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2009年11月25日

亀山房代

吉本興業所属タレントの亀山房代(本名:今枝房代,旧姓:亀山)、心室細動のため神奈川県内の病院で23日死去、42歳。

1967年三重県名張市生まれ。相愛女子短期大学卒業。86年吉本総合芸能学院(NSC)の5期生として吉本入り。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動。89年ザ・ぼんちを解散したばかりの里見まさとと漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成。95年上方漫才大賞奨励賞、97年上方お笑い大賞金賞、98年上方漫才大賞・大賞を獲得した。
01年結婚・妊娠し、コンビを解散。その後は、テレビ番組のコメンテーターや性教育に関する講演活動をしていた。

2009年11月23日

千原しのぶ

女優の千原しのぶ(本名:石原知子)、肺癌のため京都市中京区の病院で22日死去、78歳。

1931年岡山県生まれ。片岡千恵蔵の紹介で、52年に東映に入社。千恵蔵主演の映画「忠治旅日記 逢初道中」でデビュー。53年「大菩薩峠 甲賀一刀」に披擢され、シリーズに出演。54 - 56年まで60本の映画に出演する。74年那覇市で呉服店開店。のちに京都市で高級オリジナル呉服「しのぶ好み」を経営。
93年相米慎二監督「お引越し」、95年トニー・オウ監督「南京の基督」にも出演した。
全日本書芸学院副理事も務めた。

2009年11月21日

水の江滝子

元女優で映画プロデューサーの水の江滝子(本名:三浦ウメを水の江滝子に改名)、老衰のため神奈川県内で16日死去、94歳。

1915年北海道小樽区(現:小樽市)生まれ。幼時に東京へ転居。28年東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)に第1期生として入団する。断髪に男装姿が人気になり「男装の麗人」の異名をとり、「ターキー」の愛称で親しまれた。
第二次世界大戦中は「松竹女子挺身隊」の一員として兵士を慰問。42年松竹少女歌劇団を退団、43年から劇団たんぽぽを主宰する。

52年俳優の鶴田浩二が興した新生プロに所属。55-70年まで日活の映画プロデューサーとなり、76本の映画を企画・制作。浅丘ルリ子や石原裕次郎らを世に送り出した。NHKテレビの娯楽番組「ジェスチャー」にもレギュラー出演し、親しまれた。53年・57年のNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。

93年森繁久弥を発起人(葬儀委員長)とする「生前葬」を開き、芸能関係者ら約500人を集めて話題になった。

2009年11月16日

大浦みずき

女優で元宝塚歌劇団花組トップスターの大浦みずき(本名:阪田なつめ)、肺癌のため東京都内の病院で14日死去、53歳。

1956年東京都中野区生まれ。小説家阪田寛夫の次女。74年宝塚歌劇団に入団。88年から花組男役トップスターとなり、「ダンスの花組」と呼ばれる一時代を築いた。「会議は踊る」「ベルサイユのばら」などに出演。91年退団後は、舞台を中心に女優として活動。05年ミュージカル「ナイン」で菊田一夫演劇賞を受賞。

2009年11月11日

森繁久彌

俳優の森繁久彌(旧姓:菅沼)、東京都内の病院で老衰のため10日死去、96歳。

1913年大阪府枚方町(現:枚方市)生まれ。7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「森繁」姓となる。34年早稲田大学商学部に入学し、演劇部で活動。36年軍事教練を拒否して大学を中退し、東京宝塚(現:東宝)新劇団に入団。その後は数々の劇団を渡り歩く。39年NHKアナウンサー試験に合格し、満州電信電話の放送局に勤務。敗戦でソ連軍に連行されるが、46年帰国。

47年衣笠貞之助監督「女優」に端役で映画初出演。50年新東宝の「腰抜け二刀流」で映画初主演。その後、東宝の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などで主役を務め、人気を博した。55年豊田四郎監督「夫婦善哉」で、名演技が認められる。

テレビでも草創期から活躍しドラマ「七人の孫」「だいこんの花」などに出演。59-65年までNHK紅白歌合戦に歌手として7年連続出場した。

59年「森繁劇団」を結成し、持続的に演劇活動を行う。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」は900回に渡りユダヤ人・テヴィエ役を演じ、代表作となった。

82年日本俳優連合の理事長に就任。86年早稲田大学から卒業証書を受け、正式に卒業を認められた。91年大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章。04年正月放送「向田邦子の恋文」が最後の俳優活動となった。07年日本俳優連合の名誉会長となる。

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