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2015年1月25日

柔道家での斉藤仁さんが死去

柔道家で元日本男子代表監督の斉藤仁、肝内胆管癌のため大阪府東大阪市内の病院で20日死去、54歳。

1961年青森市生まれ。83年国士舘大学体育学部を卒業。同年モスクワ世界選手権無差別で優勝。84年ロサンゼルス五輪95kg超級で金メダル獲得。その後怪我に苦しむが、 88年全日本選手権で初優勝。

88年ソウル五輪95kg超級で2度目の金メダルを獲得した。

89年選手引退後、国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活動。12年副強化委員長から強化委員長に昇格。この間、04年アテネ五輪および08年北京五輪で日本選手団男子柔道監督を務めた。

国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。段位7段。

元プロ野球選手の大豊泰昭さんが死去

元プロ野球選手の大豊泰昭(本名:陳大豊)、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で18日死去、51歳。

1963年台湾南投県埔里鎮の出身。華興高を卒業。20歳で来日、84年名古屋商科大学に入学。

88年NPBドラフト2位で中日ドラゴンズと選手契約。94年年間38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠獲得。98年阪神タイガースに移籍。00年通算250本塁打、1000本安打を達成。01年中日ドラゴンズに復帰。02年オフに現役引退。

プロ野球生活14年で通算1089安打、277本塁打、打率.266。

2015年1月19日

石井光三オフィス会長の石井光三さんが死去

芸能プロダクション「石井光三オフィス」会長の石井光三、東京都内の自宅で6日死去、83歳。胆管がんで病気療養中だった。

1931年東京生まれ。大阪産業大学附属高校を卒業。39年東宝京都(現:JO京都撮影所旧)に入る。46年東横映画京都の第1期ニューフェースとなる。52年宝塚新芸座に入団したが、63年タレントを引退。松竹芸能に入社し、マネジャーに転身。

83年石井光三オフィスを設立し社長に就任。06年会長となる。

事務所には現在、ラサール石井、清水よし子、磯野貴理らのタレントが所属。自身も「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組に多数出演した。

元俳優の菅原文太さんが死去

元俳優の菅原文太、転移性肝癌による肝不全のため東京都内の病院で1日死去、81歳。07年膀胱癌を患い体調を崩していた。

1933年仙台市生まれ。早稲田大学第二法学部を中退。劇団四季に1期生として入団。57年岡田眞澄ら8人で日本初の男性専門モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立、ファッションモデルとして活動。

58年新東宝にスカウトされ、「白線秘密地帯」で映画俳優として本格デビュー。吉田輝雄、高宮敬二、寺島達夫ら二枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれた。61年新東宝が倒産、松竹に移籍。67年東映に移籍。

73年広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」、75年公開の「トラック野郎・御意見無用」に主演。ともにシリーズ化され国民的な人気を得る。

92年長男加織とビデオシネマ「ビッグ・ボス」で初共演するも、01年踏切事故で死去。以降は公の場にでることを嫌うようになった。

12年俳優引退を宣言。山梨県北杜市で農業法人を主宰するほか、農村再生や脱原発運動にかかわってきた。

父は洋画家の狭間二郎。

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