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2011年1月28日

女優の花柳小菊さん死去

女優の花柳小菊(本名:斎藤芳子)、心不全のため東京都内の病院で26日死去、89歳。

1921年東京市京橋区(東京都)生まれ。築土尋常小学校を卒業。神楽坂の芸妓の半玉となる。
マキノ正博にスカウトされ、日活映画「恋愛人名簿」で映画デビュー。37年阪東妻三郎や片岡千恵蔵の相手役として時代劇などに出演。40年日活退社。56年東映専属となるが、63年に退社。68年東映「忍びの卍」を最後に映画界を引退。その後TVドラマや舞台で活躍した。

2011年1月26日

元大阪府知事の岸昌氏死去

岸昌

元大阪府知事の岸昌、慢性心不全のため大阪府茨木市の病院で21日死去、88歳。

1922年大阪府出身。43年東京帝国大学を卒業。旧内務省に入省。44年海軍経理学校卒業。戦後、自治省官房長、大阪府副知事などを経て、79年大阪府知事に初当選。共産党以外のオール与党体制に支えられ、1期目で138億円の累積赤字を解消。2期目は関西空港着工にこぎつけるなど大型プロジェクトを軌道に乗せた。3期目の90年副知事選任に議会の反発を受け失敗。91年引退。 その後、府立中之島図書館名誉館長を務めた。

2011年1月23日

漫才師の喜味こいしさん死去

実兄の故・夢路いとしさんとのコンビで60年以上にわたって活躍し、上方漫才界の最高峰といわれた喜味こいし(本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がんのため、大阪市内の病院で死去した。83歳。埼玉県出身。

こいしさんは約1年前から、肺がんの治療を受けながら昨年末まで仕事を続けていたが、ここ数日体調を崩していたという。

平成15年、いとしさんが亡くなった時「いと・こい漫才は終わりです」と宣言。西川きよしさんと即席コンビを組んだ以外、漫才をすることはなかった。

両親の旅回り一座の子役をへて、昭和14年に上方漫才の荒川芳丸に入門、「荒川芳博(いとし)・芳坊(こいし)」でデビュー。23年に「いとし・こいし」に改名後、近代漫才の父と称された漫才作家、秋田實さんに師事した。

タレントとしてもラジオでは、25年にNHKの「気まぐれショーボート」で注目を集め、テレビでは司会、舞台役者として活躍した。平成5年に漫才コンビとして初めて紫綬褒章。15年に菊池寛賞。代表作に「交通巡査」「わが家の湾岸戦争」など。

2011年1月18日

元NHKディレクターで演出家の和田勉が死去

和田勉

元NHKディレクターで演出家の和田勉、食道上皮癌のため川崎市内の高齢者福祉施設で14日死去、80歳。

1930年三重県松阪市生まれ。鹿児島県鹿屋市育ち。早稲田大学第一文学部演劇科を卒業。53年NHKに入局。俳優のクローズアップ多用など独自の演出や心理描写で評価を得た。78年「天城越え」で芸術祭大賞受賞。他の作品に「けものみち」「阿修羅のごとく」「ザ・商社」「心中宵庚申」など。87年NHKを定年退職。

その後、映画「ハリマオ」「完全なる飼育」を監督したほか、舞台演出を務めた。「笑っていいとも!」など民放バラエティー番組に出演し、「ガハハおじさん」として親しまれた。
夫人は衣装デザイナーのワダ・エミ。

2011年1月16日

俳優の細川俊之さん急死

細川俊之

俳優の細川俊之、急性硬膜下血腫のため東京都内の病院で14日死去、70歳。12日自宅の居間で転倒し頭部を打撲、搬送先の東京都内の病院で亡くなった。

1940年福岡県小倉市(現:北九州市)生まれ。山口県下関市育ち。学習院大学政経学部を中退。俳優座養成所第13期生卒業。63年、同期生の石立鉄男らと劇団文学座研究生となる。71年文学座を退団し、フリーになる。

二枚目俳優として映画「ラヂオの時間」、大河ドラマ「葵・徳川三代」など数多くの作品に出演。声優としても劇場版アニメ「あしたのジョー」で力石徹役を演じた。73年アラン・ドロンとダリダのヒット曲「あまい囁き」の日本語版をカバー。74年から木の実ナナと共演したミュージカル「ショーガール」は15年間、FMラジオ番組「ワールド・オブ・エレガンス」は16年半続いた。このほか映画「夜逃げ屋本舗2」「ラヂオの時間」「少年時代」などに出演。

