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2010年5月24日

ラッシャー木村

元プロレスラーでプロレスリング・ノア終身名誉選手会長のラッシャー木村(本名:木村政雄)、腎不全による誤嚥性肺炎のため24日死去、67歳。

1941年北海道出身。天塩高校を卒業後、大相撲の宮城野部屋に入門し、58年3月初土俵。四股名は木ノ村、最高位は幕下20枚目。64年廃業。
日本プロレスに入門。東京プロレスから国際プロレスに移籍。国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年IWA世界ヘビー級王座を獲得した。

国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。前田日明らと第1次UWFにも参加したが離脱。その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客からマイクパフォーマンスを求めるコールが起こるほどだった。

馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博す。03年日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入る。同年ノアの終身名誉選手会長に就任。07年ビデオレターで引退を表明。

2010年5月17日

吉岡治

作詞家の吉岡治、東京都内の病院で17日死去、76歳。

1934年山口県出身。53年詩人サトウハチローに師事、童謡を書き始める。作家・野坂昭如の「おもちゃのチャチャチャ」を補作。その後作詞家に転身した。

美空ひばり「真赤な太陽」のほか、石川セリ「八月の濡れた砂」、大川栄策「さざんかの宿」、瀬川瑛子「命くれない」、石川さゆり「天城越え」など多くのヒット曲を手掛けた。
童謡「あわてん坊のサンタクロース」はクリスマスソングの定番になった。

89年内田あかり「好色一代女」で日本レコード大賞作詞賞、80年都はるみ「大阪しぐれ」で日本作詞大賞、90年石川さゆり「うたかた」で日本作詩大賞、03年川中美幸「おんなの一生~汗の花~」で日本作詩大賞を受賞。03年紫綬褒章。

2010年5月15日

鈴木俊一

元東京都知で自治事務次官、内閣官房副長官などを歴任した鈴木俊一、14日死去、99歳。

1910年東京生まれ。33年東京帝国大学法学部を卒業。旧内務省に入る。43年当時の東京府と東京市を一本化する「都制度」の創設に携わる。50年地方自治庁次長(在任中に自治事務次官に改称)を8年間務める。地方自治法、公職選挙法の制定、「昭和の大合併」を手がける。

59年東龍太郎都知事のもとで副知事に就任。東京五輪開催に向けた基盤整備など、戦後復興期の東京で大規模プロジェクトを次々に完成させた。67年副知事退任、その後、日本万国博覧会協会の事務総長として70年大阪万博を成功させた。71年都高速道路公団理事長に就任、78年自治次官時代に自ら設置した金融公庫の総裁に就任。

79年美濃部亮吉都知事の引退を受け、都知事選に出馬し、初当選。95年退任まで4期務める。

在任中は破綻寸前だった都財政を再建し、臨海副都心開発を進めた。「世界都市博覧会」の開催を96年に予定していたが、後任の青島幸男知事が中止を決断し波紋を呼んだ。

知事退任後は、東京国際交流財団(現:東京国際フォーラム)会長、日本倶楽部会長を務めた。

2010年5月13日

川本幸生

元広島商業高校野球部監督の川本幸生、大腸癌のため広島市内の病院で11日死去、53歳。

1957年広島市中区生まれ。73年広島商業高校の二塁手として夏の甲子園に出場し、優勝に貢献。修道大学からリッカーに入社し、3年間プレー。85年母校・広商の監督に就任し、4年間監督を務める。この間88年の夏の甲子園で優勝し、選手と監督の両方で全国制覇を果たした。

2010年5月11日

島野修

元プロ野球投手の島野修、脳出血のため兵庫県西宮市の病院で8日死去、59歳。

1950年神奈川県出身。武相高校時代の67年・68年に夏の甲子園出場。69年巨人にドラフト1位で入団。76年阪急ブレーブスに移籍。その後在籍3年間で1軍登板はなく、78年現役を引退。
通算24試合登板、1勝4敗、防御率5.05。在籍10年、実働4年。

