2009年6月30日

日本女子マラソン界のパイオニア、永田七恵さん死去

 日本女子マラソンのパイオニア的存在で、1984年のロサンゼルス五輪代表の永田(旧姓・佐々木)七恵さんが27日に直腸がんで亡くなっていたことが29日、分かった。53歳だった。

 日体大時代まで中距離選手だった永田さんは、大学卒業後にマラソンに転向。瀬古利彦の師匠である中村清監督に指導を受け、81年のボストンマラソンで当時の日本最高となる2時間40分56秒を記録。その後、伸び悩みなどもあり、岩手での教員を辞職し、ヱスビー食品に入りして本格的に中村監督に師事した。厳しい指導もあり、83年の東京国際女子マラソンで初優勝を飾り、翌年のロス五輪に出場した。結果は19位だったが、その走り方から同時期にヒットしたテレビドラマにちなみ「おしん走法」と称された。

 五輪後の結婚を機に引退、2人の子供にも恵まれた。91年からヱスビー食品陸上部のコーチ、96年から顧問を務めた。

 ライバルだった増田明美さんは「昨年11月のシンポジウムで久しぶりに会って、気さくに話をした。戦友なので、これからも楽しくいきましょうねと話したのが最後になった。これから私たちの時代ならではのよさを互いに伝えていきたかったのに」と早すぎる死を悼んだ。

2009年6月26日

マイケル・ジャクソンさん死去

マイケルジャクソン

歌だけでなく「ムーンウオーク」など斬新なダンスで世界中を魅了したスーパースター、マイケル・ジャクソンさん(50)。訃報(ふほう)をニュースで知ったファンたちは25日、搬送先の米ロサンゼルス市内の病院に続々と集まり「自分の人生の一部だった」と早過ぎる死を嘆いた。

ジャクソンさんの死亡が確認されたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)メディカルセンターでは、殺到した数百人の報道陣やファンのため敷地の一角をテープで囲み規制を敷いた。14歳の時から寝室の壁にジャクソンさんのポスターを張っているというドーン・バージェスさん(43)は「ただショックです。彼は人生の一部のようでした」と沈痛な面持ちで話した。訃報は子供を学校へ迎えに行った途中にラジオで知り、涙があふれ出した。家に帰らず「敬意を示すため」病院へ向かったという。

近くに住むキシャ・ロケットさん(35)も「だれも彼のような人はいない。驚異的で比類のない人だった」と話し、こぼれる涙をぬぐった。2人の子供を車に乗せて病院を訪れ、「施設の外で(ジャクソンさんの)家族を支える」と話す。ジャクソンさんにはスキャンダルも多かったが「ひどく誤解された人だった。何があろうと私はマイケル・ジャクソンの味方。愛と思いやりに満ちて、それをいつも示そうとしていた」と振り返った。

母親からの電話で知ったティム・カルフーンさん(45)は「『ビリー・ジーン』『ビート・イット』『マン・イン・ザ・ミラー』……、大好きな曲はたくさんある」とジャクソンさんの功績をたたえ、「間違いなく世界中の何千、何万の人が彼の死を惜しむよ」と肩を落とした。

ロサンゼルス・ベルエア地区にあるジャクソンさんの家の前にも、訃報を聞いたファンや報道陣が集まった。ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)は、活動再開を心待ちにしていた近所の女性ファンの「(ジャクソンさんの死が)信じられない」と語る声などを報じた。

2009年6月22日

和田博実氏死去(元プロ野球西鉄ライオンズ選手)

和田博実

 1956年からの3連覇など、西鉄ライオンズ(現西武)の黄金時代を捕手として支えた和田博実さんが22日、膵臓(すいぞう)がんのため72歳で亡くなった。 

 和田さんはプロ通算276勝を挙げ、07年11月に70歳で亡くなった「鉄腕」稲尾和久さんとのコンビで、ファンに「黄金バッテリー」と親しまれた。プロ通算1104安打100本塁打で72年に現役引退。その後は西武、阪神の2軍監督なども務めた。

