ダミアーニ監督逝去
1972年に米公開されて大ヒットし、社会的に波紋を投げかけたポルノ映画『ディープ・スロート』のジェラルド・ダミアーノ監督が25日(土)、フロリダ州のフォート・マイヤーズで死去した。80歳。30日(木)、AP通信が伝えた。9月に脳卒中を患っていた。家族は息子と娘が1人ずつ。
『ディープ・スロート』は、ポルノ映画でありながら一般の興行で成功を収め、現代のハードコアなアダルト娯楽産業の立ち上げにひと役買った。たった2万5000ドルの製作費で、撮影は6日間だったが、60年代の性解放運動を経験したアメリカ人にとって性的概念を変える作品と言われ、文化的にも必見の映画とされた。またタイトルが、ウォーターゲート事件の匿名情報提供者と関連付けられ話題を呼んだ。
しかし、ニューヨークのタイムズ・スクエアで公開された当時は、メディアや憤慨する保守派の人々からの批判を浴びた。幾度も訴えを起こされたが、それが逆に作品のヒットにつながることになった。
ニューヨーク生まれで理容師だったダミアーノ監督は、海軍に所属した後、多くのアダルト映画を演出。息子のジェラルド・ダミアーノJr.氏は子どものころ、たびたび父の撮影現場に同伴したが、“肝心な”シーンの間は外へ連れ出されたという。
「父は私たちが思っている通りのフィルムメイカーであり、芸術家でした」と、ダミアーノJr.氏。「私たちは父の作品(ポルノ映画)を見ることを許されなかったが、父が映画監督だと知っていたし、そのことを誇りに思っていた」と思い出を語った。
2005年には、『ディープ・スロート』が当時社会に与えた影響を検証するドキュメンタリー映画『インサイド・ディープ・スロート』も製作された。


