山本小鉄
元プロレスラーで新日本プロレス顧問の山本小鉄(本名:山本勝)、低酸素性脳症で28日死去、68歳。
1941年横浜市出身。横浜商業高校卒業後、東海金属工業に勤務。63年日本プロレスに入門。力道山最後の弟子となる。リングネームは豊登の命名。星野勘太郎と「ヤマハ・ブラザーズ」を結成して活躍した。72年アントニオ猪木らとともに、新日本プロレス旗揚げに参加した。79年「ヤマハ・ブラザーズ」として国際プロレスに乗り込み、IWA世界タッグ王座を獲得。「人間爆弾」の異名をとった。80年現役を引退。身長170cm、体重100kg。
その後、鬼コーチとして後進の指導に尽力、数々の名選手を生み出した。プロレス中継の解説者・レフェリーとしても活躍した。