 西鉄時代に2年先輩だった野球評論家の豊田泰光さん(74)は「来るべき時が来てしまったか、という感じ。心の損失です」と肩を落とした。「稲尾も和田も死んでしまった。バッテリーごといなくなってしまった。何とも言えない」と大きなため息をついた。

 西武時代に和田さんから指導を受け、素質を開花させたソフトバンクの秋山幸二監督(47)は「入団した時から野球の基礎を作ってくれた方。和田さんのおかげで今の私があるようなものです。ただただ残念」とコメント。

 また和田さんが西武の2軍監督時代に「デーブ大久保」と愛称を付けて可愛がった西武の大久保博元・編成部プロ担当(42)は「心からしかってくれ、悩んでいると自宅に呼んで食事をごちそうしてくれた。昨年、打撃コーチとして選手とコミュニケーションを取れたことは、和田さんが教えてくれたこと。『和田イズム』は僕の心の中にもしっかりと受け継がれています」とのコメントを出した。

2009年6月16日

ベンチャーズのベーシスト、ボブ・ボーグルさんが死去

 ベンチャーズのオリジナルメンバーであり、ベースを担当していたボブ・ボーグルさん(75)が14日(日本時間15日)に亡くなったとベンチャーズの公式HPで発表した。

 公式サイトには「世界中のザ・ベンチャーズファンの皆様に、非常に悲しい報告をしなくてはなりません。さる6月14日(日)にオリジナルメンバーであるボブ・ボーグルが亡くなりました」

 「この訃報に際し、私達の祈りはボブのご遺族の皆様、特にボブの人生を長年にわたり最愛の妻として支え続けたユミ夫人とともにあります」

 「ザ・ベンチャーズのメンバーは深い悲しみに沈み、友人やファンの皆様とボブの死を嘆き悲しんでいます」

 「このページでは更にボブの死に関する情報を更新していく予定です。また、皆様が哀悼のメッセージを残せるように、特別サイトを新設する予定です」

 「音楽の世界は斬新的な音楽家を失いました」

 「彼との素晴らしい思い出が少しでも私達の慰めとなりますように」とファンに向けてコメントが発表された。

 亡くなったボブ・ボーグルさんはドン・ウイルソンとともにベンチャーズ結成時のオリジナルメンバーのひとりで、当初はベースではなくギターを担当、のちにベースへと交代した。

2009年6月14日

三沢さん死亡...悲劇、リング上で頭部強打

三沢光晴

 日本プロレス界の頂点に君臨する現役レスラーで、プロレス団体「ノア」の社長を務める三沢光晴さん(46)が13日午後8時45分ごろ、広島市の広島グリーンアリーナで行われた大会の試合中、相手の技を受けて頭を強打。心肺停止状態となり、広島大学病院に救急搬送されたが、広島県警によると、同10時10分に死亡が確認された。

 三沢さんは1981年、故ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレスでデビュー。2代目タイガーマスクとして人気を獲得し、素顔となった後もエースとして活躍。00年のノア旗揚げ後もマット界のトップを走っていただけに、衝撃は大きい。

  三沢さんはノアの広島大会のメーンで午後8時10分ごろ始まったタッグマッチに出場したが、約30分後、相手選手が背後から抱え上げて後ろに倒れ込む技「バックドロップ」をかけられ、頭を強打。意識を失い、試合はレフェリーストップとなった。 三沢さんはすぐに病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。広島県警は試合関係者らから事情を聴き、当時の状況を調べている。

 目撃した選手は「バックドロップをくらって何も言わなくなった。AEDをやったり、救急隊員が来ても全然リアクションがなく、ピクリともしないまま担架で運ばれた」と証言。病院で対応した団体広報は「(死亡)原因は不明。それ以上は分からない」と語った。ホテルで待機していた選手は大黒柱の訃報(ふほう)に衝撃を受けた。

