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2011年3月30日

講談社社長、野間佐和子さん死去

講談社6代目社長の野間佐和子、心不全のため30日死去、67歳。

1943年東京都生まれ。4代目社長・野間省一の一人娘。64年清泉女子大学英文科を中退。
87年夫の惟道が急死し、6代目社長に就任。以降24年間務めた。村上春樹著「ノルウェイの森」など数々のベストセラーを世に出した。90年代後半には売上高2000億円超まで伸ばしたが、02年度戦後初の赤字決算を経験。4月に社長職を省伸さんに譲り、会長に就任する予定だった。

日本雑誌広告協会理事長、読書推進運動協議会会長、日本出版クラブ会長、国際文化フォーラム会長でもある。

佐藤忠良さんが死去、具象彫刻の第一人者

彫刻家の佐藤忠良、老衰のため東京都杉並区の自宅で30日死去、98歳。

1912年宮城県舞野村(現:大和町)生まれ。6歳で父親を亡し、母弟と北海道夕張町に移住。東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科を卒業。新制作派協会彫刻部創設に参加し、以後そこを主舞台にして人体像を発表。

ロダンやマイヨールなど、フランス近代彫刻に強い影響を受ける。第2次大戦で応召。シベリアでの抑留生活を終えて48年帰国。60年「群馬の人」をはじめとする一連の日本人の顔の作品で第3回高村光太郎賞受賞。その後、73年度芸術選奨文部大臣賞、74年芸術選奨文部大臣賞、75年中原悌二郎賞、89年朝日賞など受賞多数。
66年創設に参加した東京造形大学の教授を務める。81年パリの国立ロダン美術館で個展を開催。

日本人の体つきや内面をリアルに追究した。代表作に「帽子・あぐら」「帽子・夏」「若い女の像」など。
90年仙台市の宮城県美術館内に佐藤忠良記念館が開館。女優佐藤オリヱは娘。

2011年3月28日

日本テレビ・氏家齊一郎会長が死去

日本テレビ会長で元日本民間放送連盟会長の氏家斉一郎、多臓器不全のため東京都内の病院で28日死去、84歳。

1926年東京都生まれ。東京大学卒業。在学中に渡邉恒雄から勧誘され、日本共産党に入党。その後離党。51年読売新聞者に入社。経済部長、広告局長などを経て、80年常務取締役。

82年日本テレビ代表取締役副社長に転じ、85年最高顧問となる。退任後、セゾングループ最高顧問を経て、91年日本テレビに最高顧問として復帰。92年日本テレビ社長に就任。96年民放連会長に就任。01年日本テレビ会長兼CEO。

03年視聴率不正操作問題の責任を取りCEO辞任、会長職には留まる。05年日本テレビ代表取締役会議長に就任。09年日本テレビ代表取締役会長に復帰した。

このほか東京都歴史文化財団理事長、東京都現代美術館館長を務める。
野村ホールディングス会長の氏家純一とは親類関係。古河財閥の理事だった氏家貞一郎は父。

2011年3月24日

女優のエリザベス・テイラーさん死去

エリザベス・テイラー

米女優エリザベス・テイラー(Dame Elizabeth Taylor)、カリフォルニア州ロサンゼルス市内の病院で鬱血性心不全のため23日死去、79歳。

1932年英ロンドンで生まれ、39年米カリフォルニア州ビバリーヒルズに移住。10歳で子役として映画デビュー。その後49年「若草物語」、50年「花嫁の父」などでスターの座を獲得。60年「バタフィールド8」で初のアカデミー主演女優賞を受賞。66年「バージニア・ウルフなんかこわくない」で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した。 こんほかの代表作に56年「ジャイアンツ」、63年「クレオパトラ」、65年「いそしぎ」など。

私生活では俳優リチャード・バートンとの2度の結構生活を含め、8度の結婚と7回の離婚を経験した。

2011年3月22日

体操のニコライ・アンドリアノフ氏死去

旧ソ連の体操男子エースのニコライ・アンドリアノフ(Nikolay Andrianov)、ロシア・ウラジーミルで21日死去、58歳。

1952年ウラジーミル生まれ。76年モントリオール五輪で金メダルを獲得するなど、70年代に体操ニッポンのライバルとして活躍。五輪通算7個の金メダルを獲得。メダル総数15個は08年北京五輪で競泳のマイケル・フェルプス選手(米)が塗り替えるまで男子の最多記録だった。

