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2008年11月30日

ウィリアム・ギブソン

米劇作家のウィリアム・ギブソン(William Gibson)、米東部マサチューセッツ州の自宅で25日死去、94歳。

1914年ニューヨーク市生まれ。大学(City College)で創作を学んだ後、小説家として出発、劇作家に転じ、59年ブロードウェーでヘレン・ケラーと女性家庭教師アン・サリバンの交流と葛藤を描いた戯曲「奇跡の人」が大ヒットし、トニー賞作品賞を受賞。62年映画化。

2008年11月26日

アノアロ・アティサノエ

大相撲の元大関でタレントKONISHIKI(44)の実兄で、元プロレスラーのアノアロ・アティサノエさんが23日午前9時(日本時間24日午前4時)にハワイの病院で心臓発作のため亡くなった。51歳だった。葬儀は決まっていない。

150キロの巨体を誇ったアティサノエさんは1984年9月に大阪でアントニオ猪木と異種格闘技戦(10回戦)で対戦。ガッツ石松から伝授されたボクシングテクニックを発揮できず、猪木のバックドロップを受けて5回25秒に片エビ固めで敗れた。新日本プロレスに所属したが、目立った活躍はできず、関係者によると、約5年前から2日に1回の腎臓透析を受けていたという。

2008年11月12日

ザ・ゴールデンカップスのデイブ平尾

歌手のデイヴ平尾(本名:平尾時宗)、横浜市の病院で10日死去、63歳。食道癌のため入院治療中だった。

横浜市生まれ。高校時代からバンドを始める。66年7月4カ月間アメリカ放浪。帰国後「ザ・ゴールデン・カップス」結成し、67年リーダー兼ボーカルとしてデビュー。本格的なリズム&ブルースを演奏するグループサウンズで「長い髪の少女」「愛する君に」「銀色のグラス」などのヒット曲を飛ばした。72年解散。

79年コンサート「デイヴ平尾と仲間達」を行い、ミッキー吉野や柳ジョージ等カップスのメンバーも友情出演した。83年アルバム「横浜ルネッサンス」をリリース。82年六本木にライヴハウス「ゴールデン・カップ」を開店。

03年「ザ・ゴールデン・カップス」再結成。

2008年11月10日

チャンバラトリオ・前田竹千代

お笑い芸人でチャンバラトリオのメンバーの前田竹千代(本名:宮川定徳)、胃癌のため大阪市内の病院で9日死去、55歳。

1952年大分県国東半島生まれ。大分県立高田高校卒業。会社勤めを経て松竹芸能タレント養成所に入る。漫才師の前田五郎に弟子入り。79年漫才コンビ前田竹千代・犬千代を結成。竹千代が笹竹をもってきて神と仰ぐコント風の漫才を演じる。81年NHK上方漫才コンテスト優秀賞受賞。

コンビ解散後、チャンバラトリオに山根伸介に弟子入り。94年付き人から正式にチャンバラトリオのメンバーとなる。

2008年11月 7日

島田幸作

日本ゴルフツアー機構前会長の島田幸作、3日死去、64歳。

1944年兵庫県出身。尼崎高校を卒業後にゴルフを始め、20歳でプロテスト合格。168年日本プロ選手権でプロ初優勝。76年日本オープン優勝。

99年日本ゴルフツアー機構の最高責任者にあたるエグゼクティブ・ディレクター(当時)に就任。08年3月まで会長を務めた。

2008年11月 3日

フランク永井

歌手のフランク永井(本名:永井清人)肺炎のため東京都内の自宅で27日死去、76歳。

1932年宮城県松山町(現:大崎市)生まれ。52年に上京、米軍基地でジャズを歌う。
55年日本テレビ「素人のど自慢」の年間ベストワンに選ばれ、ビクターと契約。歌謡曲に転向し、作曲家吉田正に見いだされる。同年「恋人よ我に帰れ」でデビュー。57年、百貨店「そごう」東京店出店のイメージソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした。独特の低音が人気を博し、ムード歌謡を代表する歌手となる。

61年「君恋し」で日本レコード大賞、71年芸術選奨文部大臣賞を受賞。NHK紅白歌合戦に26回連続出場。
他のヒット曲に「夜霧の第2国道」、松尾和子さんとのデュエット「東京ナイト・クラブ」、「おまえに」など。

85年自宅で自殺未遂、リハビリを続けていた。
今夏、風邪で体調を崩し闘病中だった。

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