画デビュー。54年「うれし恥ずかし看板娘」で映画初主演。59年「大学の姐ちゃん」で本名から現在の芸名に。以後、名脇役として映画、ドラマに出演。84年10月からフジテレビ系「いただきます」のレギュラーになり人気者となった。その後もバラエティー番組、舞台で活躍した。

2007年5月15日(火曜日)

はな寛太さん(漫才師、はな寛太・いま寛大)が逝く

カテゴリー: - touse @ 23時04分20秒

漫才コンビ、はな寛太・いま寛大のはな寛太さん(本名・西村一文=にしむら・かずふみ)が07年5月15日、食道がんのため大阪市内の病院で死去した。61歳。寛太さんは60年に松竹新喜劇に入門し、68年に現コンビ結成。ギャグ「ちょっと待ってね」を交えた漫才で人気だった。昨年5月に発病後、入退院を繰り返しており、最後の舞台は正月のB1角座新春特別興行だった。相方の寛大は「苦労していた時のことが一番の思い出。向こうで漫才できるようなネタを作って待ってて欲しい」。


2007年5月13日(日曜日)

三好京三氏(直木賞作家)が逝く

カテゴリー: - touse @ 23時53分48秒

分校での教師経験を基に書いた「子育てごっこ」で直木賞を受賞した作家の三好京三(みよし・きょうぞう)氏(本名・佐々木久雄=ささき・ひさお)が07年5月11日午前5時45分、脳梗塞(こうそく)のため岩手県奥州市の病院で死去した。76歳。岩手県出身。
高校卒業後、助教諭として教壇に立ちながら通信教育で慶応大文学部を卒業。へき地の小規模校や分校を中心に教員生活を続け、その経験を基に書いた「子育てごっこ」で75年に文学界新人賞、77年に第76回直木賞を受賞した。78年から作家活動に専念。教育問題を中心に執筆を続けたほか、歴史時代小説も手がけた。岩手の文芸誌「北の文学」の編集委員として後進を指導。主な作品に「北天の十字架」「いのちの歌」などがある。


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