メイン

2013年10月30日

元巨人監督の川上哲治さんが死去

元巨人監督の川上哲治、老衰のため東京都稲城市の病院で28日死去、93歳。

1920年熊本県球磨郡大村(現:人吉市)出身。熊本県立工業高校を卒業。38年東京巨人軍に投手として入団。その後、打者に転向し、39年打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。以後1941年にも首位打者獲得。56年プロ野球史上初の2000本安打を達成。赤バットがトレードマークで「打撃の神様」と呼ばれた。57年現役引退。

61年巨人監督に就任。65-73年長嶋茂雄や王貞治らを率いて9年連続リーグ優勝、日本一の黄金期を築いた。

監督退任後は球団専務に就任。

2013年10月28日

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド リーダのルー・リードさんが死去

米ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」リーダのルー・リード(Lou Reed、本名:Lewis Allen Reed)、肝臓病のためニューヨーク州ロングアイランドで27日死去、71歳。

1942年米ニューヨーク州ブルックリン生まれ。シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツに師事、詩作を学ぶ。65年ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成、ヴォーカ&ギターを担当。70年バンドを離れる。

72年「ロックの幻想」でソロ・デビュー。同年シングル「ワイルド・サイドを歩け」がヒット。90年代前半にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを断続的に再結成。96年にェルヴェット・アンダーグラウンドはロックの殿堂入り。

2013年10月27日

漫画家の風間やんわりさんが死去

漫画家の風間やんわり、肝機能障害のため22日死去、36歳。

1977年東京都板橋区出身。95年高校在学中に「食べれません」でデビュー。18年にわたる長期連載となった。「週刊ヤングマガジン」「FRIDAY」などで4コマギャグ漫画を連載。

福岡ソフトバンクホークス社長 笠井和彦さんが死去

福岡ソフトバンクホークス社長でフトバンク取締役の笠井和彦、肺カルチノイドのため21日死去、76歳。

59年香川大学経済学部を卒業。富士銀行(現:みずほ)に入行。副頭取まで務めたのち、安田信託銀行(現:みずほ信託銀行)会長を歴任。00年ソフトバンク取締役に就任。

その後、05年から福岡ソフトバンクホークス社長兼オーナー代行、パシフィックリーグマーケティング社長を務める。

コラムニスト天野祐吉さんが死去

コラムニストで元雑誌「広告批評」編集長の天野祐吉、間質性肺炎のため20日死去、80歳。

1933年東京市足立区生まれ。明治学院大学中退。創元社、博報堂を経て独立。79年雑誌「広告批評」(09年休刊)を創刊し、編集長や発行人を務めた。

05年NHK放送文化賞を受賞。06-07年は放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送番組委員会委員長も務めた。「広告論講義」など著書多数。

02-07年まで松山市立子規記念博物館館長を務める。07年名誉館長に就任。

2013年10月 9日

お笑いタレントの桜塚やっくんさんが死去

お笑いタレントの桜塚やっくん(本名:斉藤恭央)、中国自動車を車で走行中の事故のため5日死去、37歳。山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線で単独事故を起こし、車を降りたところを後続車にはねられた。搬送先の病院で死亡が確認された。死因は心臓破裂。

1978年横浜市生まれ。日本大学芸術学部映画学科演技コースを卒業。

個人事務所を設立し所属。

お笑いコンビ「あばれヌンチャク」を結成したが解散。「スケバン恐子」というキャラクターでコンビ時代の愛称「桜塚やっくん」としてブレイクした。バラエティ番組「エンタの神様」などに出演。

06年歌手デビュー。08年植田浩望の名で俳優活動も開始した。

2013年10月 8日

元バレーボール日本代表チーム主将の河西昌枝さんが死去

元バレーボール日本代表チーム主将で東京五輪金メダリストの河西昌枝(現:中村昌枝)、3日死去、80歳。

1933年山梨県巨摩郡南湖村(現:南アルプス市)出身。県立巨摩高校を卒業、日紡(当時)に入社。62年モスクワ世界選手権で優勝。64年の東京五輪で主将兼セッターとして金メダルを獲得。大松博文監督のもと「東洋の魔女」といわれたチームをまとめた。65年現役引退。結婚後もママさんバレーの指導や講演などで競技に携わる。

04年アテネ五輪女子日本代表団長などを歴任。

08年世界バレーボール殿堂入り。11年黒鷲旗全日本男女選抜大会で特別功労者表彰。

元歌手の克美しげるが死去

元歌手の克美しげる(本名:津村誠也)、脳出血のため栃木県佐野市の病院で2月27日死去、75歳。

1937年宮崎市出身。宮崎県立宮崎大宮高校を卒業。61年「霧の中のジョニー」で歌手デビュー。60年代にアニメ「エイトマン」の主題歌や「さすらい」がヒット。2年連続NHK紅白歌合戦に出演。ドラマ「人形佐七捕物帳」にもレギュラー出演した。

76年愛人を殺害して懲役10年の判決を受け、服役。89年覚せい剤取締法違反で実刑判決を受けた。

1