2011年1月15日

「ひょうきん族」名プロデューサー横沢彪氏死去

横澤彪

元フジテレビゼネラルプロデューサーの横澤彪、肺炎のため東京都内の病院で8日死去、73歳。

1937年前橋市生まれ。62年東京大学文学部を卒業、フジテレビに入社。74年「ママとあそぼう!ピンポンパン」で番組を初プロデュース。80年お笑い番組「THE MANZAI」で漫才ツービートや島田紳助らを見いだしお笑いブームを巻き起こした。その後スタッフが番組に登場するなど、バラエティー番組の常識を覆す「オレたちひょうきん族」をヒットさせる。フジテレビの昼の看板番組で28年間続く「笑っていいとも!」など長寿番組の基礎を築いた。 番組制作を通じ明石家さんま、タモリら多くの人気タレントを育て、バラエティー番組制作に大きな影響を与えた。 編成局ゼネラルプロデューサーのかたわら、ヴァージンジャパン社長も兼任。

95年フジテレビを退社。吉本興業(大阪)に入社し、専務取締役東京本部本部長などを歴任し同社の東京進出に貢献。その後、鎌倉女子大学教授などを務め、最近はフリーで執筆活動などをしていた。

2011年1月12日

ダークダックスの高見澤宏さん死去

高見沢宏

歌手で男声コーラスグループ「ダークダックス」メンバーの高見沢宏、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で7日死去、77歳。

1933年静岡県生まれ。慶応大学経済学部の男声合唱団「ワグネル・ソサィエティー」のメンバーだった佐々木行(マンガさん)、喜早哲(ゲタさん)、遠山一(ゾウさん)が51年「ダークダックス」を結成。52年同グループにテノールとして参加。「パクさん」の愛称で親しまれた。 57年ロシア民謡「ともしび」をヒットさせ脚光を浴びる。このほか「雪山讃歌」「北上夜曲」「山男の歌」などがヒットし、TVやCMでも親しまれた。82年年芸術選奨文部大臣賞、93年紫綬褒章をグループとして受章。

今年はグループ結成60周年。関係者は「回復を願い、多くの企画を進める準備もしていたが...」と話したが、その思いも届かなかった。

俳優の萬屋錦之介は義兄(妻の兄)、中村嘉葎雄は義弟(妻の弟)、中村獅童は甥。

2011年1月10日

中村富十郎さん 死去 人間国宝「弁慶」あたり役

中村富十郎

歌舞伎立ち役の中村富十郎(本名:渡邉一)、直腸癌のため東京都内の病院で3日死去、81歳。

1929年東京生まれ。関西歌舞伎で活躍した女形の四代目中村富十郎と、舞踊家で吾妻流家元の吾妻徳穂の長男。43年坂東鶴之助を名のり、大阪・中座「鏡獅子」の胡蝶で初舞台。その後、演劇評論家の武智鉄二主宰の実験公演「武智歌舞伎」で人気を博す。当時は中村扇雀を名のっていた坂田藤十郎とともに「扇鶴時代」を築いた。

東京に拠点を移し、64年歌舞伎座で六代目市村竹之丞を襲名。72年同座で「逆櫓」の樋口、「京鹿子娘道成寺」の花子で五代目富十郎を襲名。「加賀鳶」の道玄、「天下茶屋聚」の元右衛門、「勧進帳」の弁慶、「頼朝の死」の畠山重保、「忠臣蔵」の師直と平右衛門、舞踊の「船弁慶」「鏡獅子」「うかれ坊主」、中村雀右衛門と踊った「二人椀久」などあたり役は多い。

74年NHK大河ドラマ「勝海舟」、80年「獅子の時代」にも出演。

勉強会「矢車会」を主宰し、09年史上最高齢の79歳で「勧進帳」の弁慶をつとめ、「連獅子」を当時10歳の長男鷹之資と踊った。10年11月新橋演舞場公演「吉例顔見世大歌舞伎」の「逆櫓」の畠山重忠が最後の舞台になった。

屋号は天王寺屋。定紋は鷹の羽八ツ矢車。85年眞山青果賞大賞、86年日本芸術院賞、94年人間国宝、96年芸術院会員、08年文化功労者に認定された。

96年33歳年下で元女優の橋爪正恵と結婚。

2011年1月 1日

高峰秀子さん死去 二十四の瞳などで熱演

高峰秀子

元女優の高峰秀子さん(本名・松山秀子さん)が28日に肺がんのため都内の病院で死去していたことが31日、分かった。86歳だった。

北海道函館市生まれ。戦前から子役として活躍し、山本嘉次郎監督の「綴方(つづりかた)教室」などに出演。戦後は、1950年代から60年代にかけて、木下恵介、成瀬巳喜男両監督の作品に相次いで主演。「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾歳月」「流れる」などで、名女優の地位を確立した。79年の「衝動殺人息子よ」まで、数多くの映画に出演。映画以外でも多才ぶりを発揮し、76年の「わたしの渡世日記」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

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