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2010年2月27日

「チャンバラトリオ」の南方英二さんが死去

南方英二

ハリセンと本格的な殺陣を組み合わせた時代劇風コントで人気を得たお笑いグループ「チャンバラトリオ」の南方英二(みなかた・えいじ、本名・楠本喜八郎=くすもと・きはちろう)さんが26日午後8時33分、肝硬変のため大阪府内の病院で死去したことが27日、明らかになった。77歳だった。芸人仲間から「頭(かしら)」と慕われた芸歴50年以上の大ベテラン。先月まで劇場に立ち、最後まで現役を貫いた。

ボケ役の顔や頭を「ハリセン」でバシッとたたいて突っ込み、たたかれた方は大げさに痛がる‐。大人気コント「大阪名物ハリセンチョップ」で一世風靡(ふうび)した芸人が逝った。

所属の吉本興業によると、南方さんは20日に体調不良を訴えて大阪府内の病院で診察を受け、肝硬変と診断。入院はせず自宅で静養していたが、26日に容体が急変し、病院に搬送されて息を引き取った。

最後の仕事になったのは1月5日から11日まで出演した大阪・京橋花月での舞台。「特に変わった様子はなく、いつも通りにされていました」(劇場関係者)という。

メンバーの高齢化などもあり、最近は劇場出演は2、3カ月に1回のペースになっていた。しかし、「あれだけのキャリアがあっても舞台では常に全力勝負。後輩の良い見本だった」と関係者は話し、仕事への情熱は一向に衰えていなかった。

ただ、病院は苦手だったようで「定期的に診察を受けるようなこともなかったし、好きなお酒と芸を楽しんでらっしゃったと思います」と芸人らしく生きた人生だった。

リーダーの山根伸介(73)は「あと2年で50周年を迎えることになり、『きれいに幕を下ろしたい』と2人で誓った矢先でした」と突然の死を悼んだ。「残った私が若手や吉本の手を借りて、何とか結成50周年をやり遂げますので見守ってください」とコメントした。

南方さんは故萬屋錦之介さんに師事し、63年に「チャンバラトリオ」を結成。時代劇俳優出身という経歴を生かした本格的な殺陣とハリセンを組み合わせた芸で人気者となり、76年には上方漫才大賞を受賞した。

俳優としても活躍し、北野武監督作品「ソナチネ」などにも出演した。

2010年2月18日

俳優・藤田まことさん死去

藤田まこと

ドラマ「必殺」シリーズやコメディー「てなもんや三度笠」をはじめ、テレビや映画、舞台などで幅広く活躍した俳優の藤田まこと(ふじた・まこと、本名・原田真=はらだ・まこと)さんが17日午前7時25分、大動脈からの出血のため大阪府吹田市の病院で死去した。76歳だった。

藤田さんは2008年に食道にがんが見つかり手術。静養後の09年1月にカムバックしたが、11月に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため再びドラマを降板して治療に専念。今年1月に時代劇「必殺」シリーズのナレーションの仕事で復帰していた。

東京都出身。無声映画時代のスターだった俳優、藤間林太郎の次男として生まれた。幼少時に関西に転居して、高校卒業後に歌手としてデビュー。司会や声帯模写、物まねなどのタレント活動も行い、1957年の「びっくり捕物帖」や61年の「スチャラカ社員」(いずれも大阪・朝日放送制作)にレギュラー出演したことがきっかけで人気者となった。

62年から白木みのるとのコンビで主役を張った「てなもんや三度笠」(同)が大ヒット。「当たり前田のクラッカー」「耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたる」などのギャグでお茶の間を沸かせた。

73年には、時代劇「必殺」シリーズの第2弾「必殺仕置人」に同心、中村主水(もんど)役で出演。嫁姑に「ムコ殿!」と呼ばれる"昼行灯"の同心が、裏ですご腕の剣士として悪人を葬り去る中年男を熱演。シリーズは昨年の第31弾「必殺仕事人2009」まで続き、主水は当たり役となった。

88年から始まった「はぐれ刑事純情派」では温和で人情に厚いベテラン刑事、安浦吉之助を演じ人気を集めた。そのほか「京都殺人案内」「剣客商売」シリーズなども好評で、映画「日本の青春」「明日への遺言」などで見せたシリアスな演技も評価された。またミュージカル「その男ゾルバ」に主演したり、歌手としても活動するなど、多方面で才能を発揮した。芸術選奨文部大臣賞など受賞は多数で、02年に紫綬褒章受章。

その一方で、1993年に妻が経営する中華レストランが倒産し、約30億円ともいわれる巨額の借金を抱え込んだことも。大阪府豊中市にあった「主水御殿」と呼ばれる自宅を約4億円で売却しても足りず、藤田さんは無休で俳優業に専念して完済した。

関係者によると、06年から大阪府箕面市のマンションに家族とともに住んでいた。

5日放送されたフジテレビ系ドラマ「剣客商売スペシャル 道場破り」で、人情味あふれる老境の剣客姿で時代劇ファンを堪能させたばかり。能村庸一ゼネラルプロデューサーは「時折つらそうにされていたが、芝居に入るとそんな気配はみじんも見せない。本物の役者だった」と、昨秋行われた撮影当時の様子を振り返った。

【藤田まことさんの主な出演作品】

■テレビドラマ

「てなもんや三度笠」(1962~79年)
「必殺シリーズ」(1973~2009年)
「京都殺人案内シリーズ」(1979年~)
「はぐれ刑事純情派シリーズ」(1988年~2009年)
「剣客商売シリーズ」(1998年~2010年)

■映画

「てなもんや三度笠」(1963年)
「日本の青春」(1968年)
「衝動殺人・息子よ」(1979年)
「劇場版必殺シリーズ」(1984~99年)
「はぐれ刑事・純情派」(1989年)
「明日への遺言」(2008年)

■舞台

「東海林太郎物語 歌こそ我がいのち(1985年)」
「その男ゾルバ」(1986年)

藤田 まこと(ふじた・まこと)
本名・原田真。1933年4月13日、東京・豊島区生まれ。父は無声映画で活躍した藤間林太郎、伯父は女形の曽我廼家(そがのや)弁天。京都市で育ち、堀川高を卒業後、歌手のディック・ミネを頼って芸能界入り。その後、兄弟漫才コンビ「中田ダイマル・ラケット」の中田ダイマルに師事してお笑いに。62年のテレビ番組「てなもんや三度笠」で全国区の人気を獲得。73年スタートのテレビ時代劇「必殺仕置人」で再びブレーク。「必殺仕事人」へと続くシリーズの中村主水役で、俳優として不動の地位を確立。02年に紫綬褒章を受章。

2010年2月12日

玉置宏さん死去 名司会「1週間のごぶさたでした」

玉置宏

大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」館長で司会者の玉置宏(たまおき・ひろし=本名・玉置宏行)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため死去した。76歳だった。

「1週間のごぶさたでした」の名調子で知られるベテラン司会者の玉置さんの"体調不良"は6日に各メディアが一斉に報じ、8日になってから玉置さんの長男・雅史氏が同館を通じて「現在、玉置宏は神奈川県内の病院に入院しております」とコメントを発表していたが、詳しい病状などは明らかにしていなかった。

玉置さんは1956年、明治大学商学部卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社。1958年よりフリーとなり司会業に専念し「ロッテ歌のアルバム」(TBS系)、『象印スターものまね大合戦』(テレビ朝日系)、『にっぽんの歌』『昭和歌謡大全集』(テレビ東京系)、『玉置宏の笑顔でこんにちは!』『玉置宏の芸能伝説』(ニッポン放送)、『ラジオ名人寄席』(NHKラジオ第一)などの長寿番組を担当していた。日本司会芸能協会名誉会長。

