今年4月の東京都知事選への出馬で話題となった、建築家の黒川紀章さんが07年10月12日午前8時42分、心不全のため東京女子医大病院で死去した。73歳。7月の参院選の活動中から体調を崩し、3日前から同病院に入院していた。妻で女優の若尾文子(73)ら親族がみとった。日本を代表する建築家として国際的に活躍し、最近はバラエティー番組でも独特の存在感を示していた。
黒川さんは4月の都知事選に出馬したころから体調を崩し、7月の参院選中に悪化した。京都遊説など、予定していたスケジュールを当日に中止することも多かったほか、車いすで点滴を打つ姿もみられた。選挙活動の最終日は演説を行えず、開票後の打ち上げにも参加しなかった。その後通院を繰り返し、3日前から入院していた。
都内で会見した共生新党の伏原靖二事務局長は「猛暑の選挙戦で、心身ともに激務だった。午前中に取材などの予定を組んでも、極度の低血圧で時間通りに起きて来られないこともあった。かなり疲弊している印象で、急変したとは思っていない」と話した。
関係者によると、黒川さんは約20年前に肝硬変を患い、酒とたばこをやめた。昨年には大腸の手術を受けた。揚げ物も衣を取り、中身だけ食べるなど気を使い、大量の処方薬も飲んでいたという。国際的に活躍する建築家だけに、海外出張も多かった。参院選後の8月にはロシアで10日間の出張をこなしたが、その後の中国での仕事はキャンセル。事務所に隣接するホテル内にも居住部屋を持っていたが、9月に出社したのは5回のみだった。
名古屋市出身。京大建築学科を卒業後、東大大学院で丹下健三氏に師事した。「建築家には哲学と思想が必要」が持論で、建築も新陳代謝をすべきだとする「メタボリズム」を菊竹清訓さんらと提唱した。その思想に基づいたのが交換可能な箱形カプセルをくみ上げた集合住宅の中銀カプセルタワービル。そのほか作品は国立新美術館、国立民族学博物館など国内各地にあり、海外でもゴッホ美術館新館(アムステルダム)、クアラルンプール国際空港など20カ国以上にのぼる。
最近は政治にも意欲を示し、今年4月の東京都知事選、7月の参院選にも東京選挙区から出馬したが、落選した。
奇才とユーモアを兼ね備えたオープンマインドな人柄でも知られた。妻、若尾文子には「君の美しさはバロックだ」と口説いた。都知事選では「投票日は誕生日なのでパリにいます」。ガラス張り選挙カー、クルーザー遊説、ヘリ移動などリッチで型破りな選挙パフォーマンスも注目の的となった。最終日には新宿駅西口で演説中の石原慎太郎氏の近くまやってきて「石原さんにはこの歌を送ります」と「銀座の恋の物語」をうなってみせた。バラエティー番組でも引っ張りだことなり「私の年収は200億」「私が参院選で誰に投票したかは秘密」などと独特の黒川語録も話題になった。

- ◆黒川紀章(くろかわ・きしょう)
1934年(昭9)4月8日、名古屋生まれ。57年に京大建築学科を卒業後、東大大学院に進み、丹下健三研究室に学ぶ。父親も建築家で「定規を使わず真っすぐな線を引く姿にあこがれて」同じ道に。60年代から「共生」を提唱し、著書「共生の思想」(87年)は英語、ドイツ語訳された。主な作品に国立民族学博物館、国立新美術館、ヴァン・ゴッホ美術館(オランダ)など。今年4月の東京都知事選では「共生新党」を結成し出馬したが落選。同7月の参院選では同党から東京選挙区に出馬し落選した。90年日本建築学会賞、92年日本芸術院賞、06年文化功労者。妻は女優の若尾文子。