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2009年6月30日

日本女子マラソン界のパイオニア、永田七恵さん死去

 日本女子マラソンのパイオニア的存在で、1984年のロサンゼルス五輪代表の永田(旧姓・佐々木)七恵さんが27日に直腸がんで亡くなっていたことが29日、分かった。53歳だった。

 日体大時代まで中距離選手だった永田さんは、大学卒業後にマラソンに転向。瀬古利彦の師匠である中村清監督に指導を受け、81年のボストンマラソンで当時の日本最高となる2時間40分56秒を記録。その後、伸び悩みなどもあり、岩手での教員を辞職し、ヱスビー食品に入りして本格的に中村監督に師事した。厳しい指導もあり、83年の東京国際女子マラソンで初優勝を飾り、翌年のロス五輪に出場した。結果は19位だったが、その走り方から同時期にヒットしたテレビドラマにちなみ「おしん走法」と称された。

 五輪後の結婚を機に引退、2人の子供にも恵まれた。91年からヱスビー食品陸上部のコーチ、96年から顧問を務めた。

 ライバルだった増田明美さんは「昨年11月のシンポジウムで久しぶりに会って、気さくに話をした。戦友なので、これからも楽しくいきましょうねと話したのが最後になった。これから私たちの時代ならではのよさを互いに伝えていきたかったのに」と早すぎる死を悼んだ。

2009年6月22日

和田博実氏死去(元プロ野球西鉄ライオンズ選手)

和田博実

 1956年からの3連覇など、西鉄ライオンズ(現西武)の黄金時代を捕手として支えた和田博実さんが22日、膵臓(すいぞう)がんのため72歳で亡くなった。 

 和田さんはプロ通算276勝を挙げ、07年11月に70歳で亡くなった「鉄腕」稲尾和久さんとのコンビで、ファンに「黄金バッテリー」と親しまれた。プロ通算1104安打100本塁打で72年に現役引退。その後は西武、阪神の2軍監督なども務めた。

 西鉄時代に2年先輩だった野球評論家の豊田泰光さん(74)は「来るべき時が来てしまったか、という感じ。心の損失です」と肩を落とした。「稲尾も和田も死んでしまった。バッテリーごといなくなってしまった。何とも言えない」と大きなため息をついた。

 西武時代に和田さんから指導を受け、素質を開花させたソフトバンクの秋山幸二監督(47)は「入団した時から野球の基礎を作ってくれた方。和田さんのおかげで今の私があるようなものです。ただただ残念」とコメント。

 また和田さんが西武の2軍監督時代に「デーブ大久保」と愛称を付けて可愛がった西武の大久保博元・編成部プロ担当(42)は「心からしかってくれ、悩んでいると自宅に呼んで食事をごちそうしてくれた。昨年、打撃コーチとして選手とコミュニケーションを取れたことは、和田さんが教えてくれたこと。『和田イズム』は僕の心の中にもしっかりと受け継がれています」とのコメントを出した。

2009年6月16日

ベンチャーズのベーシスト、ボブ・ボーグルさんが死去

 ベンチャーズのオリジナルメンバーであり、ベースを担当していたボブ・ボーグルさん(75)が14日(日本時間15日)に亡くなったとベンチャーズの公式HPで発表した。

 公式サイトには「世界中のザ・ベンチャーズファンの皆様に、非常に悲しい報告をしなくてはなりません。さる6月14日(日)にオリジナルメンバーであるボブ・ボーグルが亡くなりました」

 「この訃報に際し、私達の祈りはボブのご遺族の皆様、特にボブの人生を長年にわたり最愛の妻として支え続けたユミ夫人とともにあります」

 「ザ・ベンチャーズのメンバーは深い悲しみに沈み、友人やファンの皆様とボブの死を嘆き悲しんでいます」

 「このページでは更にボブの死に関する情報を更新していく予定です。また、皆様が哀悼のメッセージを残せるように、特別サイトを新設する予定です」

 「音楽の世界は斬新的な音楽家を失いました」

 「彼との素晴らしい思い出が少しでも私達の慰めとなりますように」とファンに向けてコメントが発表された。

 亡くなったボブ・ボーグルさんはドン・ウイルソンとともにベンチャーズ結成時のオリジナルメンバーのひとりで、当初はベースではなくギターを担当、のちにベースへと交代した。

2009年6月14日

三沢さん死亡...悲劇、リング上で頭部強打

三沢光晴

 日本プロレス界の頂点に君臨する現役レスラーで、プロレス団体「ノア」の社長を務める三沢光晴さん(46)が13日午後8時45分ごろ、広島市の広島グリーンアリーナで行われた大会の試合中、相手の技を受けて頭を強打。心肺停止状態となり、広島大学病院に救急搬送されたが、広島県警によると、同10時10分に死亡が確認された。

 三沢さんは1981年、故ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレスでデビュー。2代目タイガーマスクとして人気を獲得し、素顔となった後もエースとして活躍。00年のノア旗揚げ後もマット界のトップを走っていただけに、衝撃は大きい。

  三沢さんはノアの広島大会のメーンで午後8時10分ごろ始まったタッグマッチに出場したが、約30分後、相手選手が背後から抱え上げて後ろに倒れ込む技「バックドロップ」をかけられ、頭を強打。意識を失い、試合はレフェリーストップとなった。 三沢さんはすぐに病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。広島県警は試合関係者らから事情を聴き、当時の状況を調べている。

 目撃した選手は「バックドロップをくらって何も言わなくなった。AEDをやったり、救急隊員が来ても全然リアクションがなく、ピクリともしないまま担架で運ばれた」と証言。病院で対応した団体広報は「(死亡)原因は不明。それ以上は分からない」と語った。ホテルで待機していた選手は大黒柱の訃報(ふほう)に衝撃を受けた。

 バリバリの"4番打者"を襲ったまさかのリング禍。関係者は、これまで三沢さんが長年の蓄積疲労で満身創痍(そうい)だったことを明かす。特に首の古傷は深刻で「だましだまし試合を行っていた」という。全日本時代は小橋、田上、川田と「四天王プロレス」と呼ばれる完成度の高い試合を展開。相手の危険な技をすべて受けきる高度な受け身が信条だった。1981年のデビュー以来、その疲労が蓄積していたのかもしれない。

 今年5月の日本武道館大会で制したノアのタッグリーグ決勝では、パートナーを務めた若手の潮崎豪に試合の主導権を譲っていた。三沢さんはあまり印象に残る攻防に参加しておらず、その時点から、体調が悪かった可能性も推測される。

 90年6月12日、新日本の福岡国際センター大会。バックドロップを受けた馳浩が一時、心肺停止状態に陥ったことがあったが、その後、復帰している。関係者は"奇跡"を信じたが、その思いもかなわなかった。

 ノアの広報担当者は14日未明の時点で、本紙の取材に対して「(今後の対応は)まだ分かりません」とし、14日に予定される博多大会開催について「役員会を緊急で開いている。まだ結論は出ていません」と語るにとどめた。また、ファンに対しては「10カウントゴングでみなさんに報告したい」とした。 突然、逝った、日本が誇る希代の名レスラー。あまりにも突然の衝撃だけが強く残った。