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月別過去ログ

2007年9月30日(日曜日)

鬼塚喜八郎氏(アシックス創業者)が死去

カテゴリー: - touse @ 10時42分10秒

世界的ブランドのスポーツ用品メーカー、アシックスの創業者で会長の鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)氏が07年9月29日正午ごろ、心不全のため神戸市中央区の病院で死去した。89歳。鳥取市出身。
1949年に「青少年育成のためにはスポーツが一番」とスポーツシューズ専門メーカー、鬼塚商会を神戸で創業。「オニツカタイガー」のブランドで知られ、品質が高く評価された。スポーツウエアメーカーとの合併に伴い、77年にはアシックスへ社名を変更。創業者として世界的ブランドに育て上げた。92年には社長を退き、会長に就任していた。


2007年9月29日(土曜日)

上福元勤氏(元巨人内野手)が死去

カテゴリー: - touse @ 10時39分52秒

元巨人内野手の上福元勤(かみふくもと・つとむ)氏が07年9月29日午後4時20分、直腸がんのため東京都内の病院で死去した。41歳だった。上福元氏は早実では荒木大輔(現西武コーチ)の1年後輩で82年に春、夏甲子園に三塁手として出場。ベスト8に進出した。
83年ドラフト6位で巨人入団。内野手として3年間在籍したが1軍出場はなかった。86年引退後もマスターズリーグに参加するなど活動を続けていた。


2007年9月25日(火曜日)

松永信夫氏(元サッカー日本代表選手)が死去

カテゴリー: - touse @ 18時06分29秒

松永信夫氏(まつなが・のぶお=元サッカー日本代表選手)07年9月25日午前8時、悪性リンパ腫のため静岡県藤枝市の病院で死去、85歳。静岡県出身。
日本代表でプレーし、日本が初めてW杯に挑んだ54年の韓国との予選第2戦に出場した。


2007年9月24日(月曜日)

逢坂浩司氏(アニメーター)が死去

カテゴリー: - touse @ 18時04分43秒

逢坂浩司氏(おうさか・ひろし=アニメーター)07年9月24日午前7時8分、大阪府寝屋川市の病院で死去、44歳。大阪府出身。
 「機動武闘伝Gガンダム」「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」など、人気アニメのキャラクターデザインや作画を手掛けた。


2007年9月22日(土曜日)

望月朴清氏(小鼓奏者、歌舞伎音楽囃子の人間国宝)が死去

カテゴリー: - touse @ 18時02分43秒

望月朴清氏(もちづき・ぼくせい=小鼓奏者、歌舞伎音楽囃子〈はやし〉の人間国宝、本名安倍啓仁=あべ・ひろまさ)07年9月20日午前8時50分、肝不全のため東京都千代田区の病院で死去、73歳。東京都出身。
小鼓奏者として歌舞伎界を引っ張り、今月17日まで東京・歌舞伎座の舞台に立っていた。


2007年9月21日(金曜日)

横浜元オーナー中部慶次郎氏が死去

カテゴリー: - touse @ 22時53分35秒

90年から02年まで大洋球団、横浜ベイスターズのオーナーを務めた中部慶次郎氏(なかべ・けいじろう=元大洋漁業〈現マルハ〉社長)が07年9月17日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。74歳。山口県出身。
中部氏は球団オーナー時代の92年11月、球団名を「横浜大洋ホエールズ」から企業名を外して「横浜ベイスターズ」と変えた。地域への密着度を強め、親会社に頼らない独立採算を目指すなど球界に新風を吹き込んだ。それ以後は球団経営は球団社長に任せ、ファンの立場でチームを応援した。98年、38年ぶりの日本一に導いた権藤監督が選手に対し「監督と呼ぶな」と命じた際には「では、権藤さんも私をオーナーではなく『慶ちゃん』と呼ぶように」と冗談を飛ばすなど、現場と気軽に接するオーナーだった。
02年に球団株を手放す際には、ニッポン放送への譲渡がオーナー会議で却下され、最終的にTBSに譲渡先が決まりオーナーを退任した。一時暗礁に乗り上げた際も「ファンとともに育ててきた大切な球団。株を売れば、あとは知らないというわけにはいかない」と、最後まで球団への愛情に変わりはなかった。


2007年9月18日(火曜日)

ピンク・レディー振付師土居甫さんが死去

カテゴリー: - touse @ 14時09分43秒

ピンク・レディーやザ・タイガースの振り付けを担当した振付師の土居甫(どい・はじめ)さんが07年9月14日午前9時33分、悪性リンパ腫などのため、都内の病院で亡くなった。70歳。愛媛県出身。
関係者によると、10年以上前からパーキンソン病との闘病を続けていたが、最近まで、舞台の仕事を精力的に続けていたという。
55年に作家獅子文六氏を頼って上京。57年に東宝演劇部所属となり、東宝ミュージカル、新宿コマ劇場などに出演した。日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演した際は、ザ・タイガースやザ・ピーナッツを振り付けた。
また、同局系「スター誕生」出身の森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」を担当、ピンク・レディーの手足を激しく動かすダイナミックなダンスを考案した。未唯(49)は「昨日、お目にかかったばかりなのに…」と、恩人の死去にショックを隠せなかった。


2007年9月15日(土曜日)

長船騏郎氏(全日本アマチュア野球連盟会長)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時50分14秒

