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 俳優金杉太朗(かなすぎ・たろう、本名・深沢太朗)さんが今月2日に亡くなっていたことが15日までに分かった。33歳。葬儀・告別式は6日に都内で営まれた。関係者によると、金杉さんは3月23日早朝、東京メトロ有楽町線の池袋駅で酔って線路に転落。脳挫傷と診断されて手術を受けたが、最後まで意識は戻らなかった。先月30日に容体が急変。2日午後0時24分、妻ら親族に見守られて息を引き取ったという。
 金杉さんは劇団日本児童出身。88年のTBS系「3年B組金八先生」に畔柳吉人役で出演。91年から99年まで放送されたTBS系ドラマ「天までとどけ」で丸山定子(岡江久美子)の三男公平を演じ、人気を集めた。最近は07年の日本テレビ系ドラマ「喰いタン2」などで活躍。葬儀には「天までとどけ」で共演した岡江や父親役の綿引勝彦ら俳優仲間が参列したという。

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 大相撲元関脇でタレント荒勢(あらせ、本名・荒瀬英生=ひでお)さんが11日午前5時54分、急性心不全のため、高知市内の病院で死去した。59歳だった。72年初場所初土俵で81年秋場所限りで引退。83年2月に日本相撲協会を退職し、タレントに転向した。現役時代は猛烈ながぶり寄りともみあげで人気。04年に脳梗塞(こうそく)で倒れてからは入退院を繰り返していた。
 長いもみ上げで「野武士」の異名を取った荒勢さんが、ひっそりと息を引き取った。関係者によると、荒勢さんは04年に脳梗塞で都内の病院に入院。必死のリハビリで快方に向かったが、今年4月に再び脳梗塞で倒れ、故郷の高知市内の病院に入院。同時に腎臓がんも発見されたという。現役時代に体重151キロあった巨体は、やせ細り、友人の1人は「本人も高知に戻った時から覚悟していたようです」と話した。この日未明に容体が急変。同県いの町の実家から母孝子さんが駆け付けたが、最期をみとることはできなかったという。
 荒勢さんは日大相撲部を経て花籠部屋に入門し、72年初場所で初土俵を踏んだ。右四つからの激しいがぶり寄りで番付を上げ、3役を通算11場所務めた。長いもみ上げが特徴で人気力士となり、横綱輪島の土俵入りの露払いも務めていた。81年秋場所限りで引退した後は年寄間垣を襲名したが、83年2月に日本相撲協会を退職。タレントに転身した。
 明るいキャラクターと「野武士」の風ぼうを買われ、83年の映画「陽暉楼」で俳優デビュー。86年にはテレビ朝日「トゥナイト」でふんどし姿で温泉リポーターを担当した。知名度を生かして01年7月の参院選には自由連合の比例代表候補として立候補したが、2711票しか獲得できずに惨敗。以降は表舞台に姿を見せることも少なくなった。
 豪快なイメージからウイスキーのCMに出演したこともあったが、関係者は「まったくの下戸で、タバコも吸わなかった」と話した。同じ日大出身で兄弟子だった放駒親方(元大関魁傑)は「けいこ熱心で立ち合いの馬力はすごかった。最近は付き合いもなかったが、若すぎるよね」としみじみと話した。荒勢さんは99年10月に11歳下のレストラン経営者と結婚するも既に離婚していた。

 「おそ松くん」「天才バカボン」などの作品で人気を集めたギャグ漫画家、赤塚不二夫(あかつか・ふじお<本名・藤雄=ふじお>)さんが2日午後4時55分、肺炎のため死去した。72歳。

 赤塚さんは1997年12月に自宅で吐血し食道がんであることが分かり、98年3月に記者会見で公表した。摘出手術を受けた後も急性硬膜下血腫などで入退院を繰り返す。02年4月に脳内出血を起こし、入院が続いたが、親しい知人の見舞いは受けていた。06年夏、看病していた妻眞知子さんに先立たれた。関係者によると、最期は病院の集中治療室でりえ子さんらの呼びかけに目で応え、息を引き取ったという。

 35年、旧満州(現中国東北部)生まれ。45年、引き揚げ後は奈良、新潟で育った。手塚治虫にあこがれて漫画家を志望し、中学卒業後の54年に上京、工員として働きながら漫画の投稿を続けた。このころ石ノ森章太郎の同人誌に加わるとともに、若い漫画家が集まった東京都豊島区のアパート、トキワ荘に移り住んだ。

 56年「嵐をこえて」でデビュー。一昨年、漫画家生活50周年を迎えた。62年に「少年サンデー」に連載し大ヒットした「おそ松くん」は、秩序を破壊するスピード感のあるナンセンスな笑いで、新しいギャグ漫画の世界を切り開いた。その後も「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」などヒット作を連発した。

 65年「おそ松くん」で小学館漫画賞、97年に日本漫画家協会賞文部大臣賞。98年に紫綬褒章受章。03年、東京都青梅市に「青梅赤塚不二夫会館」が開設された。07年、「天才バカボン」誕生40周年記念でベスト版が刊行された。

 東京都新宿区の赤塚さんの自宅兼事務所には、午後11時過ぎ、同区内にあるジャズクラブ「J」の経営者のバードマン幸田さん(62)が駆けつけた。タレントのタモリさんとの共同経営の店で、赤塚さんがよく訪れていた。幸田さんは「信じられない。赤塚さんには助けられた。こんなにいい人は他にいない」と声を詰まらせていた。

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