2010年1月28日

俳優・夏夕介さん死去

夏夕介

ドラマ「純愛山河 愛と誠」「特捜最前線」などで知られる俳優の夏夕介(本名・田浦久幸)さんが27日、胃がんのため都内の病院で死去した。59歳だった。

夏さんが俳優代表を務める劇団「シアタージャパン」によると、夏さんは昨年夏頃までけいこにも顔を出していたが、秋になって「体調が悪い」と検査を受け胃がんを発見。同11月に手術を受けた。一度は退院したものの年末に再び入院していた。昨年8月、劇団の10周年記念公演でカーテンコールに登場したのが最後の舞台出演となった。

夏さんは1969年、大阪で高校卒業と同時に、歌手の和田アキ子(59)がボーカルを務めるバンド「グランプリーズ」にオルガン奏者として加入。和田がソロ歌手としてプロデビューするのを機に上京。人気グループサウンズのオックスに参加した。

オックス時代から俳優業にも進出。70年に「野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ」で映画初出演し、オックス解散後は俳優に専念。74年に少年マガジンの人気漫画をドラマ化したテレビ東京系「純愛山河 愛と誠」に出演しブレーク。79年からテレビ朝日系「特捜最前線」にレギュラー出演。番組で知り合った女優の伊藤めぐみさん(60)と結婚。その後、顔の右半分がまひするハント症候群という病気を患ったこともあったが、00年には「シアタージャパン」を立ち上げるなど精力的に活動していた。

長女の愛花ちさきは宝塚歌劇団・宙組の娘役。この日も悲しみをこらえ東京・宝塚劇場で「カサブランカ」に出演した。

2010年1月25日

ミッキー安川さん告別式

18日に肺炎のため死去したタレント、ミッキー安川(本名・安川実=やすかわ・みのる)さん(享年76)の葬儀・告別式が24日、横浜市戸塚区の親縁寺テンプル斎場で営まれた。

葬儀には、鳩山由紀夫首相(62)や原口一博総務大臣(50)、平沢勝栄衆院議員(64)ら、政財界、芸能界から親交の深かった約400人が参列した。

長男でタレントのマット・安川(37)は、「(代役を務めた12月23日の)ディナーショーを無事終えたことを報告したら、"よかった。みなさんにお礼をしないとな。頼むな"といわれたのが最後でした。これだけの方に思いをこめていただいて、父も大変喜んでいると思います」とあいさつした。

2010年1月13日

落語家の春風亭栄橋さん死去

春風亭栄橋さん70歳(しゅんぷうてい・えいきょう<本名・山田昌男=やまだ・まさお>落語家)12日、パーキンソン病のため死去。

東京都出身。1957年、三代目桂三木助に入門し、その後六代目春風亭柳橋門下に。73年真打ち。日本テレビ系の人気番組「笑点」で初代司会者、立川談志さんの時代に大喜利メンバーとして活躍した後、長期療養を続けていた。

2009年12月26日

「フジファブリック」ボーカルの志村正彦さん急死

4人組ロックバンド「フジファブリック」のボーカルの志村正彦さんが24日に29歳の若さで亡くなっていたことが25日、分かった。公式ホームページで発表された。詳細については不明で、死因についても「検査の結果は病名不詳」としている。

HPによると今月6日に京都で行われた「みやこ音楽祭09」に出演したのが最後のライブとなり、17日に放送されたインターネットラジオ「フジファブリックのネトネト言わせて」が最後の仕事となった。同サイトの「志村日記」では「体調もかなり良好です。どこも痛くも痒(かゆ)くもない」と健康な様子もつづっていた。

志村さんは作詞作曲を手がけるなど、バンドの中心人物として活躍。所属事務所の先輩でもある奥田民生に影響を受けて音楽を志し、UKバンドのような軽快なギターロックと個性的なメロディーやユーモアあふれる歌詞で群雄割拠のロックシーンでも異彩を放っていた。

今後は残ったメンバー3人で音楽活動を継続するというが、メンバーとスタッフの連名で「動揺を隠せません」とコメント。29日にインテックス大阪で行われる「RADIO CRAZY」、30日に千葉・幕張メッセで行われる「COUNT DOWN JAPAN 09/10」の出演はキャンセルするという。

フジファブリックの公式ウェブサイト
http://www.fujifabric.com/

2009年12月16日

ザ・ハプニングス・フォーのペペ吉弘さん死去

グループサウンズ全盛期に活躍したバンド「ザ・ハプニングス・フォー」のベース、ペペ吉弘さんが今月13日、食道がんのため死去していたことが15日、分かった。67歳。同日親族のみで密葬を執り行ったという。

福岡県出身。1967年に作曲家のクニ河内(69)らとグループを結成、デビュー曲「あなたが欲しい」などがヒットした。72年に解散後はソロ活動などを経て、01年の同グループ再結成に参加。ライブ活動などを行っていた。

2009年12月10日

加藤和彦さんのお別れ会『KKミーティング』に友人・関係者ら約500人出席

加藤和彦

今年10月16日に急逝した元ザ・フォーク・クルセダーズで音楽家の加藤和彦さんのお別れ会『KKミーティング』が10日、都内ホテルで行われ、発起人のひとりで同メンバーのきたやまおさむ氏をはじめ友人・関係者ら約500名が出席した。主催者としてあいさつしたきたやま氏は「彼が死んだのは10月16日で、17日に彼から手紙を受け取りました。死ぬ直前に投函して演出したものです」と、無念さと愛情の入り混じった表情で語った。

きたやま氏は、加藤さんの亡くなった翌日に届いたという手紙の内容も明かし、「1行目に『きたやまくん、ごめんね。約束破ってごめんなさい』と。来年の春に私の退職祝いにザ・フォーク・クルセダーズを復活して、坂崎幸之助くんに手伝ってもらってコンサートをもう一度と言っていたんです。あと、彼が死なないって約束もしていた。主治医ではなかったけど話は聞いていて、ずいぶん前からそういう思考を持っていたから、とうとうやったなって気持ちだった」と当時を振り返った。

また今回のお別れ会についても言及し、「3週間泣いて過ごして、腹が立ってきた。バカヤローですよ。(手紙には)『偲ぶ会とかはやるな』って書いていて、なんとかぶち壊してやろうと。でも偲ぶ会とかは嫌がるから、『KKミーティング』って訳わからない名前をつけました」と愛情を込めてあいさつした。

加藤さんの意向により行われた密葬の後、多くの友人や関係者からお別れ会や偲ぶ会などを行いたい、との問い合わせが多数あったことから、生前の加藤さんが固辞していたというものの「加藤さんのクリエイティブな人生に関わった人々が集まって語り合おう」という形で『KKミーティング』は開催される運びとなった。

会場には幼少時代、20代~40代、2006年、2008年冬、今春に撮影された加藤さんの写真や、デビュー前のザ・フォーク・クルセダーズの写真など8枚が飾られ、参加者には加藤さんが愛した全国の美食の数々がふるまわれた。そして、坂崎による締めのあいさつ後には全員で「あの素晴らしい愛をもう一度」が歌われた。なお、きたやま氏のほか市川猿之助、渡邊美佐、朝妻一郎が発起人に名を連ねた。

