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月別過去ログ

2007年10月30日(火曜日)

三遊亭円好さん(落語家)が死去

カテゴリー: - touse @ 18時09分31秒

落語家の三遊亭円好(さんゆうてい・えんこう)さん(58、本名・甘粕隆義=あまかす・たかよし)が東京都荒川区の自宅で死亡していたことが07年10月29日、分かった。マンションの管理人から通報を受けた警視庁尾久署員が26日、見つけた。
同署によると、円好さんは11日ごろ、虚血性心不全で死亡したとみられる。円好さんは1人暮らし。マンションの隣人が「最近、見かけない」と管理人に報告し、寝室で倒れているのが見つかった。
円好さんは神奈川県藤沢市出身。68年に三遊亭円楽門下に入り、69年に円生門下に移った。79年に円生さんが倒れた落語会に付き添い、病院で最期をみとっていた。その後、落語協会に復帰したが、ここ数年は正月の初席に出るくらいで、病気で通院していたという。


2007年10月29日(月曜日)

内藤ルネさん(イラストレーター)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時41分47秒

少女雑誌の口絵で一世を風靡(ふうび)したイラストレーターの内藤ルネ(ないとう・るね、本名功=いさお)さんが07年10月24日午前、心不全のため静岡県伊豆市の自宅で死去した。74歳。愛知県出身。
画家の故中原淳一氏に師事し、50年代から60年代にかけ、少女雑誌「ジュニアそれいゆ」「少女クラブ」「りぼん」「なかよし」「女学生の友」などに、洗練されたファッションの少女を描き、人気を博した。


晴乃ピーチクさん(漫談家)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時06分46秒

漫談家の晴乃ピーチクさん(はるの・ぴーちく、本名・直井利博=なおい・としひろ)が07年10月23日午後4時10分、肺がんのため東京都足立区の病院で死去したことが24日、分かった。82歳だった。
ピーチクさんは栃木県出身で、54年に漫才コンビ「晴乃ピーチク・パーチク」を結成。「見たかや聞いたかや」のギャグで人気を集めた。73年にコンビを解消した後は似顔絵漫談で活躍し、好きな絵で二科展にも入選した。今月6日が最後の高座になった。


2007年10月28日(日曜日)

佐々木芳雄氏(元日本テレビ社長、元民放連会長)が死去

カテゴリー: - touse @ 10時08分20秒

佐々木芳雄氏(ささき・よしお=元日本テレビ社長、元民放連会長)07年10月22日午後6時37分、心不全のため東京都稲城市の病院で死去、94歳。東京都出身。読売新聞社常務、副社長などを経て88年に日本テレビ副会長。


2007年10月23日(火曜日)

松島寿三郎氏(歌舞伎長唄三味線方の人間国宝)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時04分42秒

松島寿三郎氏(まつしま・じゅさぶろう=歌舞伎長唄三味線方の人間国宝、本名・白石弘=しらいし・ひろし)07年10月19日午後6時10分、心不全のため東京都豊島区の病院で死去、86歳。東京都出身。
4代目松島寿三郎に師事し、64年に5代目松島寿三郎を襲名。歌舞伎長唄の三味線奏者の第一人者として活躍、多くの舞台で立三味線を務めたほか、舞台わきで演奏する「黒御簾音楽」でも活躍。98年「歌舞伎音楽長唄」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に選ばれた。


2007年10月21日(日曜日)

島田信広さん(元オートレーサー)が死去

カテゴリー: - touse @ 10時16分27秒

オート界のスーパースターとして90年代に活躍した島田信広(しまだ・のぶひろ)さんが07年10月18日午前10時35分、食道ガンのため千葉県成田市内の病院で亡くなった。57歳だった。島田さんは、73年、23歳でデビュー。オートレーサーになる前はサラリーマンで、脱サラ選手として話題となった。デビューから18年目の90年にスーパースター王座決定戦で優勝、初めてSGタイトルを手にした。これをきっかけに、次々にタイトルを獲得、90年代に14個のSGを制するなど一時代を築いた。99年2月15日には、49歳で全日本選抜に優勝。これは史上最年長のSG制覇で、現在まで破られていない。豪快なハンドルさばきがファンを魅了、白星を量産した。ケガにも強く、40歳代でスターダムに上り詰めたことから「鉄人」のニックネームでファンに愛された。
02年10月16日、体力の限界を理由に現役を引退。健康食品関係の代理店を経営、順調に事業を拡大していたが、今年4月末、体調を崩して入院。食道がんと診断され、闘病していた。
オートMVPを6回受賞(史上最多)したほか、日刊スポーツ新聞社制定のオート3賞では殊勲賞6回を筆頭に技能賞、特別賞など8回の栄誉に輝いた。

