松岡利勝農水相が自殺、議員宿舎で首つる
「ナントカ還元水」などの事務所費問題や「緑資源機構」の談合事件に絡み、与党からも辞任を求める声が上がっていた松岡利勝農水相(62)が07年5月28日午後0時20分ごろ、東京都港区赤坂の衆院議員宿舎で首つり自殺を図り、搬送先の慶大病院(新宿区)で午後2時、死亡が確認された。宿舎の机には封書6通と便せん2通の遺書が置かれていた。うち1通は安倍晋三首相(52)あてだった。国会議員の自殺は戦後7人目だが、現職閣僚は初めて。
午後1時40分からの参院決算委員会で「緑資源機構」の官製談合事件について答弁する予定だった松岡氏が首をつっているのが発見されたのは赤坂議員宿舎1102号室。正午ごろ宿舎を出るはずが、出てこないため、午後0時20分ごろ、男性秘書がSPとともに合鍵で部屋に入ったところ、リビング入り口のドア上部の角に、犬の散歩用の布製のひもを掛けて首をつっていた。男性秘書は午前10時ごろ、宿舎で松岡氏と直接会って話したが、その後松岡氏は部屋で1人だった。発見時はパジャマ姿で部屋の鍵は閉まっていた。
救急隊が駆け付けた時にはすでに心肺停止状態だった。ストレッチャー上でも、顔と体に掛けられた白い布の上から心臓マッサージが続けられたが、午後2時に死亡が確認された。死因は窒息死と分かった。
宿舎のリビングの机の上から「親展」と書かれた封書6通と便せん2通の遺書が見つかった。封書のあて先は安倍首相、長男の義父である景山俊太郎参院議員(63)、農水事務次官、大臣秘書官ら。便せん2通のうち1通は「国民の皆さま 後援会の皆さま」との書き出しで「私自身の不徳の致すところであり、誠に申し訳ない。ご迷惑をかけておわび申し上げます」と記されていた。もう1通にはあて名がなく「家内だけが内情を知っている。それは家内にいってある場所にあるので、探さないでください」。いずれも農水省の便せんにボールペンで書かれ、28日の日付と署名が入っていた。
松岡氏は25日午後1時半から都内のホテルで開かれた農産物の輸出促進のための協議会に出席。得意分野にもかかわらず、用意した紙を読み上げるだけで、精彩を欠いていた。同日朝の定例会見では、官製談合事件に質問が集中。「極めて遺憾」「信頼回復に全力で取り組みたい」との答弁を繰り返したが、疲れ切った様子だった。27日の日本ダービーでは、自身の名前で皇太子さま(47)らに招待状を出していたにもかかわらず、姿を見せなかった。
松岡氏の遺体は、慶大病院に駆けつけた遺族に引き渡され、午後7時すぎ、霊きゅう車で病院を出て仮通夜が行われた東京・新宿区内の斎場に入った。初美夫人(60)は「支援していただいた方に迷惑をかけたのが、つらかったのではないか」と話すと、頭を下げたという。遺体は29日、地元熊本に運ばれる。

1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)生まれ。69年鳥取大農学部卒。農林水産省に入り、国土庁課長補佐などを経て、86年林野庁広報官。88年に退職し、90年衆院選に立候補し初当選。当選6回。村山改造内閣で農水政務次官、第2次森改造内閣で農水副大臣、06年安倍内閣で農水相として初入閣。初美夫人との間に2男。長男は銀行員、二男はNHKアナウンサー。
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