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2015年6月25日

漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今いくよさんが死去

漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今いくよ(本名:里谷正子)、胃がんのため入院先の大阪府内の病院で28日死去、67歳。

1947年京都市出身。京都明徳高校を卒業。会社に務めをへて、70年高校の同級生だった今くるよと漫才師の今喜多代に 弟子入り。73年漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成し、初舞台を踏む。細い体形と厚化粧が持ち味。84年上方漫才大賞、咲くやこの花賞を受賞。本格女流漫才コンビとして知られた。

2014年11月24日

落語家でタレントの桂小金治さんが死去

落語家でタレントの桂小金治(本名:田辺幹男)、肺炎のため川崎市麻生区の病院で3日死去、88歳。

1926年東京府杉並町(現:東京都杉並区)生まれ。帝京商業学校(現:帝京大学高等学校)卒業。陸軍少年戦車兵学校在校中に終戦。47年2代目桂小文治に入門。49年二つ目昇進、「小金治」を名乗る。52年役者に転じ、映画やTVドラマ、バラエティ番組に数多く出演、ワイドショーの司会者としても活動。

2014年8月31日

大相撲元小結でタレントの龍虎さんが死去

大相撲元小結でタレントの龍虎(本名:鈴木一清)、循環器疾患のため静岡県掛川市内の病院で29日死去、73歳。同県内を家族と旅行中に、野外で不調を訴え、救急搬送された。

1941年東京都大田区出身。57年初場所に鈴木山のしこ名で初土俵。改名を重ね、66年夏場所から龍虎とする。68年春場所に新入幕。70年春場所で小結。怪我で一度転落するが、75年初場所で小結復帰。同年夏場所に右アキレスけん断裂で現役引退。

引退後は年寄放駒を襲名するも、77年日本相撲協会を退職。タレントに転向し、ラジオやテレビのほか、映画「嗚呼!!花の応援団」シリーズなどに出演した。

2014年5月15日

お笑い芸人のレツゴーじゅんさんが死去

お笑い芸人のレツゴーじゅん(本名:渡辺美二)、脳出血のために大阪市内の病院で8日死去。68歳。

1945年大阪府堺市出身。上宮高校を卒業。64年吉本新喜劇に入団、花紀京の付き人となる。当時の芸名は渡淳。65年「ルーキー爆笑劇団」に移籍。69年正児、長作とともに「レッツゴー三匹」を結成する。70年代から人気を博し、上方漫才大賞などを受賞。
80年代末よりピンのテレビタレント、舞台俳優としても活動。91年脚本家の逢坂勉門下に入り、逢坂じゅんの名を併用するようになった。

2014年1月11日

タレントのやしきたかじんが死去

歌手でタレントのやしきたかじん(本名:家鋪隆仁)、3日死去、64歳。13年食道癌の治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良のため休養していた。

1949年大阪市西成区出身。桃山学院大学経済学部中退、桃山学院大学経済学部中退。大学時代から歌手活動を始め、71年「娼婦和子」でレコードデビューするも発売禁止。76年シングル「ゆめいらんかね」、アルバム「TAKAJIN」で再デビュー。84年「あんた」、86年「やっぱ好きやねん」などヒット曲を放つ。93年「東京」が約60万枚の自己最高のヒット、94年全日本有線放送大賞「特別賞」「読売テレビ最優秀賞」を受賞。

一方で、関西の民放テレビで司会者として活動。主な出演番組に「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじんNOマネー」など。

大阪を明るくする目的で設立されたボランティア団体「OSAKAあかるクラブ」の呼びかけ人代表も務めた。

2013年10月 9日

お笑いタレントの桜塚やっくんさんが死去

お笑いタレントの桜塚やっくん(本名:斉藤恭央)、中国自動車を車で走行中の事故のため5日死去、37歳。山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線で単独事故を起こし、車を降りたところを後続車にはねられた。搬送先の病院で死亡が確認された。死因は心臓破裂。

1978年横浜市生まれ。日本大学芸術学部映画学科演技コースを卒業。

個人事務所を設立し所属。

お笑いコンビ「あばれヌンチャク」を結成したが解散。「スケバン恐子」というキャラクターでコンビ時代の愛称「桜塚やっくん」としてブレイクした。バラエティ番組「エンタの神様」などに出演。