◆島田信広(しまだ・のぶひろ)
1950年(昭和25年)1月28日生まれ。長野県出身。73年デビューの11期生。船橋所属。通算勝利数は1292勝。SG優出45回(歴代1位)で14回優勝(歴代2位)。最年長SGV記録やSG完全V(2度)、SG3連覇(2度)など数々の記録を打ち立て、ファンからは“鉄人”と呼ばれた。02年10月16日のG1船橋オート祭を最後に現役を引退した。

2007年10月19日(金曜日)

中村長芳氏(ロッテ、太平洋クラブの元オーナー)が死去

カテゴリー: - touse @ 22時35分40秒

中村長芳氏(なかむら・ながよし=ロッテ、太平洋クラブの元オーナー)07年10月18日午前1時30分、心不全のため山口市の病院で死去、83歳。山口県出身。自宅は山口市泉都町。
岸信介元首相の秘書官を務めた後、71年にプロ野球ロッテのオーナーに就任。72年から太平洋クラブ(76年10月にクラウンライターに変更)のオーナーになり、78年に西武に球団を売却するまで経営にかかわった。


2007年10月18日(木曜日)

元五輪水泳選手でタレント、木原光知子さん死去

カテゴリー: - touse @ 23時36分43秒

東京五輪水泳日本代表で、引退後はタレントとしても活躍した木原光知子さんが07年10月18日午前1時25分、くも膜下出血のため神奈川県内の病院で死去した。59歳。13日に小学生に水泳を教えていた最中に倒れたという。木原さんは高校在学中の16歳で最年少選手として五輪出場を果たし、女子400メートルメドレーリレーのアンカーで4位入賞した。スポーツタレントの先駆けで、水泳の普及にも力を尽くした。

日本水泳連盟などによると、木原さんは13日、神奈川・平塚市の市民プールで「木原光知子親子水泳教室」を開催していた。小学生らに教えている最中に、水の中で気分が悪くなりそのまま倒れたという。意識はなく、くも膜下出血だった。平塚市民病院に運ばれ、約2時間後には1度は意識が戻った。しかし、その後病状が悪化。岡山から駆け付けた母綾子さん(89)の必死の看病を受けたが、回復することなく息を引き取った。

健康美タレントの代表的存在で、倒れるまでは精力的に活動していた。今月上旬には代表を務めるミミスイミングクラブ主催の水泳イベントで千葉県を訪れ、4500人の参加者の前であいさつをしたり、自らも泳ぐなど元気な姿を見せていた。週に1回、大阪市内のスイミングスクールでも教えていた。

10月更新したホームページには、来年の北京五輪に向け、アスリートたちに「スポーツ選手にとって24時間すべてが訓練の場」とつづっている。周囲の人々は「とても元気そうで、体調が悪いようには見えなかった」「今も毎日1キロ泳ぐことを日課としていたのに」と、突然の悲報にショックを受けている。

木原さんは岡山市立旭中学時代に頭角を現し、岡山・山陽女子高在学中に東京五輪に出場。女子400メートルメドレーリレーで自由形を泳ぎ、4位入賞に貢献した。日本新記録を何度も更新する実力とともに、愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、一躍アイドル選手となった。

日大在学中に引退し、東レの水着モデルでタレントに転身。70年には、五輪を目指す水泳選手を描いたドラマ「金メダルへのターン!」に本人役で出演し、話題に。「ゆうひが丘の総理大臣」(78年)、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」(81年)などのほか、人気バラエティー「クイズDEデート」の司会でも人気を集めた。

東レ役員や、各種スポーツ団体の理事を務め、水着ブランドや水泳教室「ミミスイミングクラブ」の運営など、ビジネス界でも成功を収めた。水泳を通して、芸能界、政財界にも幅広い人脈を持ち、他ジャンルの著名人とも親交が深かった。05年には日本水泳連盟理事に就任。自らも選手としてマスターズ水泳の普及、発展にも貢献。

木原光知子

◆木原光知子(きはら・みちこ)
本名・木原美知子。1948年(昭和23年)4月5日、兵庫県生まれ。高校在学中の64年、東京五輪に最年少スイマーとして出場。「ミミ」の愛称で人気者になった。競技を引退後、東レの水着モデルを務めタレントに転向。番組司会などでも活躍した。最近は、ミミスイミングクラブ(全国10カ所)の代表として水泳指導に取り組み、女性水泳大会「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を立ち上げ大会委員長に。05年4月、日本水泳連盟の理事に就任。


2007年10月16日(火曜日)

「通天閣の顔」西川孝氏(通天閣観光取締役)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時40分59秒