94年から朝日生命体操クラブでコーチを務め、塚原直也選手らを育てた。02年ウラジーミルの少年スポーツ学校校長に就任。

2011年3月20日

瀬木慎一さんが肺炎のため死去

美術評論家の瀬木慎一、肺炎のため15日死去、80歳。

1931年東京都生まれ。中央大学法学部卒業。50年代から花田清輝、岡本太郎らの前衛芸術運動「夜の会」に参加し、美術評論を始める。ピカソ、北斎、写楽らの作家研究を深め、多くの展覧会を企画。総合美術研究所を設立。国内の美術市場を継続して調査した。
東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。TV番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても知られる。

著書に「名画の値段」「日本美術事件簿」など。

2011年3月10日

コント55号 坂上二郎さんが死去

坂上二郎

コント55号のコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前、亡くなった。76歳。

昭和9年、鹿児島県生まれ。歌手を目指して19歳で上京、歌手の付き人を経て漫才師になり、東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」のコントで共演した萩本欽一さんと昭和41年「コント55号」を結成。松竹演芸場や有楽町の日劇で「机」「帽子屋」など、舞台狭しと駆け回る勢いのあるコントを披露、萩本の全身を使った突っ込みをきっちり受け止める「チッコイ目の二郎さん」として人気者に。コントの中で始めた飛行機の手振り付きの「飛びます、飛びます」は多くのお笑いタレントが物真似のネタにし、二郎さんの代名詞ともいうべきギャグだった。

その後、テレビのバラエティー番組にも進出、お茶の間でも人気を得るが、昭和40年代後半から俳優としても活躍、TBS系「夜明けの刑事」、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」など多くのドラマに出演した。また、二期会のオペレッタ公演「こうもり」に出演するなど、歌手としても実績を残した。

平成15年9月、ゴルフのプレー中に脳梗塞で倒れ、一時は生命も危ぶまれる状態だったがリハビリ中の16年1月、東京・明治座のコント55号公演で舞台復帰、18年3月には舞台劇「富豪と、嘘と、のぞみ」で完全復活を遂げていた。

2011年3月 9日

関西大学名誉教授の谷沢永一さん死去 産経新聞「正論」執筆者

谷沢永一

近代文学研究者で関西大学名誉教授の谷沢永一、心不全のため兵庫県伊丹市の病院で8日死去、81歳。

1929年大阪市生まれ。関西大学在学中の50年同人雑誌「えんぴつ」を創刊。開高健や向井敏らが参加した。57年関西大学大学院博士課程修了。55年から同大学に勤務し、91年退職。

62年初の著作「大正期の文芸評論」を出版。書評コラム集「紙つぶて」でサントリー学芸賞。森鴎外と坪内逍遥の論争を論じた「文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛」で読売文学賞研究・翻訳賞を受賞。

専門は書物の出版経緯を探り文献目録などを作成する書誌学。深い教養に支えられた近現代の文学・評論などを研究した。62年に広津和郎や佐藤春夫を論じた「大正期の文芸評論」を刊行。書物をめぐるコラムを集めた「完本紙つぶて」で80年にサントリー学芸賞、「文豪たちの大喧嘩」で04年に読売文学賞、「紙つぶて 自作自注最終版」で06年に毎日書評賞を受賞した。

2011年3月 6日

甲子園春夏連覇の尾藤公元監督死去

元箕島高野球部監督で日本高等学校野球連盟常任理事の尾藤公、膀胱移行上皮癌のため和歌山市内の病院で6日死去、68歳。

1942年和歌山県出身。和歌山県立箕島高校で4番で捕手を務める。近畿大学中退後、銀行員となる。66年箕島高校監督に就任。東尾修投手を擁し、69年春に初の甲子園出場。70年春の甲子園で初優勝。79年甲子園春夏連覇など、春3度、夏1度の甲子園大会を制覇した(出場は春8度、夏6度)。

79年夏の石川・星稜高校との延長18回の死闘は高校野球史に残る名勝負。

2011年3月 2日

プロ野球・与那嶺要氏が死去

元プロ野球選手で元中日監督の与那嶺要(本名:Wallace Kaname "Wally" Yonamin)、前立腺癌のため米ハワイ州ホノルル市内で2月28日死去、85歳。

1925年ハワイ・マウイ島生まれ。日系2世で、47年米プロフットボールの49nersに入団。50年野球に転向、マイナーリーグのサンフランシスコ・シールズ傘下のC級ソルトレイクシティ・ビーズに入団。
51年シーズン途中から巨人に入団。走攻守に優れた中堅手で首位打者を3度獲得し、57年最優秀選手に選ばれた。61年中日に移籍。62年現役引退。通算で1219試合出場、打率.311、81本塁打、482打点。ホームスチール11回は日本プロ野球歴代1位。

引退後はロッテのコーチを務めた後、中日の監督に就任。74年巨人の10連覇を阻止した。その後西武などのコーチを務め、94年に野球殿堂入り。

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