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2012年11月25日

元ハンセン病国家賠償訴訟全国原告団協議会会長の曽我野一美さんが死去

元ハンセン病国家賠償訴訟全国原告団協議会会長(全療協)の曽我野一美、肺炎のため高松市の病院で23日死去、85歳。

1927年高知県生まれ。海軍所属時にハンセン病を発病し、47年高松市の大島青松園に入所。名前は予科練時代の同僚2人の名前をつなげた偽名。

国による強制隔離政策は違憲と訴えたハンセン病国賠訴訟で全国原告団代表を務めた。

02年国との和解の基本合意書に調印。

06年全療協会長を退く。

2012年11月19日

元「ぴんからトリオ」メンバーの宮史郎さんが死去

歌手で元「ぴんからトリオ」メンバーの宮史郎(本名:宮崎芳郎)、多臓器不全のため19日死去、69歳。

1943年兵庫県加西市生まれ。姫路市のキャバレーで働きながら、59年自主制作で「男の花道」を発売。61年コミックバンド「スパローボーイズ」を結成。

63年兄の宮五郎、並木ひろしとコミックバンド「ぴんからトリオ」を結成。72年「女のみち」が約400万枚の大ヒット。続いて発売された「女のねがい」「女のゆめ」もミリオンセラーとなる。

73年並木ひろしが脱退し、グループ名を「ぴんから兄弟」に改名。同年「NHK紅白歌合戦」に初出場。83年ぴんから兄弟を解散。以後はソロ歌手として活動した。

07年映画「歌謡曲だよ、人生は」の第五話「女のみち」に出演。

2012年11月17日

女優の牧野エミさんが死去

女優の牧野エミ(本名:牧野恵美)、肝臓癌のため17日死去、53歳。

1959年大阪府生まれ、兵庫県尼崎市育ち。芸能界デビュー前から「クイズDEデート」に出演。85年立原啓裕、升毅と演劇ユニット「売名行為」を結成、関西の演劇シーンを中心に人気を博す。91年売名行為を解散。同年升毅、佐々木保典、G2と劇団MOTHERを結成。看板女優兼振付師として活動。01年MOTHER解散。08年楠見薫、中道裕子と演劇ユニット「タニマチ金魚」を結成。

ABCラジオ「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」水曜日パートナーを務めた。

俳優・演出家の福田転球と結婚、11年離婚。

2012年11月16日

政治評論家の三宅久之さんが死去

三宅久之

政治評論家の三宅久之、15日死去、82歳。東京都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなった。

1930年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部独文科を卒業。53年毎日新聞社に入社。76年退社し、フリーの政治評論家となる。

78-85年までテレビ朝日「ANNニュースレーダー」のキャスターを務める。その後、同局の「やじうまワイド」「新・アフタヌーンショー」「ビートたけしのTVタックル」「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演した。

女優の森光子さんが死去

森光子

女優の森光子、肺炎による心不全のため東京都内の病院で10日死去、92歳。

1920年京都市生まれ。俳優の嵐寛寿郎の従妹。京都府立第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高校)中退。戦前、嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属。その後、新興キネマ(後の大映)に所属、娘役として多くの映画に出演。 56年朝日放送と専属契約を結ぶ。ラジオで「東西お笑い他流試合」の大阪方の司会を務める。58年梅田コマ劇場の舞台「あまから人生」で菊田一夫に認められ、芸術座の舞台を踏む。59年東京に活動拠点を移す。同年ラジオ東京のプロデューサーで演出家の岡本愛彦と結婚(のちに離婚)。61年芸術座公演「放浪記」で主役の林芙美子役を演じる。その後、通算2017回を数える主演代表作となる。

TVドラマ「時間ですよ」「土曜グランド劇場・2丁目3番地」「銀座わが町」などに出演。

映画は「喜劇駅前温泉」「映画女優」など100本近くに出演した。

61年「放浪記」で芸術祭文部大臣賞、91年東京都民文化栄誉章、98年文化功労者、05年文化勲章と朝日舞台芸術賞特別賞、09年国民栄誉賞を受けた。

俳優でコメディアンの桜井センリさんが死去

俳優でコメディアンの桜井センリ(本名:桜井千里)、10日死去、86歳。自宅で倒れているのを発見されたが、すでに亡くなっていた。

1926年英ロンドン生まれ。早稲田大学第一政治経済学部を中退。在学中に「サンバレー・スイング・バンド」のジャズピアニストとして活動を開始。その後多くのバンドを転々とする。

60年ジャズバンド「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」に参加。バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」などに出演。

俳優として「なつかしい風来坊」「クレージー黄金作戦」「男はつらいよ」など多くの映画やTV番組などに出演した。

2012年11月10日

りそなホールディングス会長の細谷英二が死去

りそなホールディングス会長の細谷英二、病気のため東京都内の自宅で4日死去、67歳。

1945年熊本市出身。東京大学法学部を卒業後、68年日本国有鉄道に入職。87年JR東日本発足時に投資計画部長。00年副社長を歴任。02年経済同友会副幹事に就任。

03年経営難に陥り、約2兆円の公的資金を注入されたりそなホールディングス(HD)の会長に転じる。行員の意識改革に取り組む一方で、最大3兆円超の公的資金を約8700億円まで減らし、完済に向けた道筋を付けた。

09年りそな銀行会長の代表権を返上。12年HDの代表権も返上し、取締役兼執行役会長に退いた。

2012年11月 4日

作家の藤本義一さんが死去

作家の藤本義一、肺癌のため兵庫県西宮市の病院で30日死去、79歳。

1933年大阪府堺市出身。立命館大学法学部に入学するが、中退。大阪府立浪速大学(現:大阪府立大学)大阪府立浪速大学に入学。その後経済学部に移る。在学中からシナリオなどを手がける。57年ラジオドラマ「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞戯曲部門を受賞。

卒業後は宝塚映画に入り、シナリオを執筆。続いて大映に入社、映画監督、川島雄三に師事。62年から放送作家として独立、「法善寺横丁」などを執筆。63年 「日時計の歌」で文芸賞戯曲部門佳作一席。65年から読売テレビ系の深夜番組「11PM」の司会者を務め、90年の最終回まで25年、2520回にわたって出演した。

一方 68年初の長編小説第「残酷な童話」を発表。74年「鬼の詩」で直木賞を受賞。日本放送作家協会関西支部長も務めた。

漫才集団「笑の会」を主宰し、上方漫才師や漫才作家の育成にあたった。

95年阪神大震災で親を亡くした遺児の心のケアに取り組み、99年兵庫県芦屋市にケア施設「浜風の家」をオープン、理事長を務めた。

主な著作に「生きいそぎの記」「元禄流行作家-わが西鶴」「殺られ」「白い血が流れる」「はぐれ刑事」「贋芸人抄」など。

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