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2011年5月31日

米詩人で音楽家のギル・スコットヘロンが死去

米詩人で音楽家のギル・スコットヘロン(Gil Scott-Heron)、病気のためニューヨークの病院で27日死去、61歳。

1949年イリノイ州シカゴ生まれ。テネシー州ジャクソンで祖母に育てられる。12歳までに2冊の本を出版。13歳でニューヨークに移住。

リンカーン大学在学中にブライアン・ジャクソンとブルースバンドを結成。70年アルバム「スモール・トーク・アット125thアンド・レノックス」をリリースし、同名の詩集を出版。ジョン・ホプキンス大学で創作の修士号取得。76年アルバム「」イッツ・ユア・ワールド」、81年「リフレクションズ」、94年「スピリッツ」、10年「アイム・ニュー・ヒア」などをリリースした。

70年代を中心に活躍し、「黒いボブ・ディラン」とも呼ばれた。

2011年5月28日

チェ・ドンハさん首つり自殺

チェ・ドンハ

韓国の歌手グループ「sg WANNA BE+」(sgワナビー)元リーダーのチェ・ドンハ(Chae Dong Ha)、ソウル市内の自宅で26日死去、29歳。

連絡がつかないためマネジャーが通報し、消防隊員が自宅を入ったところ、首をつって死亡していた。自殺とみられる。鬱病で通院していたという。

1981年生まれ。02年最初のソロ・アルバム「Nature」をだすが、ヒットしなかった。04年3人組ボーカルグループ「sgワナビー」を結成。「生きて」「罪と罰」などが大ヒット。08年sgワナビーを脱退。09年2ndソロアルバム「ESSAY」、10年ミニアルバム「D day」をリリースした。

2011年5月21日

俳優の長門裕之さん死去

長門裕之

俳優の長門裕之(本名:加藤晃夫)、東京都内の病院で21日死去、77歳。1933年京都市生まれ。40年「続清水港」で映画初出演し、子役として知られた。立命館大学文学部中退。戦後、日活に入社。56年太陽族映画の第1作「太陽の季節」に主演。

58年今村昌平監督の第1作「盗まれた欲情」に出演後、同監督の「にあんちゃん」「豚と軍艦」に主演。

61年女優の南田洋子と結婚。62年日活を退社してフリーとなる。65-81年まで音楽番組「ミュージックフェア」の司会を夫婦で務めた。85年「洋子へ」を出版。

実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父に牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。

2011年5月18日

俳優でTV司会者の児玉清さん死去

児玉清

俳優でTV司会者の児玉清(本名:北川清)、胃癌のため東京都内の病院で16日死去、77歳。

1934年東京都生まれ。学習院大学ドイツ文学科に入学し、演劇部に所属。卒業後、東宝ニューフェースに合格。61年「別れていきるときも」で司葉子の相手役に抜擢。その後、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演。 一方で、テレビ俳優としても活躍。「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など数々の人気連続ドラマに出演した。

読書家としても知られ、NHK「週刊ブックレビュー」の司会などを務めた。

75年テレビ朝日系で始まったクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会を担当し、30年以上務めた。

児玉 清(こだま・きよし)
本名・北川清。1933年12月26日、東京都生まれ(戸籍上は1934年1月1日)。学習院大文学部独文学科卒。東宝の第13期ニューフェイスとして、61年の映画「別れて生きるときも」で脚光を浴びる。爽やかさを買われ、フジテレビ系「ナイトショー」、日本テレビ系「朝のワイドショー」などの司会も担当。75年テレビ朝日系クイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会に起用され、長寿番組に。主な出演作はテレビ「白い巨塔」「山河燃ゆ」「武田信玄」「HERO」「美女か野獣」。

2011年5月12日

貧乏アイドルの上原美優さん自殺か

上原美優

タレントの上原美優(本名:上原睦美)、東京都目黒区のマンションで首をつって12日死去、22歳。遺書のようなものが残され、自殺を図ったとみられる。 同日午前2時ごろ、訪ねてきた知人男性が部屋のドア付近にベルトとスカーフをかけて首をつっているのを発見。約1時間半後に搬送先の病院で死亡が確認された。

1987年鹿児島県種子島(中種子町)生まれ。 鹿児島高校を中退。上京。20歳のとき睡眠薬自殺を図る。06年レースクイーンとなるが、チームの撤退で活動終了。08年夏からTVバラエティ番組にも多数出演し、「種子島出身の貧乏アイドル」として人気に火がつく。グラビアなどでも活躍した。

09年自叙伝「10人兄弟貧乏アイドル☆―私、イケナイ少女だったんでしょうか?」を出版。10人兄姉の末っ子として生まれ、働きながら高校に通うが、壮絶なイジメで中退、レイプ体験、薬物による自殺未遂などを物語った。

2011年5月10日

「仁義なき戦い」岡田茂・東映名誉会長が死去

映画プロデューサーで東映名誉会長の岡田茂、肺炎のため東京都内の病院で9日死、87歳。

1924年広島県西条町(現:東広島市)生まれ。、44年東京帝国大学経済学部に入学するが、学徒出陣。戦後復学。
47年東映の前身である東横映画に入社。50年「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を初プロデュース。60年代以後は深作欣二、降旗康男ら若手監督を起用。任侠路線の「人生劇場・飛車角」を皮切りに、「網走番外地」「不良番長」「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどをヒットさせた。

経営者としては東映の経営合理化に着手。TV番組制作にも力を入れ、「銭形平次」などを手がけた。75年京都撮影所内に東映太秦映画村をオープン、テーマパークの先駆けとなった。

71年社長、93年会長に就任。06年から名誉会長。
78-95まで年日本映画製作者連盟の会長を務めた。長男は東映社長の裕介さん。

2011年5月 7日

作家の団鬼六氏が死去

作家の団鬼六(本名:黒岩幸彦)、胸部食道癌のため6日死去、79歳。

1931年滋賀県彦根市生まれ。中学から大阪で暮らす。関西学院大学を卒業後、上京。バー経営や中学校代用教員など職を転々とする。56年「親子丼」でオール読物新人杯に入選。当初は純文学を書いたが、変名で雑誌「奇譚クラブ」に投稿した官能小説「花と蛇」が評判となり、その後官能小説の第一人者となる。
89年休筆宣言。将棋好きが高じて、将棋雑誌のオーナーを引き受け、多額の負債を負う。95年小説「真剣師・小池重明」で執筆活動を再開。

主な著書に「花と蛇」「夕顔夫人」「真剣師小池重明」など。

2011年5月 4日

サッカー日本代表元主将の八重樫茂生氏死去

サッカー日本代表元主将の八重樫茂生、脳梗塞のため2日死去、78歳。

1933年旧満州(現:韓国)大田広域市生まれ。盛岡一高を経て中央大学入学、その後早稲田大学第二商学部に編入。在学中の56年サッカー日本代表に選ばれる。56年メルボルン、64年東京、68年メキシコと3度五輪に出場。主将として64年ベスト8進出、68年五輪銅メダル獲得に貢献した。

古河電気工業サッカー部では、63年最優秀選手に選出される。67年選手兼任監督となり、引退後は日本リーグの富士通監督、Jリーグ・ジェフ市原(現:千葉)の育成部長などを務めた。
05年日本サッカー殿堂入り。

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