◆加藤 和彦(かとう・かずひこ)
1947年(昭22)3月21日生まれ、京都市出身。京都で仏像作りを手がける家に生まれたが、高校卒業まで東京で過ごす。龍谷大在学中の65年、雑誌「メンズクラブ」の投稿欄でバンドメンバーを募集し、意気投合した北山修らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成。「帰って来たヨッパライ」はテレビ黄金期にラジオから火が付き、280万枚を売り上げた。72年に当時の妻だった福井ミカ(60)をボーカルに「サディスティック・ミカ・バンド」を結成したが、75年に離婚し解散。私生活ではその後、77年に作詞家の安井かずみさんと再婚するも、94年に安井さんが肺がんのため死去(享年55)。翌年、中丸三千絵と再々婚したが00年に離婚した。

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2009年12月 2日

飯野知彦さん死去「いい湯だな」などヒット

飯野知彦

4人組男性コーラスグループ、デュークエイセスの元メンバー、飯野知彦(いいの・ともひこ)さんが11月20日午前10時、胃がんのため埼玉・所沢市内の病院で死去していたことが1日、分かった。56歳だった。

飯野さんは昨年胃がんが発覚。治療を受けて回復したものの、今年6月に自宅で倒れ入院。長期療養が必要と診断されたため、7月にデュークを脱退した。治療を続けながら復帰を目指していたが、その願いはかなわなかった。最期は最愛の妻、裕子さんに看取られ、天国へ旅立った。  関係者によると、11月25日に近親者だけで葬儀・告別式を済ませ、裕子さんが喪主を務めた。お別れの会は未定。

デュークエイセスは1955年に結成され、ダークダックス、ボニージャックスと並ぶ、日本を代表するコーラスグループ。「いい湯だな」「女ひとり」などのヒット曲を歌ってきた。飯野さんは、90年に脳内出血で死去した初期メンバー、谷口安正さんの後任として91年に加入、トップテナーを担当。最後のステージは5月21日、大阪厚生年金会館で行われた「BS日本・こころの歌」の公開収録だった。

2009年11月25日

吉本の人気コメディアン、亀山房代さん急死 42歳

亀山房代

元漫才師でお笑いタレントの亀山房代(かめやま・ふさよ)さんが23日午前2時57分、心室細動のため神奈川県内の病院で死去した。42歳。三重県出身。所属するよしもとクリエイティブ・エージェンシーによると、すでに近親者による密葬を済ませ、後日「お別れ会」を開くという。

亀山さんは1986年、吉本総合芸術学院(NSC)の5期生を経て吉本興業入り。当初はピン芸人として活動していたが、89年にザ・ぼんちを解散した里見まさとの誘いで、漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成。キャリアウーマンばりに語る亀山さんにまさとがツッコミを入れる芸風で、95年に上方漫才大賞奨励賞、97年に上方お笑い大賞金賞、98年に上方漫才大賞に輝いた。

2001年にフォトジャーナリスト、今枝弘一氏との結婚を機に解散。翌02年3月に長女を出産した後はコメンテーターやイベント司会、高校生らの性教育をテーマにした講演を積極的に行っていた。

亀山さんのブログ「カメぶっく」では、今月9日に長女を歯医者へ連れていったことを記したのを最後に更新が途絶えていた。

2009年11月23日

女優・千原しのぶさんが死去

千原しのぶさん(ちはら・しのぶ、本名・石原知子=いしはら・ともこ=女優)22日、肺がんで死去。

78歳。告別式は24日午前11時、京都市中京区西ノ京南大炊御門町10セレマシティーホール西ノ京玉泉院。喪主は妹、石原さつきさん。

1952年、東映に入社。同年、片岡千恵蔵主演の映画「忠治旅日記逢初(あいぞめ)道中」でデビュー。元気な姉御役から花魁(おいらん)まで幅広い役をこなし、主役の相手方を多く務めたため、「お姫様女優」とも呼ばれた。

2009年11月21日

水の江滝子さん死去 「ターキー」の愛称

水の江滝子

 「ターキー」の愛称で親しまれた元女優で映画プロデューサーの水の江滝子(みずのえ・たきこ)さんが16日午後6時45分、老衰のため神奈川県内で死去した。94歳。葬儀は近親者で済ませた。

北海道小樽市生まれ。1928年、松竹歌劇団の前身、東京松竹楽劇部に1期生として入団。男役で舞台に立ち、レビュー史上最初の「男装の麗人」として一世を風靡(ふうび)した。53年に引退するまで舞台、映画に出演した。

引退後は日活で映画プロデューサーとして、石原裕次郎さんや浅丘ルリ子さんらを見いだし、「狂った果実」「憎いあンちくしょう」などのヒット作を製作した。53年からNHKのテレビ番組「ジェスチャー」の女性軍キャプテンを15年間つとめたほか「オールスター家族対抗歌合戦」などのレギュラーとしても活躍した。

93年に「生前葬」を開いて話題を呼んだ。

水の江さんにスカウトされ、日活に入った女優の和泉雅子さんの話 老後のんびり暮らされて、幸せな人生だったと思う。男役らしく、豪快で包容力があった。森繁久弥さんに続いて、戦後の昭和がまた一つ遠のいた感じがします。寂しいですね。

2009年11月20日

俳優の森繁久彌さんの葬儀・告別式

森繁久彌さんの祭壇

戦後の芸能界で幅広く活躍し、10日に96歳で死去した俳優森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんの葬儀・告別式が20日午前11時から、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。小泉純一郎元首相、小林桂樹さん、黒柳徹子さんなど各界著名人や知人ら千人を超える人が参列し、不世出の国民的俳優に最後の別れを告げた。

森繁さんの華やかな活躍をしのばせるように場内には赤いカーペットが敷かれ、洋花で飾られた祭壇には、穏やかにほほ笑む森繁さんの遺影と共に、文化勲章と皇室からの供物が並べられた。

東宝の松岡功名誉会長は弔辞で、映画「社長」シリーズや「夫婦善哉」、テレビドラマ「七人の孫」、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」などでの活躍に触れ、「どのジャンルの演技でも森繁さんが表していたのは、愛してやまなかった大海原のような無限に広く深い人間味だったと思う」とその業績をしのんだ。

「社長」シリーズなどで共演した小林桂樹さんは「お互いに悪口を言い合いながら仕事し、いろんな考え方が勉強になりました」、歌手の加藤登紀子さんは「『知床旅情』はわたしの守り神です。森繁さんの心を受け継いでいければと思います」と語った。

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森繁久弥

1913(大正2)年大阪・枚方市生れ。
早稲田大学在学中より演劇活動に入り、出演映画は300本を超える。900回の公演を重ねた舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで芸術選奨文部大臣賞を受賞した他、数多くの演劇賞を受賞する。
1964年紺綬褒章
1975年紫綬褒章
1984年文化功労者
1987年勲二等瑞宝章
1991年文化勲章を受章
1997年に東京名誉都民となる。

2009年10月30日

落語家の三遊亭円楽さん死去 国民的番組笑点の司会23年

三遊亭円楽

人気落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京・中野区の長男の自宅で死去した。76歳だった。「星の王子様」の愛称や日本テレビ系「笑点」などで、落語の枠を超えた幅広い人気を獲得。05年に脳梗塞(こうそく)で倒れて以降は厳しい闘病生活を送っていた。葬儀は11月4、5日に近親者だけで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻・和子(かずこ)さん。

円楽さんが静かに人生の幕を下ろした。「星の王子様」が天国の星になった。

相次ぐ病魔と闘いながら07年に引退を表明した円楽さんは、昨年4月に肺がんの切除手術を受けたが、今年5月に肺がんが再発。さらに9月に脳こうそくが再発し、右手右足が不自由になっていた。最近は入退院を繰り返しながら、肺の治療や人工透析を受けていたが、入院中の今月23日に「家に帰りたい」と訴え、同じ中野区内にある長男で所属事務所社長の寛家(ひろいえ)さん(44)の家に戻っていた。

