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V9戦士・土井正三氏逝く

プロ野球、元巨人の土井正三氏が死去したことが25日、分かった。67歳だった。

愛する巨人の優勝を見届け、土井氏は他界した。1カ月前から肺炎を併発して体調を崩し、都内の病院に入院。その後、容体は一時安定し、23日に巨人が優勝した瞬間も病室のテレビで観戦していたという。自らが選手として成し遂げたV9以来となる、リーグ3連覇。後輩たちの偉業にホッとしたのか、その2日後、眠るように、この世を去った。

2007年3月に膵臓がんの手術を受けていた。その後は治療とリハビリに取り組み、同年6月には東京ドームで行われた巨人通算5000勝のイベントに参加。車いすでグラウンドに向かい、ファンの歓声を浴びた。それが公の場に姿を見せた最後となった。

この日遺体は病院から午後4時すぎに自宅へ戻った。自宅を訪れた中畑清氏は「小さくなっていた。ご苦労さまでしたということと、感謝を伝えた」と目頭を押さえた。

1965年巨人に入団し、二塁手として同年から始まったV9に貢献。「2番打者」としてONへのつなぎ役となり、通算242犠打を記録。土井氏のプレーで伝説となっているのが、1969年、阪急との日本シリーズ第4戦でのホームインだ。六回無死一、三塁で、打者・長嶋が空振りした際、一走・王がスタートを切った。阪急の捕手・岡村が二塁に送球したのを見た三走の土井氏は、本塁へ突入した。

二塁からの送球を受けた岡村にブロックされ、はじき飛ばされた時は、誰もがアウトと思った。しかしセーフの判定。これに激怒した岡村が岡田球審に暴行を働き、退場処分を受けた。ところが翌日のデイリースポーツに、土井氏がブロックされる前、岡村の足の間をかいくぐって左足で本塁を踏んでいる写真が掲載された。土井氏の走塁技術が証明されたプレーだ。

またオリックス監督時代にイチローの打撃フォームを否定し、1軍で起用しなかったのは有名な話。しかし後年になって「川上監督が、高田(現ヤクルト監督)が(巨人に)入ったときに2軍に落としたことがあったが、それは天狗(てんぐ)にならないようにするためだった。イチローに対してもそう思っていた」と語ったように土井氏ならではの育成法だった。

野球への情熱にあふれ、巨人を愛していた。94年から2年間、デイリースポーツ評論家として、厳しくも優しい目で後輩たちを見つめた土井氏。その姿は、もう見られない。

◆土井正三(どい・しょうぞう) 
1942年(昭17)6月28日、兵庫県生まれ。兵庫・育英高から立大を経て、65年に巨人入り。
68、69年にベストナインを獲得するなど、堅実な二塁守備や送りバントの名手としてV9に貢献。
78年に現役引退するまでの14年間で打率2割6分3厘、65ホーマー、425打点、135盗塁。
79年から長嶋監督の下で2年間、および86年から3年間は王監督の下で守備走塁コーチを務めた。
91年にオリックス監督に就任。
3年連続3位で93年オフに退団。
96年にはコーチとして巨人に復帰。長嶋監督の下で3年間内野守備コーチなどを務めた。
06年にはマスターズリーグ、札幌の監督も務めた。