 バリバリの"4番打者"を襲ったまさかのリング禍。関係者は、これまで三沢さんが長年の蓄積疲労で満身創痍(そうい)だったことを明かす。特に首の古傷は深刻で「だましだまし試合を行っていた」という。全日本時代は小橋、田上、川田と「四天王プロレス」と呼ばれる完成度の高い試合を展開。相手の危険な技をすべて受けきる高度な受け身が信条だった。1981年のデビュー以来、その疲労が蓄積していたのかもしれない。

 今年5月の日本武道館大会で制したノアのタッグリーグ決勝では、パートナーを務めた若手の潮崎豪に試合の主導権を譲っていた。三沢さんはあまり印象に残る攻防に参加しておらず、その時点から、体調が悪かった可能性も推測される。

 90年6月12日、新日本の福岡国際センター大会。バックドロップを受けた馳浩が一時、心肺停止状態に陥ったことがあったが、その後、復帰している。関係者は"奇跡"を信じたが、その思いもかなわなかった。

 ノアの広報担当者は14日未明の時点で、本紙の取材に対して「(今後の対応は)まだ分かりません」とし、14日に予定される博多大会開催について「役員会を緊急で開いている。まだ結論は出ていません」と語るにとどめた。また、ファンに対しては「10カウントゴングでみなさんに報告したい」とした。 突然、逝った、日本が誇る希代の名レスラー。あまりにも突然の衝撃だけが強く残った。

2009年5月27日

作詞家の石本美由起さん死去

石本美由起

 「港町十三番地」「憧れのハワイ航路」など数々のヒット曲を手がけた作詞家の石本美由起(いしもと・みゆき、本名・美幸=みゆき)さんが27日午前0時50分、横浜市内の病院で心不全のため死去した。85歳。

 広島県生まれ。歌謡同人誌に投稿した詩「長崎のザボン売り」が認められ、1948年に小畑実さんが歌って大ヒット。これをきっかけに作詞家としてデビューし、キングレコードの専属になった。その後、すぐにコロムビアレコードに移った。

 作曲家の上原げんとさん、古賀政男さん、船村徹さん、市川昭介さんらとコンビを組み、精力的に作詞活動を展開。美空ひばりさん、こまどり姉妹、都はるみさんら、多くの歌手に楽曲を提供した。

 作詞を手がけ、細川たかしさんが歌った「矢切の渡し」、五木ひろしさんが歌った「長良川艶歌」が83、84年と2年続けて日本レコード大賞を受賞した。

 日本作詩家協会会長、日本音楽著作権協会理事長なども務め、カラオケ設置店からの楽曲使用料徴収などにも取り組んだ。

◇石本美由起さんの主な作品と歌手

長崎のザボン売り(48年)=小畑実

憧れのハワイ航路(同)=岡晴夫

憧れの東京(51年)=藤山一郎

青春ラプソディ(52年)= 同

ひばりのマドロスさん(54年)=美空ひばり

柿の木坂の家(57年)=青木光一

港町十三番地(同)=美空ひばり

ソーラン渡り鳥(61年)=こまどり姉妹

悲しい酒(66年)=美空ひばり

人生一路(70年)=  同

哀愁の旅路(72年)=都はるみ

矢切の渡し(83年)=細川たかし

2009年5月21日

元アナウンサーの頼近美津子さんが死去

頼近美津子

 NHKやフジテレビのアナウンサーとして活躍し、クラシックコンサートの企画や司会で知られる頼近美津子(よりちか・みつこ、本名・鹿内キャサリーン美津子=しかない・きゃさりーん・みつこ)さんが17日午後1時46分、食道がんのため千葉県柏市の病院で死去した。53歳。

 所属事務所によると、先月10日まで仕事を続けていたが、その後体調不良で入院していた。

 広島県生まれ。幼少のころ、ピアノとチェロを学ぶ。東京外国語大卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。2年目に大型バラエティー番組「テレビファソラシド」に起用され、「女性アナが芸能番組に主役で登場するのはNHK開局以来」と言われた。