25日には2人の孫と一緒にNHK大河ドラマ「天地人」を楽しむなど元気な様子だったが、26日朝から体調が悪くなり、人工透析から帰宅した後は食事や会話もままならないほどに衰弱。29日朝、妻・和子さん、寛家さんの妻と娘2人、医師、ヘルパーにみとられ静かに息を引き取った。

寛家さんによると、26日に体調不良で透析を早めに切り上げた円楽さんを病院に迎えに行った際、「遅い」と一言ぼやいたのが最後の言葉になった。「落語には厳しかったが、家に帰ると180度変わって家族思いだった」と寛家さん。大好きな米大リーグのヤンキースのワールドシリーズをテレビ観戦するのを楽しみにしていたが、孫からディズニーシーに行く約束を迫られた時には「病状が分かっていたのか、決してうなずかなかった」という。

55年に6代目三遊亭円生さんに入門し、62年に真打ちに昇進した円楽さんは、寄席にとどまらず、落語を国民的な娯楽に押し上げた。66年に「笑点」で落語家がテレビに進出する先べんをつけた。周囲のやゆにも「今の大衆娯楽はテレビ。落語を好事家だけのものにしてはならない」と反論。83年から06年まで司会を務め、引退後は孫と一緒に同番組を見るのを楽しみにしていた。

一方で芸に対しては確固たる信念を持ち続けた。77年には落語一筋に打ち込みたいと「笑点」を一時降板。78年には真打ち制度のあり方を巡って、円生さんと共に落語協会を脱退した。師匠の死後は7億円を投じて自前の寄席「若竹」を設立したが、客足が伸びず約5年で閉館の憂き目にあった。病と闘いながら07年2月には最後の高座に上がり、大作「芝浜」を熱演。周囲からは惜しむ声も上がったが、「ろれつが回らない」「また恥をかきたくない」と潔く引退を表明した。

「円楽」の名跡は来年、楽太郎が受け継ぐ。「名前を譲ることが決まった後は肩の荷が下りたのか落語の話はほとんどしなかった」と寛家さん。落語にすべてをささげた円楽さんは「お後がよろしいようで」と76年の人生を締めくくった。

◆三遊亭 円楽(さんゆうてい・えんらく)
本名・吉河寛海。1933年1月3日、東京・台東区生まれ。埼玉・杉戸農学校卒業後、落語に出会い、55年6代目円生に入門。58年二つ目、62年5代目円楽を襲名し、真打ちに。66年「笑点」第1回から出演。77年番組卒業するも83年4代目司会として復帰。芸術祭優秀賞(77年)、放送大賞(80年)、旭日小綬章叙勲(07年)など受賞多数。趣味は読書、マージャン、囲碁。和子夫人との間に1男1女。身長177センチ、体重80キロ。血液型AB。 

南田洋子さんの葬儀しめやかに

南田洋子 葬議場

映画「太陽の季節」の主演や音楽番組「ミュージックフェア」の司会などを務めた女優で、21日に76歳で死去した南田洋子さんの葬儀・告別式が30日午前、東京都港区の増上寺光摂殿で行われた。俳優の渡瀬恒彦さん、女優の萬田久子さん、松原智恵子さんら多くの芸能関係者やファンが詰めかけ、南田さんと最後の別れを惜しんだ。

祭壇には夫の俳優、長門裕之さんが平成15年にプライベートで撮影したという南田さんの遺影が飾られ、その周りを白のゆり、カーネーション、かすみ草が彩った。南田さんは長門さんが選んであげたという茶とグリーンの模様のパジャマを着て、愛用の青い着物や帯などとともに棺に納められた。

会場の入り口にはファンのために焼香台も設けられ、南田さんが優しくほほ笑む遺影の横には、南田さんと長門さんが「ミュージックフェア」で司会を務めたときの写真パネルなどが飾られた。

葬儀ではタレントの萩本欽一さん、映画監督の大林宣彦さん、女優の萬田久子さんが弔辞を読み、南田さんの死を悼んだ。

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2009年10月20日

ロス・プリモスのリーダー・森聖二さん死去

森聖二

「ラブユー東京」の大ヒットで知られるコーラスグループ「ロス・プリモス」のメーンボーカルでリーダー、森聖二=もり・しょうじ=さんが18日午後1時、心不全のため、都内の病院で死去した。70歳だった。一昨年1月に心筋梗塞で倒れ、体調がすぐれないながらも気丈に音楽活動を続けていた。

1966年に「ラブユー東京」を大ヒットさせ、60年代ムード歌謡ブームの一翼を担ったロス・プリモスの大黒柱が、天に召された。

サンケイスポーツの取材に応じたメンバーの上野旬也(60)や関係者よると、森さんは一昨年1月に心筋梗塞で倒れ、手術。その後も定期的に検査を受けていたが、体調がすぐれず、19日から入院予定だった。その矢先の17日、自宅で倒れ、東京・慶応大学病院に緊急入院。メンバーが駆けつけた時は意識がなく、翌18日午後1時、家族に看取られて亡くなった。

1961年結成された「黒沢明とロス・プリモス」に、森さんは65年に加入。66年に「涙とともに/ラブユー東京」でデビューし、同シングルを記念すべきオリコンチャート第1回発表で1位に輝かせた。  通院しながら音楽活動を続けていた森さんは、「具合が悪いことを一切表に出さない頑固な男だった」(上野)。今年7月31日の三重・長島温泉でのコンサートが生涯最後のステージとなった。

ロス・プリモスは、18日も埼玉・東松山市でディナーショーを予定していたが、急きょ森さんの代役に、良きライバルだった鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカル、三條正人(66)を迎えてステージをこなした。

8月に、メンバーらで森さんの70歳を祝う「古希」のパーティーが開かれた際、手術後は控えていた大好きなお酒を、森さんはうれしそうに口にしたという。上野は「どうしてそんなに早く逝ってしまうんだ。家族よりも一緒にいる時間が長くて、足音を聞いただけでわかるくらいみんな仲が良かった。もっと一緒に歌いたかったし、頑張っていてほしかった」と無念をにじませた。

2009年10月 2日

ミュージシャンの津久井克行氏死去 「class」のメンバー

class

男性デュオ、classの津久井克行(つくい・かつゆき)さんが2日、すい臓がんのため死去した。49歳だった。

津久井克行、岡崎公聡による実力派男性ツインデュオ。2008年、classの新たなる旅が始まる。
1993年に、今や夏の定番ソングとして定着した名曲「夏の日の1993」により、デビュー曲にして160万枚という衝撃的なデビューを果たした、伝説的なVocalデュオ、class。その後も立て続けにヒットを飛ばし、7枚のCD single、6枚のAlbumをリリース。

2007年には130万枚という空前の大ヒットとなったコンピレーションアルバム『R35 Sweet J-Ballads』に「夏の日の1993」が収録され、2008年2月7日(木)O.Aフジテレビ系「とくダネ!」のspecialコーナー「朝のヒットスタジオ」はじめ、SKY PerfectTV! Special ProgramライブR35~もう一度、妻と歌おう~、光文社「FLASH」、テレビ東京「カラオケ★バトル」、NHK「SONGS」他の出演依頼が殺到、現在も、そんな最中、2008年春、original memberの一人が活動を停止。
唯一のメンバーとして、classの活動を続けることを決意した津久井克行だったが、2008年夏、岡崎公聡と運命的な出会いをし、素晴らしい可能性を秘めた彼の歌声と人柄に惚れ込んだ。
意気投合した二人は、津久井克行&岡崎公聡による新生デュオclassを結成するに至る。

