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月別過去ログ

2007年12月27日(木曜日)

小野忠彦氏(全日本大学野球連盟専務理事)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時24分54秒

小野忠彦氏(おの・ただひこ=全日本大学野球連盟専務理事、関西学生野球連盟理事長)07年12月25日午後7時、胃がんによる多臓器不全のため東京都文京区の病院で死去、74歳。香川県出身。


2007年12月26日(水曜日)

藤井道夫氏(元プロ野球阪急選手)が死去

カテゴリー: - touse @ 18時37分57秒

藤井道夫氏(ふじい・みちお=元プロ野球阪急選手、同球団編成部長)07年12月23日午後3時40分、肺炎のため兵庫県西宮市の病院で死去、85歳。香川県出身。
50年に阪急入団。実働8年で外野手、三塁手として876試合に出場。引退後はスカウトを務め、盗塁王として名をはせた福本豊氏の獲得に尽力した。


山本孝史氏(民主党)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時08分33秒

 参院本会議でがんを告白、闘病を続けながら今夏の参院選で再選された民主党の山本孝史(やまもと・たかし)氏が07年12月22日午後11時50分、胸腺がんのため東京都内の病院で死去した。58歳。

 大阪市出身。5歳の時に兄を交通事故で失い、交通遺児育英会の活動を経て93年衆院選で日本新党から初当選した。01年から参院(大阪選挙区)で活動。05年末にがんを告知された。06年5月、参院本会議の質問でがんを告白するとともに、がん対策基本法の早期成立を訴えた。山本氏の訴えは与野党の壁を取り払い、法案はスピード成立。今年4月から施行された。

 比例代表に立候補した参院選では、週1度の抗がん剤治療を受け、移動式酸素吸入器を携えながら街頭に立ち「国民の命を守るのが政治家の役割」と訴えた。同党最後の20議席目で当選。「時間を無駄に過ごさず、今できる仕事をやる。体をいとおしみながらやれば、3年でも6年でもできる」と述べ、がん対策や医療格差解消に取り組む意欲を示していた。山本氏の死去に伴い、同党の比例代表名簿から元衆院議員の大石尚子氏(71)が繰り上げ当選する見通し。

山本孝史


2007年12月21日(金曜日)

佃光雄氏(ツクダ創業者)が死去

カテゴリー: - touse @ 13時42分00秒

佃光雄氏(つくだ・みつお=ツクダ=現メガハウス=創業者)07年12月21日午前0時45分、肺炎のため東京都中央区の病院で死去、94歳。北海道出身。
35年にツクダの前身となるツクダヤ商店を創業。「フラフープ」などの日本への輸入や、60年代にブームを巻き起こしたダッコちゃん人形の販売を手掛けた。オセロなどのヒット商品の仕掛け人としても知られた。


2007年12月20日(木曜日)

田中徳三氏(映画監督)が死去

カテゴリー: - touse @ 13時39分47秒

田中徳三氏(たなか・とくぞう=映画監督)07年12月20日午後7時40分、脳出血のため奈良県橿原市の病院で死去、87歳。大阪市出身。
48年、大映京都撮影所に入社。市川雷蔵主演の「眠狂四郎」シリーズ数作をはじめ、「座頭市」シリーズなど時代劇中心に作品を量産した。代表作はほかに「兵隊やくざ」「悪名」(いずれも勝新太郎さん主演)シリーズ。


2007年12月18日(火曜日)

宮内和之氏(ICEのギタリスト)が耳下腺がんのため死去

カテゴリー: - touse @ 13時29分37秒

宮内和之氏(みやうち・かずゆき=音楽ユニットICEのギタリスト)07年12月18日午前9時30分、耳下腺がんのため都内の病院で死去。43歳。5年前から闘病生活を送り、今年9月から自宅療養していたが、15日に急変した。
93年に国岡真由美とICEを結成してデビュー。遺作は第16弾アルバム「Speak Low」(10月)。ウルフルズや斉藤和義らと親交が深かった。


2007年12月17日(月曜日)

五島哲さん(日本実業団陸上競技連合会長で東京急行電鉄取締役)が急死

カテゴリー: - touse @ 13時27分07秒

07年12月16日午前11時半ごろ、日本実業団陸上競技連合会長で東京急行電鉄取締役の五島哲さん(59)が岐阜市内のホテルの部屋で倒れているのを、全日本実業団対抗女子駅伝関係者が発見した。119番したが、消防署員が駆け付けた時にはすでに死亡していた。病死とみられる。岐阜北署などによると、五島さんは正午スタートの駅伝に行く予定だったが、時間になっても出てこないので、関係者が室内に入り発見した。