 昭和56年にフジテレビに移籍。「小川宏ショー」のアシスタントを経て、「FNNニュースレポート11・30」のキャスターとなり、露木茂キャスターとコンビを組んだ。59年、当時フジテレビ副社長だった鹿内春雄氏(後にフジサンケイグループ会議議長)と結婚し、退社した。

 63年に夫と死別後、平成5年にテレビ司会の仕事に復帰。8年には、NHK大河ドラマ「秀吉」で女優デビューも果たした。

 一方、プロ級とされるピアノの腕前を生かし、コンサートプランナーとして独自の境地を開く。同年、フジテレビの「来日直前!三大テノール」のキャスターを務めたほか、産経新聞にクラシックコンサートに関する連載「頼近美津子が聴く」を執筆、産経新聞社発行の月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」でも健筆を振るった。

2009年5月19日

切り絵作家の滝平二郎氏死去

 絵本の挿絵などで活躍した切り絵作家で版画家の滝平二郎(たきだいら・じろう)さんが16日午前7時22分、がんで死去した。88歳。

 後日、お別れの会を開く。喪主は妻、普美子(ふみこ)さん。連絡先は東京都千代田区三崎町3の2の13の「滝平きりえ版権事務所」。

 茨城県生まれ。太平洋戦争から復員後、本格的な創作活動に。児童文学者の斎藤隆介氏とともに出版した絵本「ベロ出しチョンマ」(1967年)で切り絵による挿絵を担当して脚光を浴び、その後も斎藤氏とのコンビで「モチモチの木」など名作を生み出した。70年に「花さき山」で講談社出版文化賞、74年にモービル児童文化賞を受賞。

2009年5月18日

速水優元日銀総裁が死去

 元経済同友会代表幹事で日銀総裁在任中はゼロ金利政策や量的緩和策の導入に踏み切った速水優(はやみ・まさる)氏が16日午前、死去した。84歳。葬儀は近親者のみで行う。

 速水氏は兵庫県出身。東京商科大(現一橋大)卒業後、昭和22年に日銀入行。ロンドン駐在参事、外国局長、理事などを経て56年、日商岩井(現双日)専務に転出、副社長社長、会長を歴任。財界活動も熱心で平成3年から7年まで経済同友会代表幹事を務めた。

 10年、接待汚職の責任を取り辞任した松下康雄氏の後釜として日銀総裁に就任。改正日銀法の施行で独立性を獲得する一方で、デフレの深刻化と金融不安に厳しいかじ取りを迫られた。

 平成11年、ゼロ金利政策を断行。しかし、翌12年には「デフレ懸念が払拭された」として政府の反対を押し切り解除した。その後景気は後退し「解除が早すぎた」と批判を浴び、13年3月、世界に前例のない量的緩和策の導入に追い込まれた。デフレ脱却への道半ばで15年に退任、後任の福井俊彦氏にバトンタッチした。

2009年5月11日

作曲家、三木たかし

三木たかし

 「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など、ポップスから演歌まで幅広く手がけた作曲家の三木たかし(みき・たかし、本名・渡辺匡=わたなべ・ただし)さんが11日、岡山市内の病院で死去した。64歳。

 東京生まれ。1967年に作曲家デビューした。作詞家の阿久悠さんとのコンビで石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、作詞家の荒木とよひささんとのコンビでテレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」「つぐない」を送り出し、大ヒットさせた。石川さんやテレサさんのほかにも、アグネス・チャンさん、西城秀樹さん、森進一さん、4月に亡くなった清水由貴子さんら、多くの歌手に曲を提供した。

 70年代には阿久さんの推薦でテレビ番組「スター誕生!」の審査員になった。「李香蘭」など劇団四季の昭和三部作の作曲も担当。全国高校サッカー選手権テーマソング「ふり向くな君は美しい」、テレビアニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」なども手がけ、多彩な作風を見せた。

 妹は歌手の黛ジュンさん。05年に紫綬褒章を受章。日本作曲家協会理事長を務めていた。

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