渡辺五郎氏(中央競馬会元理事長)が死去
渡辺五郎氏(わたなべ・ごろう=中央競馬会元理事長)08年2月25日午前6時45分、心不全のため東京都港区の病院で死去。81歳。
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2008年2月27日(水曜日)渡辺五郎氏(中央競馬会元理事長)が死去渡辺五郎氏(わたなべ・ごろう=中央競馬会元理事長)08年2月25日午前6時45分、心不全のため東京都港区の病院で死去。81歳。 2008年2月26日(火曜日)豊永常代さん(国内最高齢)が死去国内最高齢の豊永常代(とよなが・つねよ)さんが08年2月22日午後4時15分、老衰のため死去した。113歳。高知県出身。高知県南国市岡豊町中島、介護老人保健施設「夢の里」に入所していた。1894年(明治27年)5月21日生まれ。子5人、孫が10人。07年8月に福岡県小郡市の中野シツさんが113歳7カ月で亡くなり、国内最高齢者になった。 2008年2月25日(月曜日)神田厚氏(元防衛庁長官)が死去神田厚氏(かんだ・あつし=元防衛庁長官、元民主党衆院議員)08年2月22日午後10時44分、心筋こうそくのため栃木県真岡市の病院で死去、66歳。栃木県出身。自宅は栃木県益子町。 2008年2月24日(日曜日)山崎猛氏(俳優)が呼死去山崎猛(やまざき・たけし=俳優)氏が08年2月22日午後1時20分、呼吸不全のため東京都西東京市の病院で死去。63歳。東京都出身。 2008年2月18日(月曜日)日本プロゴルフ界の父・中村寅吉さん死去戦後のゴルフブームを巻き起こしたプロゴルファーの中村寅吉氏が08年2月11日午後4時15分、老衰のために神奈川県座間市の相模台病院で死去した。92歳だった。中村氏は「寅さん」の愛称で親しまれ、57年に埼玉・霞が関CCで行われたカナダ杯(現W杯)で優勝。引退後も指導者として多くのプロを育て、日本プロゴルフ界の発展に寄与してきた。自宅は神奈川県伊勢原市岡崎6696。葬儀、告別式は密葬。後日に日本プロゴルフ協会と日本女子プロゴルフ協会の合同葬(日時未定)が行われる。 戦後のプロゴルフ界を背負った偉大なプロゴルファーが逝った。「中村寅吉」の名が国内外に知れ渡ったのは今から半世紀前、57年のカナダ杯だった。世界の強豪を相手に団体、個人の2冠を獲得。158センチと小柄な男が大男を小技で圧倒した優勝は、ゴルフ人気を一気に爆発させた。 当時、ゴルフは不幸な時代だった。戦時中は外来ゲームとして肩身の狭い思いをし、戦後主なゴルフ場は進駐軍に接収された。ゴルフ界にとっての「空白の時代」を埋めたのが中村氏の優勝。最終日には当時最多記録の1万2000人のギャラリーが詰めかけ、ゴルフ人口は一気に増加した。所属する砧ゴルフ場は初心者で常に満員。中村氏の練習場所さえなくなる騒ぎだった。その後の高度経済成長で、ゴルフ場が次々と誕生。空前のブームを引っ張ったのが中村氏だった。 81年の関東プロシニアでは65で回り、公式戦初のエージシュートを達成。その後、公式戦だけで何と7回ものエージシュートを記録した。80歳を過ぎてコースに出ることはなくなったものの、ゴルフ場に通っては後輩のプレーを見守った。 7年前に妻フミさんを亡くし、その後は多くの弟子に囲まれて過ごした。一番弟子の安田春雄は「昨年秋に会ったのが最後。悲しいというよりも、92歳までよく頑張ってくれた。オヤジがいなかったら、今のゴルフ界はないんだから」と話した。昨年11月にはPGA設立50周年で、表彰されたばかり。石川遼ら若手の登場で再び活気を取り戻しつつあるゴルフ界を見つめながら「寅さん」が逝った。1つの時代は終わった。
2008年2月15日(金曜日)佐野実氏(財団法人鉄道弘済会会長)が死去佐野實氏(さの・みのる=財団法人鉄道弘済会会長、元日本国有鉄道清算事業団理事)が08年2月11日午後1時34分、肝不全のため東京都渋谷区代々木のJR東京総合病院で死去。68歳。 2008年2月11日(月曜日)日刊スポーツ評論家の鈴木保巳さん死去元競輪選手で競輪解説者の草分けとしても活躍した鈴木保巳(すずき・やすみ)氏が08年2月9日午前4時33分、前橋市内の病院で亡くなった。76歳だった。鈴木氏はコーチとしても多くの名選手を育て、66年の現役引退後は日刊スポーツ新聞社の評論家として健筆を振るった。データを重視した鋭い予想は多くのファンを魅了。競輪界への辛口の提言でも支持を集めた。 病床でもペンを離さなかった。少しでも体調が良ければレース実況を見ていた。「レースを見て、予想することが一番の薬なんだ」。そう話していた。 鈴木さんは現役を離れてからの41年間、競輪評論家として、予想だけでなく競輪界へ辛口の提言を続けていた。それもすべて競輪への愛があったから。常に「おれの人生は競輪そのもの。競輪がすべて」と語っていた。 06年冬に体調を崩し、07年2月に入院。現場への復帰を目指し、闘病生活を送っていたが、帰らぬ人となった。 48年に前橋高野球部の主将として夏の甲子園大会に出場。翌49年の日大入学後も野球を続けていたが、競輪へ転身。51年9月に日本競輪学校1期生として京王閣でデビューした。A級1班(現在のS級1班)の選手として活躍する傍ら、現役中に「鈴木競輪道場」を開設。当時、乗り込み中心の練習だった競輪界に、科学的な理論やトレーニングを持ち込み、木村実成、福島正幸らスター選手を育て、競輪王国・群馬を築いた。 長男一正さん(47)は父の跡を継ぎ、現役選手としてバンクを走っている。道子夫人もかつては女子選手として鳴らした競輪ファミリー。 日刊スポーツ評論家時代は、選手1人1人の成績をノートに取り、最高上がりタイムやゴール時の時速で好不調を見極めるなど、それまでになかったきめ細かい予想を展開。繊細かつ大胆な予想はファンに絶大な人気を博した。テレビ解説者としても、分かりやすい解説で人気があった。 売り上げが右肩上がりだった90年代前半から競輪界に警鐘を鳴らし続け、構造改革や施設の改善、ファンサービスなどの提言を続けた。「もう1度、競輪界に恩返しをしたい」というのが夢だったが…。 11日、その棺は鈴木さんがこよなく愛したグリーンドーム前橋を1周する。そこから、きっと笑顔で天国へのペダルをこぐことだろう。 河村昭三氏(レッスンの友社会長)が死去河村昭三氏(かわむら・しょうぞう=レッスンの友社会長)08年2月6日午後6時37分、肺炎のため都内で死去、80歳。富山県出身。 2008年2月4日(月曜日)木辺弘児氏(作家)が死去木辺弘児氏(きべ・こうじ=作家、本名・住田晴幹=すみた・はるき)08年2月2日、急性心不全のため兵庫県西宮市の自宅で死去、76歳。神戸市出身。 2008年2月2日(土曜日)中畑成氏(日本女子サッカーリーグ評議会議長、日テレ女子チームGM)が死去中畑成氏(なかはた・せい=日本女子サッカーリーグ評議会議長、日テレ女子チームGM)08年1月30日午前7時23分、がん性腹膜炎のため都内の病院で死去、63歳。長野県出身。 31 queries. 0.073 sec. |
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