長嶋ジャパンの生みの親で全日本アマチュア野球連盟会長の長船騏郎氏(おさふね・きろう)が07年9月10日午前11時2分、肺炎のため東京・港区の病院で死去していたことが13日、分かった。83歳。
入院中だった長船氏の容態が悪化したのは、東京6大学秋季リーグ戦が開幕した8日のことだった。9日夜に急転、そのまま帰らぬ人になった。日本学生野球協会・内藤雅之事務局長(46)が最後に電話連絡をとった6日には「今日は歩く練習をしたんだけど、点滴の管がじゃまで転んでしまった」と元気に話をしていたという。8月3日に行った血液検査の結果が悪く入院したが、それ以来病状は快方に向かっており、今月上旬には退院を予定していた。突然の訃報(ふほう)に、球界関係者に衝撃が走った。
半世紀以上にわたり、アマ野球界の発展に貢献してきた。早大を卒業後、一般企業を経て52年1月から日本学生野球協会に勤務した。以来55年間にわたって同協会事務局長などを歴任した。00年には日本代表編成委員会の初代会長に就任。04年アテネ五輪の長嶋ジャパン、さらに北京五輪に挑む星野ジャパンの生みの親として、プロアマの垣根を越えて球界発展のために尽力してきた。
葬儀・告別式は約30人の親族に加えて、内藤事務局長ら連盟関係者2人だけが出席し、しめやかに営まれた。今後はお別れ会を行う予定。15日の東京6大学リーグは半旗を掲げる。
酒、たばこはやらず、学生たちを交えて焼き肉や豚カツも愛した。近年はプールトレーニングなど体調管理に気を配っていた。「北京で日の丸が揚がるシーンを見て欲しかった」と内藤事務局長。日本野球連盟会長の山本英一郎氏、日本高野連名誉会長の牧野直隆氏に続き、アマ野球界の重鎮がこの世を去った。
- ◆長船騏郎(おさふね・きろう)
1924年(大13)1月30日、岡山県生まれ。天理中から早大に入学し、捕手としてベンチ入り。42年秋のリーグ戦後に戦渦が激しくなり、43年9月に繰り上げ卒業。日本ステンレス(現新日鉄住金ステンレス)日冷商事を経て、52年1月から日本学生野球協会に勤務し、70年に常務理事、05年からゼネラルディレクター。00年に日本代表編成委員会委員長、07年から全日本アマチュア野球連盟会長に就任した。