 長嶋ジャパンの生みの親で全日本アマチュア野球連盟会長の長船騏郎氏(おさふね・きろう)が07年9月10日午前11時2分、肺炎のため東京・港区の病院で死去していたことが13日、分かった。83歳。

 入院中だった長船氏の容態が悪化したのは、東京6大学秋季リーグ戦が開幕した8日のことだった。9日夜に急転、そのまま帰らぬ人になった。日本学生野球協会・内藤雅之事務局長(46)が最後に電話連絡をとった6日には「今日は歩く練習をしたんだけど、点滴の管がじゃまで転んでしまった」と元気に話をしていたという。8月3日に行った血液検査の結果が悪く入院したが、それ以来病状は快方に向かっており、今月上旬には退院を予定していた。突然の訃報(ふほう)に、球界関係者に衝撃が走った。

 半世紀以上にわたり、アマ野球界の発展に貢献してきた。早大を卒業後、一般企業を経て52年1月から日本学生野球協会に勤務した。以来55年間にわたって同協会事務局長などを歴任した。00年には日本代表編成委員会の初代会長に就任。04年アテネ五輪の長嶋ジャパン、さらに北京五輪に挑む星野ジャパンの生みの親として、プロアマの垣根を越えて球界発展のために尽力してきた。

 葬儀・告別式は約30人の親族に加えて、内藤事務局長ら連盟関係者2人だけが出席し、しめやかに営まれた。今後はお別れ会を行う予定。15日の東京6大学リーグは半旗を掲げる。

 酒、たばこはやらず、学生たちを交えて焼き肉や豚カツも愛した。近年はプールトレーニングなど体調管理に気を配っていた。「北京で日の丸が揚がるシーンを見て欲しかった」と内藤事務局長。日本野球連盟会長の山本英一郎氏、日本高野連名誉会長の牧野直隆氏に続き、アマ野球界の重鎮がこの世を去った。

◆長船騏郎(おさふね・きろう)
1924年(大13)1月30日、岡山県生まれ。天理中から早大に入学し、捕手としてベンチ入り。42年秋のリーグ戦後に戦渦が激しくなり、43年9月に繰り上げ卒業。日本ステンレス(現新日鉄住金ステンレス)日冷商事を経て、52年1月から日本学生野球協会に勤務し、70年に常務理事、05年からゼネラルディレクター。00年に日本代表編成委員会委員長、07年から全日本アマチュア野球連盟会長に就任した。

2007年9月7日(金曜日)

オスカー女優ナンシー梅木さんが死去

カテゴリー: - touse @ 23時38分39秒

 日本人で初めて米アカデミー賞助演女優賞を受賞した元女優のナンシー梅木(うめき)さん(本名梅木美代志=うめき・みよし)が07年8月28日に米ミズーリ州リッキングの養老施設で、がんのため死去していたことが6日、分かった。78歳。家族が明らかにした。57年の米映画「サヨナラ」に出演、翌年オスカーを受賞したが、72年に芸能界から引退していた。引退後の生活は近親者以外に知る人はなく、俳優としては日本人でただ1人オスカーを手にしながら、伝説的な存在となっていた。

 北海道小樽市出身で、歌手を志し上京。米軍キャンプでジャズを歌うようになり、ハスキーボイスの本格的歌手として人気になった。55年に渡米後、テレビショーやオーディション番組で関係者の目に留まり、映画界入りした。

 マーロン・ブランド主演「サヨナラ」では、第二次世界大戦後の日本で、米兵と恋に落ち、最後に心中する悲劇的な日本人女性カツミを演じた。現在に至るまで同部門で受賞した唯一の日本人。結婚相手を演じたレッド・バトンズも同作で助演男優賞を受賞した。

 オスカー受賞後もブロードウェーのミュージカル「フラワー・ドラム・ソング」にも出演、トニー賞にもノミネートされた。72年に芸能界から引退。私生活では、58年にテレビ局幹部のフレデリック・オピー氏と結婚したが、その後離婚。68年にドキュメンタリー映画監督のランドール・フッド氏と再婚した。しかし76年に死別し、ハワイに移住した。晩年は息子夫婦の住むミズーリ州で暮らしていた。

◆ナンシー梅木(うめき)
本名梅木美代志。1929年(昭和4年)5月、北海道小樽市生まれ。誕生日には6日と8日説、4月生まれ説もある。ジャズ歌手として活躍していたころ、故江利チエミさん主演のミュージカル映画「青春ジャズ娘」などに出演。オスカー受賞後も「嬉し泣き」「戦略泥棒作戦」などのコメディー映画に出演した。


2007年9月6日(木曜日)

佐藤真氏(ドキュメンタリー映画作家)が全身打撲のため死去

カテゴリー: - touse @ 15時11分00秒

佐藤真氏(さとう・まこと=ドキュメンタリー映画作家)07年9月4日午後2時20分、全身打撲のため東京都板橋区の病院で死去、49歳。青森県出身。
新潟水俣病が発生した阿賀野川流域の人々を撮影した「阿賀に生きる」は、93年に山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞を受賞。ほかの作品に「まひるのほし」「花子」など。京都造形芸術大教授。昨年からうつ病で入退院を繰り返しており、4日午後、都内の団地の階段から飛び降りたという。


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