2009年9月22日

「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人、がけ下撮影中に滑落か

人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人(うすい・よしと)さん(51)が、群馬・長野県境の荒船山(1423メートル)の艫岩(ともいわ)がけ下で遺体で見つかったことを受け、版元の双葉社が21日、都内で緊急の記者会見。臼井さんのデジタルカメラには現場のがけの上から下に向かって写した"最後の1枚"が残っていることを明らかにし、「足をすべらせ転落した」との認識を示した。なお、臼井さんの葬儀は近く、近親者により非公開で営まれる。

「すごくわれわれのことを考えてくれた、いい先生が不慮の事故で...。無念としかいいようがありません」-。

会見した双葉社幹部らはこう話し、一様に肩を落とした。

転落現場を訪れた同社編集局次長、島野浩二氏によると、臼井さんは好奇心が旺盛で、高い山などの難所には行かないが、主に1人でハイキングなどに出かけ、写真を撮るのが好きだった。転落現場の荒船山には初めて訪れたという。

群馬県警から見せられた、臼井さんが所持していたデジタルカメラの画像には、登山中に撮影した風景写真が約30枚記録されており、最後の1枚は、転落したがけの上から、下をのぞき込むように写した写真だった。

デジタルカメラは、電源が入ったまま発見されており、臼井さんは「この写真を撮った直後に足をすべらせそのまま滑落してしまったと思う」との認識を示した。

また、遺体発見現場付近や所持品から、遺書のようなものは発見されておらず、群馬県警下仁田署幹部は21日、臼井さんについて「自殺、事故の可能性があるが、現時点では事故の可能性が極めて高い」と話した。

双葉社は「クレヨンしんちゃん」のテレビアニメ、映画の継続については「関係各社、ご家族、いろんな方と相談したい」と説明。さらに臼井さんの葬儀は近く、近親者により非公開で行われる予定で「家族と協議してお別れの会の開催を検討している」とした。

また、月刊「まんがタウン」に連載中の「クレヨンしんちゃん」は12月号(11月5日発売)まで継続し、その後は未定。11月号(10月5日発売)で、哀悼の意を表することを発表した。

2009年9月14日

都はるみの恋人、中村一好さん急死

歌手都はるみ(60)の所属事務所代表で、都を公私にわたってサポートした中村一好(なかむら・いっこう)さん(本名・中村一好=なかむら・かずよし)が4日未明、都内の自宅で急性心不全で死去していたことが7日、分かった。60歳。すでに親族のみで密葬が行われた。

関係者によると、都は3月4日から新宿コマ劇場で座長公演「好きになった人」を行っていた。中村さんは後半の歌コーナーで演出を務めており、同20日の千秋楽まで中村さんは連日、劇場に顔を出していた。千秋楽の打ち上げパーティーにも元気に参加。公演終了後もレコード会社のスタッフと打ち合わせや連絡を取り合っていたという。別の関係者は「体調を崩したとか入院したとか、まったくなかったと思う」と突然の訃報(ふほう)に驚きを隠せなかった。

都は先月20日の自身のブログで、マネジャーの蓑毛政嗣さんが闘病の末、3月18日に54歳で亡くなったことをつづっていた。「詳細については、近く中村より報告があると思います」とも。中村さんも、千秋楽に蓑毛さんの死を知りショックを受けていたという。

中村さんは日本コロムビア入社後に制作部のディレクターとなり、ちあきなおみ「さだめ川」新沼謙治「嫁に来ないか」石川さゆり「天城越え」などをプロデュース。都の作品は「大阪しぐれ」「夫婦坂」などがあり、中村さんには当時から妻がいたものの、2人は恋人として知られていた。90年、都が子宮筋腫の悪化で緊急入院した際も、中村さんが会見で経過を説明した。

関係者によると、都は憔悴(しょうすい)しておりコメントできる状態ではないという。都の座長公演は6月に大阪で予定されている。

2009年9月10日

今後を息子に託し...五代目 柳亭痴楽さん逝く

江戸前の芸風で知られた五代目柳亭痴楽(りゅうてい・ちらく、本名沢辺幸三=さわべ・こうぞう)さんが7日午後9時47分、腎不全のため東京都北区西ケ原の自宅で死去した。58歳。北海道出身。

「恋の山手線」「痴楽綴り方教室」などで一世を風びした四代目痴楽の弟子で、96年に五代目襲名。01年から落語芸術協会理事、04年から同協会常任理事を務めた。05年3月に脳幹出血で倒れてから闘病生活を余儀なくされていた。前名の「柳亭小痴楽」で息子の柳亭ち太郎(20)が11月1日から二つ目に昇進することが決まり、病床で成長を喜んでいたという。

2009年9月 2日

深緑夏代さん87歳 元宝塚、シャンソン歌手

深緑夏代

深緑夏代さん87歳(ふかみどり・なつよ<本名・多田玲子=ただ・れいこ>シャンソン歌手)8月31日、肺炎のため死去。

終戦直後に興行を再開した宝塚歌劇団で、越路吹雪さんとコンビを組み活躍。「枯葉」などを歌い、シャンソンブームに火をつけた。退団後も後進を育てる傍ら、「パリ祭」などへの出演を続け、生涯現役を貫いた。

2009年9月 1日

川村カオリさんのお別れ会、今月19日に開催

川村カオリ

 乳がんのため7月28日に亡くなった歌手・川村カオリさんのお別れ会が、19日に東京・渋谷のC.C.Lemonホールで開催されることが、川村さんの公式ブログで発表された。お別れ会(献花式)のタイトルは川村さんの洗礼名と同じ『アナスタシア』で、「復活」の意味を持つ。

 同ホールは今年5月5日に、川村さんが最後のライブを行った会場。一般受付は午後1時からで、午後6時に受付を終了する。また、当日会場では川村さん本人が好きだったという赤いバラを数量限定で販売する。

 川村さんは2004年に乳がんが見つかり、左乳房の切除、抗がん剤治療を経て翌年、芸能活動を再開。昨年10月にリンパ節などへの転移、再発していることを告白するも、抗がん剤治療を続けながら音楽活動を行っていた。

◆川村 カオリ(かわむら・かおり)本名・川村かおり
1971年1月23日、モスクワ生まれ。父は日本人、母はロシア人。11歳の時にモスクワから千葉県に移住。88年、17歳の時に辻仁成プロデュースで、本名の川村かおりとして、シングル「ZOO」と同名アルバムでデビュー。映画「東京の休日」に主演するなど、女優、モデルとしても活躍。99年にギタリストのMOTOAKIと結婚も07年に離婚。

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2009年8月15日

山城新伍さんが嚥下障害による肺炎のため死去

山城新伍

 やくざ映画で活躍し、テレビのバラエティー番組でも人気を集めた俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名・渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日午後3時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、東京都町田市の特別養護老人ホームで死去したことが14日、分かった。70歳。京都市出身。

 山城さんは1938年11月生まれの京都府出身。57年、東映にニューフェイス第4期生として入社。60年にはドラマ『白馬童士』に主演し、子供たちを中心に人気を博した。その後、数々の時代劇をはじめ、『不良番長』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズなどでも存在感を放った。また『独占!男の時間』など多数のバラエティー番組にも出演。辛らつなコメントと軽妙な語り口は高い評価を得て、司会者としても活躍した。

 所属事務所オフィス・タッチの長田栄二代表取締役は「故人が各関係者の皆様、ご友人の皆様、そしてファンの皆様方に生前に賜りました御懇情に対しまして厚く御礼申し上げますと共に謹んでご報告申し上げます。そして山城との思い出を皆様方の胸にお残しいただければ本人も幸いと存じます」とコメントしている。

2009年8月 7日

大原麗子さん死去 23日にお別れの会

大原麗子

 23日午前11時から関係者の部、午後1時から一般の部が、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で行われる。発起人は女優の森光子さん、演出家の石井ふく子さんら。喪主は弟、政光(まさみつ)氏。

発起人の女優、森光子さんのコメントは次の通り。

 麗子ちゃんのあまりにも早すぎるあの日の突然の悲報、今も信じられずにいます。

 皆様に可愛がられて、とても甘えん坊で、天真爛漫な魅力あふれる女優さんでした。

 いつも私を姉のように慕ってくれてそばにいたやさしい麗子ちゃんは、突然お日様が隠れてしまったかのように、誰にも別れを告げることもせずに旅立ってしまいました...