浪速のシンボル・通天閣の運営会社「通天閣観光」取締役で、名物営業部長だった西川孝(にしかわ・たかし)氏が07年10月14日午後10時40分、肺がんのため大阪市天王寺区の大阪警察病院で死去した。75歳。大阪市出身。
56年10月、再建された通天閣の開業直前に入社。年間入場者数が20万人を割った70年代の低迷期や、通天閣が有形文化財になり入場者数が100万人に迫る近年の盛り返しまで、約50年にわたり経営を支えた。
開業から残る唯一の社員で、87年に営業部長に就任。通天閣の「顔」として親しまれた。展望台からの豆まき、将棋の阪田三吉にちなんだ王将祭、ビールの女王選定会など今や恒例となった行事を打ち出す攻めの営業で、通天閣の知名度を上げた。03年、阪神が18年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしたときには、通天閣5階展望台の窓枠に優勝決定試合のスコアを1回ごとに掲示した。


2007年10月14日(日曜日)

建築家の黒川紀章さんが死去

カテゴリー: - touse @ 10時57分03秒

 今年4月の東京都知事選への出馬で話題となった、建築家の黒川紀章さんが07年10月12日午前8時42分、心不全のため東京女子医大病院で死去した。73歳。7月の参院選の活動中から体調を崩し、3日前から同病院に入院していた。妻で女優の若尾文子(73)ら親族がみとった。日本を代表する建築家として国際的に活躍し、最近はバラエティー番組でも独特の存在感を示していた。

 黒川さんは4月の都知事選に出馬したころから体調を崩し、7月の参院選中に悪化した。京都遊説など、予定していたスケジュールを当日に中止することも多かったほか、車いすで点滴を打つ姿もみられた。選挙活動の最終日は演説を行えず、開票後の打ち上げにも参加しなかった。その後通院を繰り返し、3日前から入院していた。

 都内で会見した共生新党の伏原靖二事務局長は「猛暑の選挙戦で、心身ともに激務だった。午前中に取材などの予定を組んでも、極度の低血圧で時間通りに起きて来られないこともあった。かなり疲弊している印象で、急変したとは思っていない」と話した。

 関係者によると、黒川さんは約20年前に肝硬変を患い、酒とたばこをやめた。昨年には大腸の手術を受けた。揚げ物も衣を取り、中身だけ食べるなど気を使い、大量の処方薬も飲んでいたという。国際的に活躍する建築家だけに、海外出張も多かった。参院選後の8月にはロシアで10日間の出張をこなしたが、その後の中国での仕事はキャンセル。事務所に隣接するホテル内にも居住部屋を持っていたが、9月に出社したのは5回のみだった。

 名古屋市出身。京大建築学科を卒業後、東大大学院で丹下健三氏に師事した。「建築家には哲学と思想が必要」が持論で、建築も新陳代謝をすべきだとする「メタボリズム」を菊竹清訓さんらと提唱した。その思想に基づいたのが交換可能な箱形カプセルをくみ上げた集合住宅の中銀カプセルタワービル。そのほか作品は国立新美術館、国立民族学博物館など国内各地にあり、海外でもゴッホ美術館新館(アムステルダム)、クアラルンプール国際空港など20カ国以上にのぼる。

 最近は政治にも意欲を示し、今年4月の東京都知事選、7月の参院選にも東京選挙区から出馬したが、落選した。

 奇才とユーモアを兼ね備えたオープンマインドな人柄でも知られた。妻、若尾文子には「君の美しさはバロックだ」と口説いた。都知事選では「投票日は誕生日なのでパリにいます」。ガラス張り選挙カー、クルーザー遊説、ヘリ移動などリッチで型破りな選挙パフォーマンスも注目の的となった。最終日には新宿駅西口で演説中の石原慎太郎氏の近くまやってきて「石原さんにはこの歌を送ります」と「銀座の恋の物語」をうなってみせた。バラエティー番組でも引っ張りだことなり「私の年収は200億」「私が参院選で誰に投票したかは秘密」などと独特の黒川語録も話題になった。

黒川紀章

◆黒川紀章(くろかわ・きしょう)
1934年(昭9)4月8日、名古屋生まれ。57年に京大建築学科を卒業後、東大大学院に進み、丹下健三研究室に学ぶ。父親も建築家で「定規を使わず真っすぐな線を引く姿にあこがれて」同じ道に。60年代から「共生」を提唱し、著書「共生の思想」(87年)は英語、ドイツ語訳された。主な作品に国立民族学博物館、国立新美術館、ヴァン・ゴッホ美術館(オランダ)など。今年4月の東京都知事選では「共生新党」を結成し出馬したが落選。同7月の参院選では同党から東京選挙区に出馬し落選した。90年日本建築学会賞、92年日本芸術院賞、06年文化功労者。妻は女優の若尾文子。

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