
今年10月16日に急逝した元ザ・フォーク・クルセダーズで音楽家の加藤和彦さんのお別れ会『KKミーティング』が10日、都内ホテルで行われ、発起人のひとりで同メンバーのきたやまおさむ氏をはじめ友人・関係者ら約500名が出席した。主催者としてあいさつしたきたやま氏は「彼が死んだのは10月16日で、17日に彼から手紙を受け取りました。死ぬ直前に投函して演出したものです」と、無念さと愛情の入り混じった表情で語った。
きたやま氏は、加藤さんの亡くなった翌日に届いたという手紙の内容も明かし、「1行目に『きたやまくん、ごめんね。約束破ってごめんなさい』と。来年の春に私の退職祝いにザ・フォーク・クルセダーズを復活して、坂崎幸之助くんに手伝ってもらってコンサートをもう一度と言っていたんです。あと、彼が死なないって約束もしていた。主治医ではなかったけど話は聞いていて、ずいぶん前からそういう思考を持っていたから、とうとうやったなって気持ちだった」と当時を振り返った。
また今回のお別れ会についても言及し、「3週間泣いて過ごして、腹が立ってきた。バカヤローですよ。(手紙には)『偲ぶ会とかはやるな』って書いていて、なんとかぶち壊してやろうと。でも偲ぶ会とかは嫌がるから、『KKミーティング』って訳わからない名前をつけました」と愛情を込めてあいさつした。
加藤さんの意向により行われた密葬の後、多くの友人や関係者からお別れ会や偲ぶ会などを行いたい、との問い合わせが多数あったことから、生前の加藤さんが固辞していたというものの「加藤さんのクリエイティブな人生に関わった人々が集まって語り合おう」という形で『KKミーティング』は開催される運びとなった。
会場には幼少時代、20代~40代、2006年、2008年冬、今春に撮影された加藤さんの写真や、デビュー前のザ・フォーク・クルセダーズの写真など8枚が飾られ、参加者には加藤さんが愛した全国の美食の数々がふるまわれた。そして、坂崎による締めのあいさつ後には全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」が歌われた。なお、きたやま氏のほか市川猿之助、渡邊美佐、朝妻一郎が発起人に名を連ねた。
◆加藤 和彦(かとう・かずひこ)
1947年(昭22)3月21日生まれ、京都市出身。京都で仏像作りを手がける家に生まれたが、高校卒業まで東京で過ごす。龍谷大在学中の65年、雑誌「メンズクラブ」の投稿欄でバンドメンバーを募集し、意気投合した北山修らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成。「帰って来たヨッパライ」はテレビ黄金期にラジオから火が付き、280万枚を売り上げた。72年に当時の妻だった福井ミカ(60)をボーカルに「サディスティック・ミカ・バンド」を結成したが、75年に離婚し解散。私生活ではその後、77年に作詞家の安井かずみさんと再婚するも、94年に安井さんが肺がんのため死去(享年55)。翌年、中丸三千絵と再々婚したが00年に離婚した。
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音楽家の加藤和彦さん死亡か 軽井沢のホテル
17日午前9時半ごろ、長野県軽井沢町のホテルで、男性が首をつって死亡しているのが見つかった。軽井沢署は、死亡していたのは音楽プロデューサーの加藤和彦さん(62)とみて、身元の確認を急いでいる。
男性は16日に1人でこのホテルに宿泊。17日朝、この男性の知人からホテルに「様子がおかしいので確認してほしい」と電話があり、従業員が室内に電話をしたが返事がなかったため110番通報した。駆けつけた同署員が室内に入ったところ、男性が浴室でロープのようなもので首をつっており、すでに死亡していた。
加藤さんは昭和43年、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」でデビュー。解散後、「あの素晴らしい愛をもう一度」を発表し、「サディスティック・ミカ・バンド」を経て、ほかのミュージシャンに楽曲を提供するなど幅広い音楽活動を行っていた。