 その小さな胸の内に、あふれるほどの悲しみと苦しみを秘めたままで...

 病気との闘いの毎日をひとりで頑張っていたのかと思うと、とても切なくて心を痛めております。

 「少し愛して...なが~く愛して...」と麗子ちゃんの声が今も聞こえてまいります。

 みなさまと共に麗子ちゃんのお別れの会を営みたいと思いまして、石井ふく子さま、渡邊美佐さま、浅丘ルリ子さま、加藤和也さまとご一緒に発起人とさせて頂きまして、お知らせ申し上げます。

 よろしくお願いいたします。

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2009年7月28日

山田辰夫さん死去...53歳名脇役

山田辰夫

 俳優・山田辰夫さんが26日午前10時15分、東京・西多摩郡の病院で亡くなった。53歳だった。映画、ドラマに数多く出演し、名脇役として活躍していた山田さんは4年前、胃がんで胃を全摘出。以後、仕事復帰していたが、昨年末に転移が発覚。6月にはホスピス病棟に移っていた。

 名バイプレーヤーとしてならした俳優・山田辰夫さんが26日、天国へと旅立った。

 山田さんは2005年6月、胃がんのため、胃を全摘出した。以後、仕事復帰を果たしたものの、昨年暮れに再び体調を崩して、診断を受けたところ、腎臓と腸にがんが転移していることが発覚し、東京・築地の国立がんセンターに入院した。

 その後、闘病生活を送っていたが、末期状態となり、6月末に西多摩郡の病院のホスピス病棟に転院。夫人の介護を受けながら、静かに息を引き取った。

 1980年代から映画を中心に活躍。テレビドラマでも「はるちゃん」の支配人役など、物語のカギを握る役どころを演じた。ほのぼのとした味わい深い役から、狂気を秘めた役まで幅広くを演じ、欠かせない名脇役として100本以上の映画に出演した。

 滝田洋二郎監督とは富山・高岡商での同級生で、「壬生義士伝」「陰陽師2」などに出演。今春、米アカデミー賞外国語作品賞に輝いた「おくりびと」では妻に先立たれた夫を演じた。

 遺作となったのは「沈まぬ太陽」(若松節朗監督、10月24日公開)。最大規模の航空機墜落事故を起こした国民航空の遺族係として、主演の渡辺謙と絡んだ。4月下旬、わずか1日の撮影だったが、カメラの前では気丈に振る舞い、スタッフは誰も山田さんが病魔に侵されていたことには気がつかないほどの迫真の演技をみせたという。

 親交のある若松監督のほかには、病気を知る人は皆無で、関係者は「最後の映画になると覚悟していたのではないか」と話している。

 葬儀・告別式は27日に近親者だけで済ませた。後日、お別れの会を開く。  滝田洋二郎監督「大切な友人でもあり、かけがえのない俳優を亡くし、本当に悔しい。もっともっと山田辰夫を撮りたかった。一緒に映画を撮れたことが、自分の誇りです。ありがとう」  若松節朗監督「とても人間の機微を表現できる素晴らしいバイプレーヤーで、円熟味を増したこれからが彼の第2のスタートだったので、かけがえのない男を失ってとてもつらいです。『沈まぬ太陽』が遺作になってしまいましたが、彼が魂を込めて演じた姿を、映画を通して見ていただければと思います」

◆山田 辰夫(やまだ・たつお)
1956年1月10日、富山県生まれ。富山県立高岡商業高校卒業後、劇団「GAYA」で活動。80年に「狂い咲きサンダーロード」(石井聰亙監督)に主演し映画デビュー。同作で報知映画賞新人賞など受賞。以後、「すかんぴんウォーク」など映画を中心に活躍。フジテレビ系ドラマ「はるちゃん」にも出演。身長170センチ。

2009年5月21日

元アナウンサーの頼近美津子さんが死去

頼近美津子

 NHKやフジテレビのアナウンサーとして活躍し、クラシックコンサートの企画や司会で知られる頼近美津子(よりちか・みつこ、本名・鹿内キャサリーン美津子=しかない・きゃさりーん・みつこ)さんが17日午後1時46分、食道がんのため千葉県柏市の病院で死去した。53歳。

 所属事務所によると、先月10日まで仕事を続けていたが、その後体調不良で入院していた。

 広島県生まれ。幼少のころ、ピアノとチェロを学ぶ。東京外国語大卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。2年目に大型バラエティー番組「テレビファソラシド」に起用され、「女性アナが芸能番組に主役で登場するのはNHK開局以来」と言われた。

 昭和56年にフジテレビに移籍。「小川宏ショー」のアシスタントを経て、「FNNニュースレポート11・30」のキャスターとなり、露木茂キャスターとコンビを組んだ。59年、当時フジテレビ副社長だった鹿内春雄氏(後にフジサンケイグループ会議議長)と結婚し、退社した。

 63年に夫と死別後、平成5年にテレビ司会の仕事に復帰。8年には、NHK大河ドラマ「秀吉」で女優デビューも果たした。

 一方、プロ級とされるピアノの腕前を生かし、コンサートプランナーとして独自の境地を開く。同年、フジテレビの「来日直前!三大テノール」のキャスターを務めたほか、産経新聞にクラシックコンサートに関する連載「頼近美津子が聴く」を執筆、産経新聞社発行の月刊音楽情報誌「モーストリー・クラシック」でも健筆を振るった。

2009年5月11日

作曲家、三木たかし

三木たかし

 「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など、ポップスから演歌まで幅広く手がけた作曲家の三木たかし(みき・たかし、本名・渡辺匡=わたなべ・ただし)さんが11日、岡山市内の病院で死去した。64歳。

 東京生まれ。1967年に作曲家デビューした。作詞家の阿久悠さんとのコンビで石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、作詞家の荒木とよひささんとのコンビでテレサ・テンさんの「時の流れに身をまかせ」「つぐない」を送り出し、大ヒットさせた。石川さんやテレサさんのほかにも、アグネス・チャンさん、西城秀樹さん、森進一さん、4月に亡くなった清水由貴子さんら、多くの歌手に曲を提供した。

 70年代には阿久さんの推薦でテレビ番組「スター誕生!」の審査員になった。「李香蘭」など劇団四季の昭和三部作の作曲も担当。全国高校サッカー選手権テーマソング「ふり向くな君は美しい」、テレビアニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」なども手がけ、多彩な作風を見せた。

 妹は歌手の黛ジュンさん。05年に紫綬褒章を受章。日本作曲家協会理事長を務めていた。

2009年5月 4日

シャンソン歌手・高英男さん

 「雪の降る街を」「枯葉」などのヒット曲で知られる日本のシャンソン歌手の草分け、高英男(こう・ひでお、本名・吉田英男=よしだ・ひでお)さんが、4日午前9時40分、肺炎のため千葉市内の病院で亡くなった。90歳だった。

