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2009年3月31日

俳優 金田龍之介さん

金田龍之介

翻訳劇からスーパー歌舞伎までの舞台、映画、テレビなど幅広く活躍した俳優の金田龍之介(かねだ・りゅうのすけ)さんが31日、慢性腎不全のため埼玉県内の病院で亡くなった。80歳。 東京生まれで2歳で大阪に移り、5歳から子役として歌舞伎の舞台などに立つ。都島工業専門学校を卒業後、会社勤めをしながら新劇の劇団で活動。その後劇団新派に入団し、伊志井寛に師事した。フリーとなってからは敵役から三枚目まで優れたセリフ術と存在感で多岐にわたる活動を行った。

あたり役にはスーパー歌舞伎「新・三国志2 孔明篇」「同3 完結篇」の軍師、司馬仲達、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のピッカリング大佐などがある。二人芝居の翻訳劇「サラ」では麻実れいさんのサラ・ベルナールの秘書ピトゥを好演した。

映画出演作は「犬神家の一族」、テレビドラマは「草燃える」など。「きんりゅう」の愛称で親しまれた。菊田一夫演劇賞、松尾芸能賞優秀賞などを受賞した。

2009年3月30日

前上方落語協会長 露の五郎兵衛さん

二代目露の五郎兵衛

 上方落語協会の前会長で、落語家の二代目露の五郎兵衛(つゆの・ごろべえ=本名・明田川一郎=あけたがわ・いちろう)さんが30日午前11時37分、多臓器不全のため亡くなった。77歳。

 京都市出身。7歳で子役になり映画出演、演劇活動を経て1947年、二代目桂春団治に入門。桂春坊、小春団治、露の五郎から2005年、露の五郎兵衛を襲名した。

 若いころは滑稽噺で<爆笑王>を目指したが、桂米朝や東京の八代目林家正蔵らと接して落語の多様性を知り、意欲的に芸域を広げた。「浮世床」「夢見の八兵衛」などの古典とともに、創作落語にも情熱を傾け、独自の境地を開拓。特に怪談、人情ばなしは第一人者と評された。

 94年から03年まで上方落語協会長を務め、毎年、大阪市内の神社境内で「彦八まつり」を開催、ファンの獲得に尽くした。また、一寸露休の名で、廃れかけた即興劇の「大阪にわか」の継承にも力を入れた。

 日本演芸家連合副会長も務め、浪曲などの復興を願って行政に新たな演芸場の設置を働きかけるなど、行動力には定評があった。

 晩年になってもチャレンジ精神は衰えず、上方落語の祖とされる江戸・元禄期の露の五郎兵衛の名前を復活。「完成品にはなりたくない。五郎兵衛はついに未完成のまま死によったと言われたい」と話していた。

 著書に「上方落語夜話」「日本の幽霊」など。85年文化庁芸術祭賞、00年紫綬褒章受賞。

2009年3月28日

日本舞踊家 女優の藤間紫さん

藤間紫

 日本舞踊家で、舞台や映画、テレビで女優としても活躍した藤間紫(ふじま・むらさき、本名・喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝硬変による肝不全のため東京都文京区の病院で死去した。85歳。

 東京都出身。7歳から日本舞踊を始め、18歳のときに藤間流家元・藤間勘十郎さんの内弟子に。昭和19年に勘十郎さんと結婚、家元夫人に納まった。日本舞踊などの講師を務めるが、ユーモアあふれる個性と演技のセンスを買われ、24年に映画「グッドバイ」でデビュー。森繁久弥さんと共演した「三等重役」(27年)、「亭主の祭典」(28年)などのコミカルな演技で人気を呼んだ。

 61年5月には勘十郎さんとのいざこざから宗家藤間流を離れ、紫派藤間流を創流し家元となった。その後、舞台「墨東綺譚」(平成3年)、「父の詫び状」(5年)などで多くの演劇賞を受賞している。12年に歌舞伎俳優の市川猿之助さんと再婚した。

 2月15日に国立劇場で行われた「道行旅路の嫁入」が最後の舞台となった。

2009年3月27日

遠藤幸雄氏...五輪金5銀2「体操ニッポン」の礎築いた

遠藤幸雄

体操の五輪代表として金メダル5個を獲得し、「体操ニッポン」の黄金時代を築いた遠藤幸雄氏が25日午前4時16分、食道がんのため、東京・千代田区内の病院で死去した。72歳だった。遠藤氏は60年ローマ五輪の団体総合で優勝したのを手始めに東京、メキシコの3大会で金5、銀2の計7個のメダルを獲得。引退後は日大教授、日本体操協会副会長などの立場で体操の指導、普及に努めていた。

