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2012年6月29日

歌手「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさんが死去

双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミ(本名:伊藤日出代)、15日死去、71歳。

1941年愛知県常滑町(現:常滑市)生まれ。名古屋市育ち。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミ(本名:月子)さんと「ザ・ピーナッツ」を結成。59年「可愛い花」でレコードデビュー。音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」「ふりむかないで」など多くのヒット曲を送りだした。

59-74年まで連続16回NHK紅白歌合戦に出場。「クレージー黄金作戦」など20本以上の映画に出演した。61年怪獣映画「モスラ」では双子の妖精「小美人」を演じて話題を集めた。

75年引退を発表。解散直後に歌手の沢田研二と結婚、87年離婚。

2012年6月23日

人間国宝の大場松魚さんが死去

漆芸家で人間国宝の大場松魚(本名:大場勝雄)、老衰のため石川県津幡町の病院で21日死去、96歳。

1916年金沢市生まれ。父宗秀に師事。、工業学校を卒業後、43年年上京。松田権六の内弟子となり2年間学ぶ。伊勢神宮式年遷宮御神宝「御鏡箱・御太刀鞘」、中尊寺金色堂の保存修理(昭和39年)に従事。その後本格的な平文の技法に取り組んだ。

82年人間国宝に認定される。

作家の赤江瀑が死去

作家の赤江瀑(本名:長谷川敬)、心不全のため山口県下関市の自宅で8日死去、70歳。

1933年山口県下関市生まれ。55年日本大学芸術学部演劇科を卒業。在学中は詩の同人誌「詩世紀」に参加。

放送作家を経て、70年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。73年 「罪喰い」で直木賞候補。74年「オイディプスの刃」で角川小説賞を受賞。75年「金環食の影飾り」で直木賞候補。83年「海峡」「八雲が殺した」で泉鏡花文学賞を受賞。

芸能や伝統工芸に材を取った耽美的な作品で知られる。

戯曲「夜の藤十郎」なども手掛けた。

2012年6月15日

漫画家で版画家の畑中純が死去

漫画家で版画家の畑中純、腹部大動脈瘤破裂のため東京都府中市の病院で13日死去、62歳。

1950年福岡県小倉市(現:北九州市)出身。福岡県立小倉南高校卒業。肉体労働をしながら、1コマ漫画を描き始める。74年1コマ漫画集「それでも僕らは走っている」を自費出版。77年「月夜」でデビュー。79年から「週刊漫画サンデー」で「まんだら屋の良太」を連載。81年同作で日本漫画家協会賞を受賞。

東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授を務めた。

版画では「セロ弾きのゴーシュ」など宮沢賢治作品を多く手掛けた。

2012年6月 8日

放送作家の新倉イワオさんが死去

放送作家の新倉イワオ(本名:新倉巌)、大腸癌のため9日死去、87歳。

1924年神奈川県生まれ。。専修大学経済学部を卒業。45年終戦を機に舞台・ラジオを中心にプロデューサー、ディレクターとしてNHK、民放の各種番組に従事。日本テレビの設立に関わる。60年放送作家に転向。同局系の人気番組「笑点」では、66年放送開始から構成を担当。バラエティー番組「特ダネ登場!?」を手がけた。

心霊研究家としても知られる。「お昼のワイドショー」内の人気コーナーで心霊現象を扱う「あなたの知らない世界」ではコメンテーターを務めた。宜保愛子を世に出した仕掛け人でもある。

2012年6月 4日

ロックドラマーのジョニー吉長さんが死去

ロックドラマーのジョニー吉長(本名:吉長信喜)、肺炎のため4日死去、63歳。

1949年福岡県北九州市生まれ。60年代末から活動を開始。78年チャー、加部正義と「ジョニー・ルイス&チャー」(後の「ピンククラウド」)を結成、人気を得る。

近年「ゴールデン・カップス」サウンドを受け継いだ「シルバー・カップス」を結成。

俳優としてドラマ「二千年の恋」や映画「ラストシーン」に出演した。

「バックスバニー」の金子マリは元妻。ドラマーの金子ノブアキ、ベーシストの金子賢輔は息子。

2012年6月 3日

歌手の尾崎紀世彦さんが死去

尾崎紀世彦

歌手の尾崎紀世彦、肝臓癌のため東京都内の病院で31日死去、69歳。肺にも転移していたという。

1943年神奈川県茅ヶ崎市出身。父がイギリス人と日本人のハーフ。「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」のメンバーをへて、67年コーラス・グループザ・ワンダースに参加。

70年「別れの夜明け」でソロデビュー。71年2枚目シングル「また逢う日まで」がミリオンセラーとなり、日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞。同年NHK紅白歌合戦に初出場。90年3度目の紅白出場。ダイナミックな歌唱力から「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれた。

70年代後半から1980年代の低迷期をへて、87年「サマー・ラブ」がヒット。

2012年4月「失踪か?」と週刊誌が報じたのち、1年前から入院していることが明らかになった。

2012年6月 1日

100歳大往生 新藤兼人監督

新藤兼人

映画監督で脚本家の新藤兼人(本名:新藤兼登)、老衰のため29日死去、100歳。

1912年広島県石内村(現:広島市佐伯区)生まれ。34年京都に転居。新興キネマ現像部でフィルム乾燥の仕事をえる。

同現像部の東京移転に同行、美術助手となる。「南進女性」で脚本家デビュー。44年所属していた興亜映画が松竹大船撮影所に吸収され、脚本部へ移籍。同年召集。

50年松竹を退社、独立プロダクションの先駈けとなる「近代映画協会」を吉村公三郎や殿山泰司らと設立。51年39歳のとき「愛妻物語」で監督デビュー。

51年「偽れる盛装」が大ヒット。

52年映画「原爆の子」を発表、53年カンヌ国際映画祭に出品。チェコ国際映画祭平和賞、英国フィルムアカデミー国連賞、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受けた。

60年無言の映画詩「裸の島」を製作、モスクワ国際映画祭グランプリほかメルボルン国際映画祭グランプリなどを獲得。

62年「人間」で文部省芸術祭文部大臣賞、70年「裸の十九才」でモスクワ国際映画祭金賞、77年「竹山ひとり旅」でモスクワ国際映画祭監督賞・ソ連美術家同盟賞、95年「午後の遺言状」でモスクワ国際映画祭ロシア批評家賞ほかキネマ旬報ベストテン1位や日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。

このほか受賞多数。

文化勲章受章の音楽評論家、吉田秀和さん死去

音楽評論家の吉田秀和、神奈川県鎌倉市内の自宅で22日死去、98歳。

1913年東京生まれ。36年東京帝国大学(現:東京大学)文学部フランス文学科を卒業。内務省情報局に勤務。戦後勤めをやめ、46年雑誌「音楽芸術」に「モーツァルト」を連載、本格的に評論活動を始める。

48年斎藤秀雄、井口基成、伊藤武雄と「子供のための音楽教室」を開設し、初代室長となる。57年柴田南雄らと「二十世紀音楽研究所」を設立、所長となる。88年水戸芸術館館長に就任。

75年「吉田秀和全集」(第一期10巻まで)で大佛次郎賞、88年NHK放送文化賞、90年朝日賞、93年「マネの肖像」で読売文学賞を受賞。

96年文化功労者、06年文化勲章受章。

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