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月別過去ログ

2008年1月29日(火曜日)

百瀬博教さん(格闘プロデューサー)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時37分34秒

作家で格闘プロデューサーの百瀬博教(ももせ・ひろみち)さん(67)が東京都港区の自宅マンションで意識を失い、病院に搬送後、死亡していたことが28日、分かった。
警視庁赤坂署によると、百瀬さんの知人が08年1月27日午前2時40分ごろ、百瀬さんの自宅マンションを訪れた。風呂場の湯船の中で百瀬さんは意識を失っており、すぐ119番通報。病院に運ばれたが同日午後3時半ごろ、死亡が確認された。
百瀬さんのホームページなどによると、百瀬さんは東京都台東区の出身。立大では相撲部に所属し、映画「シコふんじゃった。」のモデルでもある。赤坂のホテルニュージャパン地階のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の用心棒も務めた。
親交のあった故石原裕次郎さんのボディーガードを買って出たこともあったという。3歳下のアントニオ猪木さんとは誕生日が同じ2月20日という縁もあって意気投合し、一緒に誕生会を開き、祝いあった仲でもあった。
総合格闘技イベント「PRIDE」のプロデューサーとしてもらつ腕を発揮した。著書に「プライドの怪人」「不良ノート」「空飛ぶ不良」「俺の裕次郎」などがある。


2008年1月25日(金曜日)

江藤俊哉(バイオリニスト)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時11分10秒

千住真理子さん、諏訪内晶子さんら多くの演奏家を育て、戦後日本のバイオリン界をリードしてきたバイオリニスト江藤俊哉(えとう・としや)さんが08年1月22日午前6時36分、死去した。80歳。東京都出身。
12歳で音楽コンクール(現日本音楽コンクール)第1位。東京音楽学校(現東京芸大)卒業後に渡米。カーティス音楽院在学中にカーネギーホールでデビューリサイタルを開いた。帰国後は演奏活動と同時に後進の指導にも励み、千住さんや諏訪内さんらを育てた。元桐朋学園大学長。日本芸術院会員。日本芸術院賞などを受賞。インスタントコーヒーのCMに「違いがわかる男」としても出演した。著書に「ヴァイオリンと共に」。


2008年1月24日(木曜日)

友景通忠氏(大相撲元十両栃忠)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時33分52秒

友景通忠氏(ともかげ・みちただ=大相撲元十両栃忠)08年1月21日午後9時55分、上行結腸がんのため東京都墨田区の病院で死去、67歳。山口県出身。


2008年1月23日(水曜日)

村木良彦氏(テレビマンユニオンの元社長、メディアプロデューサー)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時56分16秒

番組制作会社の草分けテレビマンユニオンの元社長でメディアプロデューサーの村木良彦(むらき・よしひこ)氏が08年1月21日午後10時17分、肝不全のため東京都新宿区の病院で死去した。72歳。仙台市出身。
59年にTBS入社。ドキュメンタリー「ハノイ・田英夫の証言」やドラマ「陽のあたる坂道」など、歴史に残る番組を手掛けた。70年に萩元晴彦さんや今野勉さんらと番組制作会社の草分けとなるテレビマンユニオンを設立し、放送界に新風を巻き起こし、東京MXテレビの総合プロデューサーなども歴任した。


2008年1月22日(火曜日)

加藤博一さん(野球評論家)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時20分26秒

 阪神、大洋(現横浜)などで活躍した加藤博一氏(野球評論家)が08年1月21日、午後0時54分に肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。加藤氏は85年には近藤貞雄監督(故人)の下で主に2番打者で活躍し、1番高木豊、3番屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成し一世風靡(ふうび)した。現役時代から「お笑いキャラ」として人気者だった。最近は指導者として現場復帰に意欲を見せていたが、夢はかなわなかった。23日に神奈川・逗子市内で通夜、24日に葬儀・告別式が営まれる。

 現役時代から「お笑いキャラ」で人気者だった加藤氏が突然、亡くなった。関係者によると、一昨年からがん治療で入退院を繰り返し闘病生活を続け、昨年2月には左肺を摘出。術後は仕事復帰したが、昨年6月ころから足に転移し歩くのも不自由な状態だった。最近は仕事も自粛し、現場に出る機会も減っていた。

 加藤氏の自宅に駆けつけて遺体と対面した佐々木主浩氏(日刊スポーツ評論家)は「安らかな顔で寝てるようだった。あの陽気な人が無言の帰宅なんて信じられない。ひと言では表せないくらいお世話になった人」と涙を流した。

 加藤氏は70年に西鉄ライオンズにテスト生で入団した。俊足を生かすため73年からスイッチヒッターに転向。76年には阪神に移籍し79年に江川卓(巨人)から初本塁打をマーク。翌80年には江川から28打数11安打で打率3割9分3厘、2本塁打と「怪物キラー」として活躍した。

 83年には大洋に移籍、85年には近藤貞雄監督の機動力野球で1番高木豊、2番加藤氏、3番屋鋪の「スーパーカートリオ」を結成。高木が42盗塁、加藤氏が48盗塁、屋鋪が58盗塁と、プロ野球史上唯一となる3人が40盗塁以上を記録した。