81-98年の17年間に渡り阪急及びオリックスのマスコット「ブレービー」「ネッピー」のスーツアクターとして活躍した。その後オリックス球団職員として勤務。04年病気療養のため退職した。

2010年5月10日

小掛照二

元陸上選手で日本オリンピック委員会名誉委員の小掛照二、東京都文京区の病院で9日死去、77歳。死因は肝不全とみられる。

1932年広島県上下町出身。広島・上下高時代から跳躍選手として活躍。早稲田大学を卒業。55年昭和製紙に入社し、56年三段跳びで16.49mの世界記録を樹立。直後のメルボルン五輪で8位入賞。60年ローマ五輪の選考で漏れ、引退。

その後は日本陸上競技連盟や日本オリンピック委員会の副会長など要職を歴任。92年バルセロナ五輪や04年アテネ五輪の女子マラソン代表選考をめぐっては物議も醸した。

2010年5月 8日

神戸守一

たい焼き店「浪花家総本店」会長の神戸守一、前立腺癌のため東京都港区の自宅で5日死去、86歳。

東京都出身。1909年創業の浪花家総本店3代目。コック帽にちょうネクタイ姿が話題となり、75年にリリースされ大ヒット曲「およげ!たいやきくん」のモデルとして知られている。一匹ずつていねいに手焼きする「一丁焼き」にこだわり続けた。

俳優の佐藤慶

俳優の佐藤慶(本名:佐藤慶之助)、肺炎のため2日死去、81歳。

1928年福島県会津若松市出身。福島県立会津工業学校を卒業し、会津若松市役所に勤務。そのかたわら劇団を結成。上京後の52年俳優座養成所の4期生となる。59年小林正樹監督の「人間の條件/第三・四部」で映画デビュー。

大島渚監督の「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「白昼の通り魔」などに出演。71年大島監督の「儀式」でキネマ旬報主演男優賞、新藤兼人監督の「鬼婆」でパナマ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。81年武智鉄二監督の「白日夢」で女優の愛染恭子と本番行為を行い、話題を呼ぶ。

舞台では80年「イーハトーボの劇列車」で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。テレビではNHK大河ドラマ「太閤記」で明智光秀役、「徳川家康」で武田信玄役を演じた。

このほかの出演作に映画「白昼の死角」「竹山ひとり旅」「課長島耕作」、TVドラマ「夕暮れて」「天城越え」など。

2010年5月 5日

北林谷栄

女優の北林谷栄(本名:安藤令子)、肺炎のため東京都内の病院で4月27日死去、98歳。

1911年東京・銀座生まれ。31年創作座の研究生になり、36年新協劇団に入団し、築地小劇場の「どん底」で初舞台。42年宇野重吉らとともに移動劇団・瑞穂劇団を結成。戦時中は「帝大新聞」編集、少女雑誌記者を経験。45年画家・河原冬蔵と結婚。

47年宇野重吉や滝沢修らと民衆芸術劇場を設立。50年劇団民藝創立に参加し、舞台「泰山木の木の下で」など中心俳優として活躍。30代から映画などの老け役で定評があった。

紀伊國屋演劇賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など受賞多数。78年紫綬褒章受章。
主な出演作に映画「破壊」「原爆の子」「キューポラのある街」ほか、声優として「となりのトトロ」など。

2010年5月 3日

小林公平

阪急電鉄元社長の小林公平、肺炎のため大阪府池田市の病院で1日死去、82歳。

1928年東京都出身。45年海軍兵学校卒業、50年慶応大学卒業。
三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)、阪急不動産を経て、69年京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)取締役に就任。専務、副社長を経て、87年社長に就任。93-03年まで会長。

宝塚歌劇団理事長や阪急百貨店会長、関西テレビ放送会長、日本民営鉄道協会会長、大阪商工会議所副会頭などを歴任。プロ野球、阪急ブレーブスのオーナーも務めた。
阪急電鉄創業者・小林一三の三男・米三の婿養子。

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