メイン

2008年11月12日

ザ・ゴールデンカップスのデイブ平尾

歌手のデイヴ平尾(本名:平尾時宗)、横浜市の病院で10日死去、63歳。食道癌のため入院治療中だった。

横浜市生まれ。高校時代からバンドを始める。66年7月4カ月間アメリカ放浪。帰国後「ザ・ゴールデン・カップス」結成し、67年リーダー兼ボーカルとしてデビュー。本格的なリズム&ブルースを演奏するグループサウンズで「長い髪の少女」「愛する君に」「銀色のグラス」などのヒット曲を飛ばした。72年解散。

79年コンサート「デイヴ平尾と仲間達」を行い、ミッキー吉野や柳ジョージ等カップスのメンバーも友情出演した。83年アルバム「横浜ルネッサンス」をリリース。82年六本木にライヴハウス「ゴールデン・カップ」を開店。

03年「ザ・ゴールデン・カップス」再結成。

2008年11月10日

チャンバラトリオ・前田竹千代

お笑い芸人でチャンバラトリオのメンバーの前田竹千代(本名:宮川定徳)、胃癌のため大阪市内の病院で9日死去、55歳。

1952年大分県国東半島生まれ。大分県立高田高校卒業。会社勤めを経て松竹芸能タレント養成所に入る。漫才師の前田五郎に弟子入り。79年漫才コンビ前田竹千代・犬千代を結成。竹千代が笹竹をもってきて神と仰ぐコント風の漫才を演じる。81年NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。

コンビ解散後、チャンバラトリオに山根伸介に弟子入り。94年付き人から正式にチャンバラトリオのメンバーとなる。

2008年11月 8日

全日本プロレスのレフェリー ジョー樋口

プロレスリング・ノア監査役及びGHCタイトル管理委員長のジョー樋口(本名:樋口寛治)、肺腺癌のため8日死去、81歳。

1929年横浜市出身。法政大学卒業。54年からプロレスラーとして活動。60年に引退。
72年ジャイアント馬場とともに全日本プロレス旗揚げに参加。以降、名レフェリーとして人気を博した。
97年レフェリーを引退。その後はノアのGHCタイトル管理委員長などを務めていた。
俳優の菊池隆則は息子。

筑紫哲也

ニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也、肺癌のため7日死去。73歳。2007年5月TBS報道番組「筑紫哲也 NEWS23」で肺癌を告し、闘病生活を送っていた。

1935年大分県日田市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。
59年朝日新聞社に入社。68年米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。米国ワシントン特派員時代に当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。その後外報部次長、編集委員などを歴任。

77-82年テレビ朝日系報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者、84-874年まで雑誌「朝日ジャーナル」編集長を務めた。編集長時代に「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」など連載企画を打ちだし、「新人類」という言葉を生んだ。

89年朝日新聞社を退職。TBS系報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢され、07年まで務めた。

このほか早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、立命館大学客員教授を務めた。

2008年11月 3日

フランク永井

歌手のフランク永井(本名:永井清人)肺炎のため東京都内の自宅で27日死去、76歳。

1932年宮城県松山町(現:大崎市)生まれ。52年に上京、米軍基地でジャズを歌う。
55年日本テレビ「素人のど自慢」の年間ベストワンに選ばれ、ビクターと契約。歌謡曲に転向し、作曲家吉田正に見いだされる。同年「恋人よ我に帰れ」でデビュー。57年、百貨店「そごう」東京店出店のイメージソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした。独特の低音が人気を博し、ムード歌謡を代表する歌手となる。

61年「君恋し」で日本レコード大賞、71年芸術選奨文部大臣賞を受賞。NHK紅白歌合戦に26回連続出場。
他のヒット曲に「夜霧の第2国道」、松尾和子さんとのデュエット「東京ナイト・クラブ」、「おまえに」など。

85年自宅で自殺未遂、リハビリを続けていた。
今夏、風邪で体調を崩し闘病中だった。

1