 樺太(現サハリン)生まれ。1936年に初舞台を踏み、当初はタンゴやオペレッタを歌っていた。51年にパリ・ソルボンヌ大に留学。翌年帰国し、「枯葉」でレコードデビューした。日本で初のシャンソン歌手と呼ばれ、「愛の讃歌」「詩人の魂」などを紹介した。

 53年に吹き込んだ「雪の降る街を」は、雪に埋もれたサハリンの思い出を込めた名曲。このほか「幸福を売る男」「ロマンス」などをレパートリーとした。

 フランスと日本を行き来し、歌手のダミアや作曲家のミシェル・ルグランらとも親しかった。だて男ぶりが買われ、フランスや日本の映画にも出演した。

 「大衆歌手だから、聴衆にサービスする」と語り、ステージはワンマンショーだけで3500回を超す。85年に心筋梗塞(こうそく)で倒れて生死の境をさまよったが、翌年、見事に復帰。その後も歌にかける情熱は衰えず、淡谷のり子さんとのジョイント・コンサートも続けた。96年には芸能生活60周年記念リサイタルを開いた。

 89年に紫綬褒章、95年に勲四等旭日小綬章を受けた。また92年には、シャンソンを普及させた功績でフランスから芸術文化勲章シュバリエを贈られた。

2009年5月 3日

ロック歌手 忌野清志郎

忌野清志郎

 「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。

 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。

 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。

 06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。

2009年4月25日

元タレント清水由貴子さん

清水由貴子

 20日に、父の墓前である静岡県小山町の冨士霊園で、硫化水素を吸い込み自殺したタレント、清水由貴子さん(享年49)の密葬が24日、同県御殿場市の青葉ホールでしめやかに営まれた。

 清水さんが以前、所属していた事務所の先輩、角川博(55)や後輩、櫻井淳子(36)ら約50人が参列。1978年から98年まで放送されたテレビ東京系「ザ・スターボウリング」で清水さんと司会を務めたタレント、黒部幸英(53)は「人の悲しみをひとつ聞くと10わかる、ほんといい子なんです」と肩を落とすと、自ら命を絶った清水さんに「遺影を見て、バカヤローって叫びました」と号泣...。

 清水さんの戒名は「慈孝由和清大姉(じこうゆうわせいだいし)」。介護を続けた母に対する愛情に満ちた人生を意味する。棺には大好きだった色とりどりの花が入れられた。

 密葬では、喪主の妹(42)が「お姉ちゃんが頑張ったのに、こういう結果になって残念ですが、これからは私が一生懸命、母を支えます」と涙をこらえあいさつ。気丈な振る舞いが、参列者の涙を誘っていた。自殺した清水さんと雨の中、一昼夜をともに過ごした母(84)は、同市内の病院に高血圧と発熱で入院中。事務所によると「命に別条はないが、妹さんの問いかけにも、『うーっ』とうなるだけの状態」だという。告別式は25日に同所で。

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21日午後1時すぎ、静岡県小山町の富士霊園で、元タレント清水由貴子さん(49)=東京都武蔵野市=が死亡しているのが見つかった。80歳前後の女性が一緒におり、病院に運ばれたが命に別条はない。高齢の女性は清水さんの母親とみられ、県警御殿場署は現場の状況から、2人が自殺を図ったとみて調べている。

 県警や消防によると、霊園の男性職員が墓石前で横向きに倒れた清水さんと、車いすに乗った高齢女性を見つけ、119番した。2人の近くには遺書のようなものと洗剤の容器などが入ったポリ袋があり、硫化水素を発生させたとみられる。

2009年4月20日

ジャガーズ岡本信さん

岡本信

 「君に会いたい」「キサナドゥーの伝説」などのヒットで1960年代のGSブームを支えたザ・ジャガーズのボーカル、岡本信(おかもと・しん)さんが、都内の自宅マンションの風呂場で変死していたことが19日、分かった。59歳だった。この日、横浜市内で岡本さんの還暦パーティーが開かれる予定だったが、連絡が取れないことから、知人が自宅を訪れ発見。メンバーの宮ユキオ(65)、沖津ひさゆき(62)は「あまりにも急すぎる」と絶句した。  甘いマスクと歌声でGSブームを牽引し、絶大な人気を誇った岡本さんが、突然逝った。

 「きょうは信の還暦を祝ってパーティーをやる予定だったのに...。皮肉だよね」

 サンケイスポーツの電話取材に、ジャガーズのリードギターで、現在ほかのバンドで活動する沖津は、落ち込んだ声で、そう答えた。

 20日、60歳になる岡本さんのために、沖津やファンが中心となって、横浜市内で一日早い還暦祝賀会を開く予定だった。が、前日18日から急に岡本さんと連絡が取れなくなり、心配した沖津が19日昼、知人女性に様子を見てほしいと依頼。東京・北区西ケ原の自宅を訪れた知人が午後2時過ぎ、水を張った浴槽に裸でつかったまま死亡している岡本さんを発見したという。

 110番通報で駆けつけた警視庁滝野川署員は変死とみて捜査。同署では目立った外傷がなく、遺書なども見つかっていないことから事件性はないとし、現在、死因や死亡時刻を調べている。

 離婚歴があり一人暮らしだった岡本さん。ザ・ジャガーズのデビュー曲「君に会いたい」で、いきなりミリオンヒットを飛ばし、甘いマスクと歌声で女性を中心に人気を集めた。71年の解散後もソロ歌手やミュージカル俳優として活躍した。

 ただ、最近は肝臓を患い、闘病生活を送っていた。沖津は「ずっと具合が悪かったとは聞いていたんですけど。何度か入退院を繰り返していて...」。リーダーでドラムの宮も「1、2年前に会った時に『あまり調子が良くない』って言っていてね。見た目も痩せていたし。もっと自分の体に気を遣ってほしかった...」と唇を噛みしめた。

 沖津は「もう40年のつき合い。親友でしたから。まだ気持ちの整理はついてないけど、『ちょっと、お前早いよ』と言ってやりたい」。宮も「俺より早く死ぬなよ、バカ...」と言葉を詰まらせ、沖津とともに「彼のために追悼ライブをやりたい」と再結成公演を誓った。

2009年4月 2日

俳優 大木実さん

大木実

 大木実さん85歳(おおき・みのる<本名・池田実=いけだ・みのる>俳優)30日、すい臓がんのため死去。

大阪市生まれ。撮影所で照明係として働いていた時、スカウトされ俳優の道へ。51年に映画「ああ青春」でデビュー。「路傍の石」「張込み」「妻あり子あり友ありて」など映画多数に出演した。その後、東映の時代劇や任侠(にんきょう)映画で活躍。「水戸黄門」や大河ドラマ「独眼竜政宗」など時代劇を中心にテレビドラマにも数多く出演した。

2009年3月31日

俳優 金田龍之介さん

金田龍之介

翻訳劇からスーパー歌舞伎までの舞台、映画、テレビなど幅広く活躍した俳優の金田龍之介(かねだ・りゅうのすけ)さんが31日、慢性腎不全のため埼玉県内の病院で亡くなった。80歳。 東京生まれで2歳で大阪に移り、5歳から子役として歌舞伎の舞台などに立つ。都島工業専門学校を卒業後、会社勤めをしながら新劇の劇団で活動。その後劇団新派に入団し、伊志井寛に師事した。フリーとなってからは敵役から三枚目まで優れたセリフ術と存在感で多岐にわたる活動を行った。