 64年東京五輪で日本人初の個人総合を制するなど3個の金メダルを獲得。美しくシャープな演技で、60年から76年モントリオール五輪まで続く団体5連覇の礎を築いた昭和の名選手が、この世を去った。
 遠藤氏は07年10月に食道がんの手術を受け回復に向かっていたが、腹痛を訴えて昨年1月に緊急手術。同8月に再入院してからは闘病生活が続いていた。昨年11月の旭日中綬章の授章式が、最後に姿を見せた公の場となった。
 日大助手時代の60年ローマ五輪で日本初の団体総合優勝。64年東京で金3、銀1、日本選手団の旗手を務めた68年メキシコでも金1、銀1と計7つのメダルを獲得。世界選手権でも10個(金3、銀5、銅2)のメダルを手にした。
 鉄棒の「前方開脚浮腰回転倒立」は国際体操連盟(FIG)が「エンドー」と命名。生前、「頭のてっぺんから足の先までぴーんと伸びているのがきれい」と美しさを追求した演技の基礎が、04年アテネ団体金のエース冨田洋之氏(28)や08年北京団体、個人銀の内村航平(20)=日体大=らに引き継がれた。FIG・加藤沢男技術委員(63)は「遠藤さんの体操は、日本の進むべき方向を示したと思う」と振り返り、日本体操協会の二木英徳会長も「遠藤さんの作り上げた精神と誇りは永遠に生き続ける」と別れを惜しんだ。
 引退後は同協会の専務理事、副会長を歴任するなど、長きにわたり体操界をけん引。現在は日大名誉教授で、同協会の顧問を務めていた。

◆遠藤 幸雄(えんどう・ゆきお)
1937年1月18日、秋田市生まれ。中学2年で体操を始め、秋田工、東京教育大(現筑波大)を経て、日大助手時代の60年ローマ五輪から3大会で計7個のメダルを獲得。日本体操協会の専務理事、副会長、JOC理事などを歴任し、日大教授としても後進を指導。99年国際体操殿堂入り。長男・幸一氏は日本体操協会常務理事。

2009年3月25日

日本ミニマム級1位辻昌建選手

 日本ミニマム級1位辻昌建選手(30=帝拳)が24日午前6時30分、入院中の都内の病院で急性硬膜下血腫のため死去した。日本ボクシングコミッション(JBC)が発表した。辻選手は21日の同級王座決定戦(後楽園ホール)で、KO負けした後に意識を失い、救急車で病院に搬送され、開頭手術を受けていた。
 JBCによると、リング上の事故で死亡した例は52年のJBC設立後、35人目。辻選手は02年10月にプロデビューし、戦績は16戦12勝(3KO)2敗2分け。

2009年3月23日

青井達也さん 日本ラグビー協会顧問

青井達也さん76歳(あおい・たつや=日本ラグビーフットボール協会顧問、慶大ラグビー部OB会「黒黄会」元会長)22日、脳こうそくのため死去。
慶大出身で、横河電機(現横河武蔵野)などでプレー。現役時代は主にCTBとして活躍し、日本代表6キャップ。日本協会では理事、評議員、監事を歴任した。

2009年3月21日

安田伊佐夫師

G1馬メイショウドトウを育てたJRAの安田伊佐夫(やすだ・いさお)師が20日、病気のため京都大学医学部附属病院(京都市左京区)で死去した。64歳だった。
 安田伊師は44年(昭19)に宮崎県で生まれ、63年に騎手デビュー。70年にはタニノムーティエとのコンビで皐月賞とダービーの2冠を制覇。当時、ダービーポジションといわれた「1コーナーで10番手以内でないと勝てない」というジンクスを打ち破る大胆な後方待機策で差し切り勝ち。25歳の若さで周囲をあっと言わせた。通算成績は2983戦342勝。
 引退後は79年に調教師免許を取得し、翌80年に栗東トレセンで開業した。01年の宝塚記念ではメイショウドトウで宿敵テイエムオペラオーを破り、長男の康彦騎手(引退)とともに父子でG1を制覇した。現役の管理馬にも07年の東海Sを勝ち、昨年のJCダートで2着に入ったメイショウトウコンなど、多くの有力馬がいた。21日のファルコンSに出走するアンジュアイル(臨時貸し付けにより武田厩舎に転厩)も、同師が手がけた馬。通算5032戦487勝。このうち「25」の重賞勝ちがあった。
 メイショウドトウの松本好雄オーナー ドトウで僕に初めてG1を勝たせてくれた忘れられない方です。今週はスプリングSでドンタクもいましたし、これからという時に、本当に残念の一言です。

2009年3月 1日

飯島愛さん「お別れ会」2200人が参列

昨年12月に死去した元タレント・飯島愛(本名・大久保松恵)さん=享年36=の「お別れの会」が1日午前、東京都港区の東京プリンスホテルで行われた。生前の交友の広さを物語るように多数の芸能人、関係者ら700人が駆けつけ、飯島さんに最後の別れを告げた。 祭壇には飯島さんが好きだったという真っ白なカサブランカやカラー、桜の花が飾られた。親交の深かったタレントの中山秀征さんは「美人薄命とはいいますが、本当にその通りですね。あなたは日本の(マリリン)モンローですよ。愛ちゃん、よくがんばりました。ありがとう。また会おう!」と涙をこらえるようにあいさつした。
「お別れの会」は、飯島さんが07年3月に芸能界を引退するまで所属していたワタナベエンターテインメントが主催。発起人でもあるアナウンサーの徳光和夫さんが司会を務めた。中山さんのほか、島田紳助さん、大竹しのぶさん、ホンジャマカの石塚英彦さんと恵俊彰さん、うつみ宮土理さん、古館伊知郎さんらも出席した。
会場の一角には、ベストセラーとなった自伝小説「プラトニック・セックス」の各国語版や、飯島さんが受賞した00年の流行語大賞などの賞状などが展示された。この日の香典は、飯島さんが取り組んでいたHIV/エイズ啓発活動に役立てるため、すべて財団法人エイズストップ基金にあてられるという。午後には一般のファン向けのお別れの会も行われ、約1500人が参列する。

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