 現役時代から社会福祉活動には熱心で、よく体が不自由なファンを球場に招待していた。練習前、試合後には必ずそのファンにサインしていた。また施設に通う耳の不自由なファンたちを阪神戦に招待した際、バッターボックスに入る前にバットでヤリを突くポーズを見せて、加藤清正の「虎退治」と「加藤」をかけて喜ばせたエピソードがある。常に「人を喜ばせるのを意識した」人だった。

 引退後には明るい性格と巧みな話術で自ら「笑いがとれる解説者」とタレント性を発揮。お茶の間のファンも多かった。その一方で野球の知識や技術論も豊富で、佐々木氏やアストロズ松井稼頭央ら信奉する選手も多数いた。佐々木氏がマリナーズ時代にキャンプ中の球数制限で苦労する中、フォーム固めの一環でカーブを投げて調整する方法は同氏のアドバイスからだった。松井にはスイッチヒッターの練習法から、さらにメジャーの挑戦の際には代理人の選択、契約の詳細までアドバイスを送った。

 ただタレント性があるゆえに指導者としての道は厳しいものだったが、最近は現場復帰を熱望。「コーチとしてユニホームをもう1度、着たいな。後輩にいろいろとアドバイスできないのが、つらいんだよな。コソコソやるのはオレの性に合わん。メジャーも勉強できたし、日米ミックス型の指導者になりたい」と本音を漏らしていたが、願いはかなわなかった。

加藤博一

◆加藤博一(かとう・ひろかず)
1951年(昭26)10月9日、佐賀県多久市生まれ。多久工から西鉄に70年テスト入団。76年に阪神、83年に大洋へ、いずれもトレードで移籍。規定打席到達は80年(5位)と85年(26位)の2度だが、俊足好打の外野手として90年まで21年間現役でプレー。85年の39犠打はリーグトップ。86年オールスター出場(10打数3安打、1盗塁)。引退後の91年から07年まで解説者を17年続けていた。現役時代は178センチ、73キロ、右投げ両打ち。

2008年1月21日(月曜日)

オリックス雑賀忠夫球団社長が急死

カテゴリー: - touse @ 23時08分29秒

オリックス球団の雑賀忠夫代表取締役社長が08年1月19日午前4時54分、都内の北里研究所病院で胎児性肉腫のため急死した。62歳だった。
雑賀社長は1945年、神戸市生まれ。69年に現オリックスのオリエント・リースに入社。オリックス信託銀行取締役などを歴任し、07年1月にオリックス野球クラブ代表取締役に就任した。だが同年春に手術するなど入退院を繰り返していた。10月の高校生ドラフトには出席し、12月には出社していたが、年明けの今月4日に再入院していた。


中山万里さん(写真家)が死去

カテゴリー: - touse @ 00時22分52秒

中山万里さん(なかやま・まり、写真家)08年1月17日午後6時48分、転移性乳がんのため兵庫県尼崎市の自宅で死去、37歳。尼崎市出身。
フリーの写真家として森高千里や椎名林檎、福山雅治ら人気ミュージシャンのCDジャケット写真を手がける。06年4月、余命1年を宣告されたが、07年11月に初の写真集「空地への感謝」を出版、療養中もハスの花を撮り続けるなど精力的に活動していた。


2008年1月18日(金曜日)

鳥海尽三氏(シナリオ作家、放送作家)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時11分11秒

鳥海尽三氏(とりうみ・じんぞう=シナリオ作家、放送作家)が08年1月17日午前8時45分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、78歳。北海道出身。
アニメーション企画制作会社「竜の子プロダクション」などで多くのテレビアニメの企画・脚本を手掛けた。主な作品に「昆虫物語みなしごハッチ」「科学忍者隊ガッチャマン」「ヤッターマン」など。


2008年1月17日(木曜日)

吉田文吾(人形浄瑠璃文楽人形遣い)さんが死去

カテゴリー: - touse @ 14時02分38秒

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田文吾(よしだ・ぶんご)さん(本名・高橋輝雄=たかはし・てるお)が08年1月16日午前2時55分、肝臓がんのため大阪府松原市の自宅で死去した。73歳。大阪市出身。
51年、2代吉田玉五郎に入門し、小玉と名乗った。20年以上にわたって女形で修業したが、立役(男役)が手薄なために、病気がちだった2代桐竹勘十郎の代役を務めるうち、立役に転向した。82年、5代文吾を襲名。座頭格の人形を遣い、人間国宝の吉田玉男さんらを継ぐ世代として活躍した。得意な役は「勧進帳」の弁慶など。歌手宇崎竜童とロックをアレンジした「曽根崎心中」を上演するなど、若い世代に文楽の魅力を伝えるのにも積極的だった。


2008年1月12日(土曜日)

高杉一郎さん(作家で翻訳家)が死去

カテゴリー: - touse @ 23時19分09秒

戦後にベストセラーとなったシベリア抑留記「極光のかげに」で知られる作家で翻訳家の高杉一郎(たかすぎ・いちろう、本名小川五郎=おがわ・ごろう)さんが08年1月9日午後4時23分、急性心不全のため自宅で死去した。99歳。静岡県出身。


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