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米俳優ポール・ニューマンさんが26日、がんのため死去した。ニューマンさんの報道担当者が明らかにした。83歳だった。
1925年、オハイオ州クリーブランド生まれ。「明日に向って撃て!」(69年)、「スティング」(73年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)などに出演。86年「ハスラー2」でアカデミー主演男優賞を受賞した。
ベトナム戦争に反対するなど政治活動も展開。当時のニクソン大統領から敵視され、73年にホワイトハウスが公表したブラックリストにも記載された。
80年代に食品会社を設立し、利益を福祉に寄付するなど、事業家としても活動。車好きで、カーレーサーとしても知られた。今年6月、がんで闘病中と報じられていた。

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 先月25日にS状結腸がんのため亡くなった女優深浦加奈子さん(享年48)のお別れの会が24日、都内のホテルで行われ、沢口靖子、陣内孝則、松嶋菜々子、三浦友和ら関係者約550人が参列した。祭壇には06年のテレビ朝日系ドラマ「安楽椅子探偵 ON AIR」に出演したときの写真が飾られた。
 出席者によると、02年の舞台「おかしな2人」で共演した小泉今日子が「いろんな相談に乗ってもらい、お姉さんのように慕っていた」と声を震わせながら弔辞を読んだ。深浦が「一番好きだった」(関係者)というプロ野球ヤクルトの古田敦也前監督も駆け付け「病気のことは知らなかった。ショックだった」とあいさつしたという。 
 

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 CM界出身で「トニー滝谷」などの作品で知られる映画監督の市川準(いちかわ・じゅん)さん(本名・純=じゅん)が19日未明、脳内出血のため東京都渋谷区の病院で死去した。59歳。同日未明まで新作映画の編集をしており、その直後に倒れた。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻幸子(さちこ)さん。「禁煙パイポ」「タンスにゴン」などCMディレクターとして社会現象になったCMを多く作り、「トニー―」ではロカルノ映画祭審査員特別賞を受賞するなど映画監督としても活躍した。
 市川監督は18日夕方、都内のスタジオに入り、新作短編「buy a suit スーツを買う」の編集作業を行った。夕食はスタジオで取り、作業を終えた深夜、1人で小腹を満たそうと入った飲食店で倒れたという。ヘビースモーカーで、お酒はたしなむ程度だった。渋谷区の病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。遺体は19日夕方、妻とともに都内の自宅に戻った。
 スタジオのロビーには「buy―」のポスターが立てかけてあった。余白の部分にある「よろしくお願いします。市川準」のサインは18日に書かれたものだった。編集室に入る前の市川監督と会った関係者は「少し疲れている様子でしたが、変わりはありませんでした。届いたばかりのポスターに進んでサインを入れてくださって『サインしといたよ』って」。悲報に呆然(ぼうぜん)としていた。
 CMディレクターとしても多くの作品を作った。「禁煙パイポ」の「私はコレで会社を辞めました」は流行語になり、「タンスにゴンゴン」では清純派女優沢口靖子のコミカルな一面を引き出した。87年に映画「BU・SU」で監督デビューし、「東京夜曲」「竜馬の妻とその夫と愛人」など話題作を相次いで発表。実験性に富んだ映像や、人間への優しい視点が特徴的で、国内外で高い評価を得た。04年には、イッセー尾形、宮沢りえ出演、村上春樹氏原作の「トニー滝谷」がスイス・ロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。しかし、キャンペーンで忙しくなっても、孫に会いたいとしきりに言うなど、家族思いだったという。
 映像が大好きだった。新作は自主製作で、プロの俳優ではない周囲にいた人間を使いコツコツ撮影した。同時進行で進めていた「レンダンリング詞」は、1人でカメラを手に、風景を撮影した作品だった。カメラは数年前、投稿ビデオの審査員を務めた時にもらったHDカメラ。レンダリングとはコンセプトを映像化するという、デザイン、コンピューター用語で、映像にこだわった市川監督らしいタイトルだった。10月に行われる東京国際映画祭では、新作上映と舞台あいさつも決まっていただけに、多くの関係者は驚きを隠せなかった。CM、映画界に新風を吹き込んだ市川監督の作品はもう見られない。

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宇多田ヒカル、YUKIら人気アーティストのCDジャケットデザインやアニメ『ハチミツとクローバー』(フジテレビ系)のオープニング映像を手がけた映像作家の野田凪さんが、9月7日(日)に亡くなっていたことが公式ホームページで発表された。34歳という若さだった。
野田さんが主宰する有限会社宇宙カントリーの公式ホームページによると、死因は「数年前の交通事故の後遺症から用いていた強い鎮痛剤の誤飲による不慮の事故」だったという。
野田さんはラフォーレ原宿、コカ・コーラ、ナイキなど、大手企業の広告デザインや、ユニクロのTシャツのデザインを手がけたほか、YUKIのシングル「センチメンタルジャーニー」などのプロモーションビデオなども制作。幻想的でポップな作風で注目を集めていた。

「夏の日の想い出」などのヒット曲でハワイアンの女王といわれた日野てる子さん(ひの・てるこ、本名・一ノ瀬輝子=いちのせ・てるこ)が9日、肺がんのため死去していることが18日、明らかになった。63歳だった。
昭和37年8月、全日本ハワイアンコンテストで優勝、40年に発表した「夏の日の想い出」(裏面は「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」)が100万枚を超えるヒットとなった。ハイビスカスを飾った黒く長い髪がトレードマークで、ハワイアンの女王として人気を集めた。同年から3年連続でNHK紅白歌合戦出場。44年に結婚して引退したが、2人の子供を育てた後、歌手活動を再開した。

人気ロックバンド「ピンク・フロイド」のキーボード、リチャード・ライトが15日(月)、イギリスの自宅で死去した。65歳だった。
 ライトは大学の同級生だったロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスンらと「シグマ6」を結成。何度かのバンド名変更ののち、ピンク・フロイドとして活動。「狂気」、「ザ・ウォール」など大ヒットアルバムを発表し、プログレッシブ・ロックの雄として一時代を築いた。ライトは73年の「狂気」に収録された「虚空のスキャット」、 「アス・アンド・ゼム」などの名曲を書き残している。
ライトは別のバンドを結成するために80年代初期に脱退したが、87年から復帰していた。
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 「はぐれ念仏」「念仏ひじり三国志」など宗教を素材にした独自の大衆小説で知られた直木賞作家で、浄土宗大本山増上寺法主の寺内大吉(てらうち・だいきち<本名・成田有恒=なりた・ゆうこう>)さんが6日、心不全のため死去した。86歳。
 東京都出身。大正大在学中に生家の大吉寺(世田谷区)住職になる。最初の小説は純文学的な短編だったが、その後大衆小説を執筆。55年「逢春門」でサンデー毎日大衆文芸賞、56年「黒い旅路」でオール読物新人杯(現新人賞)を受賞し注目される。57年、司馬遼太郎らと雑誌「近代説話」を創刊。61年「はぐれ念仏」で直木賞、83年「念仏ひじり三国志」で毎日出版文化賞を受賞した。他に「化城の昭和史」「慟哭(どうこく)の明治仏教」など。
 ボクシング、プロレス、競輪などのスポーツ評論でも知られた。浄土宗宗務総長も務め、「開かれた浄土宗」を唱えるなど仏教者としても活躍した。

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