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筑紫哲也さんお気に入りの遺影でお別れ会

 11月7日に73歳で亡くなったジャーナリスト筑紫哲也さんのお別れ会が19日、都内のホテルで行われた。祭壇には3枚の遺影が飾られた。63年に朝日新聞社政治部配属当時、国会議事堂をバックに撮ったものと、89年10月のTBS系「筑紫哲也NEWS23」開始当時の宣伝用写真を左右に配置。真ん中には昨年4月に環境雑誌「エココロ」の取材で撮影された1枚が飾られた。
 この1枚は筑紫さんのお気に入りで「僕の遺影用に額のサイズで譲ってください」と頼んで手に入れた。検査でがんが発見されたのは撮影翌月だった。
 会は弔辞の読み上げなどは行わず、献花のみの形式で、同番組のエンディング曲だった「最後のニュース」が流された。ほかにも取材活動の活躍を振り返る30枚のパネル写真、番組での名物論評「多事争論」のコーナーが設けられた。
 海部俊樹元首相、福田康夫前首相、土井たか子さん、田中真紀子衆議院議員、久米宏氏、田原総一朗氏、草野満代アナウンサー、中田英寿氏、萩本欽一、石川さゆり、草なぎ剛ら各界から2584人が出席した。

筑紫哲也

ニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、肺がんのため、東京都内の病院で死去した。73歳。
平成19年5月、メーンキャスターを務めるTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」の放送中に、自ら肺がんであることを告白。手術後の番組への復帰を約束し、闘病生活に入っていた。
昭和10年生まれ。早稲田大学を卒業後、朝日新聞社に入社。新聞記者として政治部や本土返還前の沖縄特派員、米国ワシントン特派員などを歴任。同社記者として昭和52年から約5年間、テレビ朝日系の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者を務め"異色の新聞記者"として話題を集めた。また、朝日新聞が発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」で昭和59年から約3年間、編集長を務めた。編集長時代に手掛けた連載企画「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などでは、さまざまなジャンルの一線で活躍する若者を取り上げ、「新人類」という言葉を生み出した。
平成元年に朝日新聞社を退職。当時、高い視聴率を得ていたテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」に対抗してTBS系で同年から始まった報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢(ばってき)された。