06年歌手デビュー。08年植田浩望の名で俳優活動も開始した。

2013年5月 1日

ウクレレ漫談家の牧伸二さんが死去

ウクレレ漫談家の牧伸二(本名:大井守常)、29日死去、78歳。大田区の丸子橋付近の多摩川に浮かんでいるところを版権され、搬送先の病院で死亡が確認された。自殺と見られる。

1934年東京市目黒区生まれ。夜間高校に通いながら東亜計器に勤める。高校卒業後、57年ラジオ東京(現:TBSラジオ)の「しろうと寄席」で7週連続で名人位を獲得。60年文化放送でレギュラー番組「ウクレレ週刊誌」を持つ。63年日本教育テレビ(現:テレビ朝日)の演芸番組「大正テレビ寄席」の司会に起用される。

65年第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞。<

99年東京演芸協会の会長に就任。02年脳出血で療養とリハビリを余儀なくされる。

復帰後の03年文化庁長官賞を受賞。

弟子に泉ピン子ほか。

2012年3月 9日

元タレント・テレビキャスターの山口美江が死去

山口美江

元タレント・テレビキャスターの山口美江、死去、51歳。

8日遺体で発見された。先月から体調不良で通院治療をしていたという。1960年横浜市中区出身。小学校から高校まで横浜のサンモール・インターナショナル・スクールに学び、元祖バイリンギャルと呼ばれた。上智大学外国語学部を卒業。外資系化粧品メーカーのエスティローダー、ワーナー・ブラザーズに勤務。

通訳の仕事をへて、テレビ朝日「CNNヘッドライン」のニュースキャスターとしてタレントデビュー。フジッコ・漬物百選のCM「しば漬け食べたい」で注目を集め、TVのバラエティ番組やドラマに多数出演した。

96年芸能界を一時引退。横浜中華街の輸入雑貨店「グリーンハウス」を運営(11年閉店)。その後、アルツハイマー病だった父親の介護経験をもとに講演会・トークショーを行っていた。

2012年2月11日

漫才コンビ「大平サブロー・シロー」の大平シローさん、死去

タレントの大平シロー(本名:伊東博)、大阪府の病院で9日死去、55歳。
2月4日大阪市内の事務所で倒れ、一時心肺停止。その後、意識不明の状態が続いていた。

1956年大阪府泉大津市出身。、大阪府立泉大津高校を卒業。

75年トリオ漫才「レツゴー三匹」に入門。76年漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてでデビューし。80年NHK上方漫才コンテスト最優秀賞、86年上方漫才大賞を受賞など受賞。漫才ブームなどで人気を得る。

88年吉本興業から離脱。92年コンビを解散。同年参院選に比例区から立候補するも落選。

99年に吉本へ復帰。大平マサヒコ(現:太平まさひこ)と漫才コンビを結成するが、ほどなく解消。以降はピンで活動する。近年は俳優や放送作家としても活動した。

2011年11月28日

立川談志さん、喉頭がんで死去

立川談志

落語家で元参院議員の立川談志(本名:松岡克由)、喉頭癌のため東京都内の病院で21日死去、75歳。

1936年東京生まれ。56年16歳で高校を中退し、五代目柳家小さんに入門。小ゑんを名乗った二ツ目時代から頭角を現す。53年真打ち昇進。五代目立川談志を襲名。66-69年までTV番組「笑点」では初代司会者を務めた。

69年衆院選に旧東京88から出馬し落選。71年参院選全国区で最下位当選、自民党入党。沖縄開発庁政務次官を務めたが、酒に酔って記者会見に臨み問題発言で辞任。

落語協会真打昇進試験制度運用を巡って落語協会会長で師匠の小さんと対立し、83年落語協会を脱会。落語立川流を創設、家元となる。古典を現代的に究めることにこだわり続けた。97年食道癌を外科手術により摘出。

立川 談志(たてかわ・だんし)本名・松岡克由。1936年1月2日、東京都生まれ。52年、5代目柳家小さんに入門し「小よし」。54年、二つ目に昇進し「小ゑん」。63年、真打ちとなり、立川談志を襲名。66年から日テレ系「笑点」の初代司会者を務める。69年、衆院選に無所属で出馬し落選。71年、参院選(全国区)で初当選。自民党に入党。75年、沖縄開発庁政務次官に就任も、わずか36日で辞任。83年、弟子らとともに落語協会を脱退。「落語立川流」を創設し、家元となる。出ばやしは「木賊(とくさ)刈り」。

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