2007年12月16日(日曜日)

島野育夫阪神特命コーチが死去

カテゴリー: - touse @ 13時24分48秒

 阪神、中日で星野仙一監督(60)の参謀役を務めた島野育夫(しまの・いくお)氏が07年12月15日午後9時5分、胃がんのため西宮市内の病院で死去した。63歳だった。栃木県出身。
コーチ、2軍監督などを歴任し、今季は1、2軍を巡回する総合特命コーチとして阪神に在籍していたが、体調の悪化から入退院を繰り返していた。今季限りでユニホームを脱ぎ、アドバイザーとしてフロント入りする予定だった。

 球界の名参謀が帰らぬ人となった。阪神、中日で星野仙一監督を支えるコーチ職を務めてリーグ制覇に貢献した島野氏が、胃がんのため死去した。06年には阪神2軍監督に就任したが、4月から長期入院を余儀なくされた。胃の摘出手術などを経て、今季は総合特命コーチに就任。病と闘いながら、1軍ベンチやクラブハウスを訪れてナインを激励することもあったが、再びユニホームを着ることはかなわなかった。

 作新学院、明電舎を経て63年に中日に入団。68年に南海に移籍すると73年には61盗塁をマークするなど俊足の外野手として強豪チームのレギュラーを張った。阪神に移籍後の80年に現役を引退。その後は阪神と中日で1軍ヘッドコーチや2軍監督などの要職を務めた。卓越した野球理論と人心掌握術でチーム強化に携わった。

 特に北京五輪出場を決めた日本代表の星野監督との絆(きずな)の深さで知られる。星野中日監督時代をコーチとして支えた。さらに01年オフに星野監督が中日を退団、阪神の指揮を執ると、中日2軍監督だった島野氏は阪神に移った。星野=島野体制の2年目、03年にコーチとしてセ・リーグ制覇に貢献した。体調の悪化から今季限りで阪神のユニホームを脱ぎ、来季からはアドバイザーとしての活躍が期待されていた。

◆島野育夫(しまの・いくお)
1944年(昭19)3月30日、栃木県宇都宮市出身。間々田中−作新学院−明電舎を経て63年に中日入団。3年目の65年に1軍定着。68年に南海に移籍した。73年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。76年に阪神移籍。80年に引退するまで現役18年間で1466試合に出場し、3029打数733安打で打率2割4分2厘、24本塁打、211打点、251盗塁。阪神守備走塁コーチ時代の82年大洋戦で判定をめぐり柴田猛コーチとともに審判に暴行、無期限出場停止となるが、翌年には解除。02年から星野阪神のヘッドコーチ、04年にフロント入りしたが、05年から総合コーチとして復帰。06年2軍監督、07年総合特命コーチに就任した。

2007年12月15日(土曜日)

井上忠行氏(元プロ野球セ・リーグ審判部副部長)が死去

カテゴリー: - touse @ 13時21分27秒

井上忠行氏(いのうえ・ただゆき=元プロ野球セ・リーグ審判部副部長)が07年12月15日午後6時55分、急性心筋こうそくのため、沖縄県豊見城市の病院で死去、72歳。福岡県出身。
57年に西鉄に入団し、64年までプレー。引退後、セ・リーグ審判員となり、87年に中日の新人・近藤真一投手が巨人を相手にプロ初登板でノーヒットノーランを達成した試合で球審を務めた。


2007年12月14日(金曜日)

花井悠さん(元西鉄外野手)が死去

カテゴリー: - touse @ 13時18分50秒

西鉄ライオンズで活躍し、日刊スポーツで評論家、朝日放送でキャスターなどを務めた花井悠(はない・ゆう=大阪日刊スポーツOB会長)氏が07年12月14日、敗血症のため死去した。75歳だった。
花井氏は数日前に集中治療室に入って、1度は持ち直していた。だが、この日早朝に容体が急変。家族にみとられ息を引き取った。花井氏は1932年(昭7)1月9日生まれ。岐阜高時代の48、49年に2年連続で甲子園出場し、49年はエースとして準優勝。慶応大で外野手に転向、日本石油を経て57年に西鉄ライオンズに入団。3年連続日本一に貢献するなど主力メンバーとして活躍した。64年に現役引退後は西鉄打撃コーチを務め、当時在籍した尾崎将司にプロゴルファー転向を勧めたことで知られている。
その後、少年野球の指導にも力を注ぐなど各方面で活躍。68年に大阪日刊スポーツ新聞社に入社、野球評論家として活躍していた。


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