あたり役にはスーパー歌舞伎「新・三国志2 孔明篇」「同3 完結篇」の軍師、司馬仲達、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」のピッカリング大佐などがある。二人芝居の翻訳劇「サラ」では麻実れいさんのサラ・ベルナールの秘書ピトゥを好演した。

映画出演作は「犬神家の一族」、テレビドラマは「草燃える」など。「きんりゅう」の愛称で親しまれた。菊田一夫演劇賞、松尾芸能賞優秀賞などを受賞した。

2009年3月30日

前上方落語協会長 露の五郎兵衛さん

二代目露の五郎兵衛

 上方落語協会の前会長で、落語家の二代目露の五郎兵衛(つゆの・ごろべえ=本名・明田川一郎=あけたがわ・いちろう)さんが30日午前11時37分、多臓器不全のため亡くなった。77歳。

 京都市出身。7歳で子役になり映画出演、演劇活動を経て1947年、二代目桂春団治に入門。桂春坊、小春団治、露の五郎から2005年、露の五郎兵衛を襲名した。

 若いころは滑稽噺で<爆笑王>を目指したが、桂米朝や東京の八代目林家正蔵らと接して落語の多様性を知り、意欲的に芸域を広げた。「浮世床」「夢見の八兵衛」などの古典とともに、創作落語にも情熱を傾け、独自の境地を開拓。特に怪談、人情ばなしは第一人者と評された。

 94年から03年まで上方落語協会長を務め、毎年、大阪市内の神社境内で「彦八まつり」を開催、ファンの獲得に尽くした。また、一寸露休の名で、廃れかけた即興劇の「大阪にわか」の継承にも力を入れた。

 日本演芸家連合副会長も務め、浪曲などの復興を願って行政に新たな演芸場の設置を働きかけるなど、行動力には定評があった。

 晩年になってもチャレンジ精神は衰えず、上方落語の祖とされる江戸・元禄期の露の五郎兵衛の名前を復活。「完成品にはなりたくない。五郎兵衛はついに未完成のまま死によったと言われたい」と話していた。

 著書に「上方落語夜話」「日本の幽霊」など。85年文化庁芸術祭賞、00年紫綬褒章受賞。

2009年3月28日

日本舞踊家 女優の藤間紫さん

藤間紫

 日本舞踊家で、舞台や映画、テレビで女優としても活躍した藤間紫(ふじま・むらさき、本名・喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝硬変による肝不全のため東京都文京区の病院で死去した。85歳。

 東京都出身。7歳から日本舞踊を始め、18歳のときに藤間流家元・藤間勘十郎さんの内弟子に。昭和19年に勘十郎さんと結婚、家元夫人に納まった。日本舞踊などの講師を務めるが、ユーモアあふれる個性と演技のセンスを買われ、24年に映画「グッドバイ」でデビュー。森繁久弥さんと共演した「三等重役」(27年)、「亭主の祭典」(28年)などのコミカルな演技で人気を呼んだ。

 61年5月には勘十郎さんとのいざこざから宗家藤間流を離れ、紫派藤間流を創流し家元となった。その後、舞台「墨東綺譚」(平成3年)、「父の詫び状」(5年)などで多くの演劇賞を受賞している。12年に歌舞伎俳優の市川猿之助さんと再婚した。

 2月15日に国立劇場で行われた「道行旅路の嫁入」が最後の舞台となった。

2009年3月 1日

飯島愛さん「お別れ会」2200人が参列

昨年12月に死去した元タレント・飯島愛(本名・大久保松恵)さん=享年36=の「お別れの会」が1日午前、東京都港区の東京プリンスホテルで行われた。生前の交友の広さを物語るように多数の芸能人、関係者ら700人が駆けつけ、飯島さんに最後の別れを告げた。 祭壇には飯島さんが好きだったという真っ白なカサブランカやカラー、桜の花が飾られた。親交の深かったタレントの中山秀征さんは「美人薄命とはいいますが、本当にその通りですね。あなたは日本の(マリリン)モンローですよ。愛ちゃん、よくがんばりました。ありがとう。また会おう!」と涙をこらえるようにあいさつした。
「お別れの会」は、飯島さんが07年3月に芸能界を引退するまで所属していたワタナベエンターテインメントが主催。発起人でもあるアナウンサーの徳光和夫さんが司会を務めた。中山さんのほか、島田紳助さん、大竹しのぶさん、ホンジャマカの石塚英彦さんと恵俊彰さん、うつみ宮土理さん、古館伊知郎さんらも出席した。
会場の一角には、ベストセラーとなった自伝小説「プラトニック・セックス」の各国語版や、飯島さんが受賞した00年の流行語大賞などの賞状などが展示された。この日の香典は、飯島さんが取り組んでいたHIV/エイズ啓発活動に役立てるため、すべて財団法人エイズストップ基金にあてられるという。午後には一般のファン向けのお別れの会も行われ、約1500人が参列する。

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2009年2月27日

俳優の佐竹明夫氏

佐竹明夫

佐竹 明夫氏(さたけ・あきお、本名中山賢雄=なかやま・としお=俳優)26日午前5時13分、はく離性大動脈破裂のため川崎市の病院で死去、83歳。東京都出身。
俳優座養成所を経て、舞台、テレビドラマなどに出演。主な出演作品に映画「オーロラの下で」、舞台「春の皇后」がある。

2009年2月20日

元ナンセンストリオの前田隣さん死去

前田燐

前田隣さん72歳(まえだ・りん<本名・中澤永一郎=なかざわ・えいいちろう>コメディアン)19日、肝硬変のため死去。 64年「ナンセンストリオ」に参加。忍者姿で演じる「親亀の背中に子亀を乗せてー」や、「赤あげて、白あげて」と紅白の旗を上げ下げするコントで人気となり、トリオブームの一翼を担った。解散後はピン(一人)芸人として東京・浅草を中心に活躍。最近は「お笑い療法で克服したい」と肝臓がんと闘っていた。

2009年2月 9日

「一風堂」藤井章司さん死去

ヒット曲「すみれSeptember Love」で知られるバンド「一風堂」のドラマー・藤井章司(ふじい・しょうじ)さんが6日未明、急性心筋梗塞(こうそく)のため埼玉県春日部市の自宅で亡くなっていたことが8日、分かった。54歳だった。
藤井さんは一風堂の他、Charらとともに「スモーキー・メディスン」を結成。最近ではライブハウスで若手アーティストのサポートメンバーとしても活躍していた。

2009年2月 6日

緒形拳さん しのぶ会

昨年10月に71歳で死去した俳優、緒形拳さんをしのぶ会が6日、東京・赤坂のホテルで開かれた。約600人が集まり、日本を代表する実力派俳優の死を悼んだ。

会場には緒形さん直筆の書画などが飾られ、奥田瑛二さんが友人代表として「そちらで、どの監督と新しい映画を撮っているのか知りたいです。日本の映画、テレビ、演劇界を見守っていただきたい」と呼びかけた。緒形さんの次男で俳優の直人さんは「父の役者としての思いを生かし続け、上を向いて歩んでいくつもりです」とあいさつした。

俳優の三国連太郎さん、倍賞美津子さん、西田敏行さんらも姿を見せた。桃井かおりさんは「死ぬのが似合わない人で、いまだに実感がない。大きな影響を受けたし、支えられた」と語った。

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2009年1月29日

フォーリーブスの青山孝史さんが死去

1970年代に活躍した4人組アイドルグループ「フォーリーブス」の青山孝史(あおやま・たかし、本名城下孝行=しろした・たかゆき)さんが28日午前7時、肝臓がんのため都内の病院で亡くなった。57歳だった。
16日に会見した同僚の江木俊夫(56)によると、青山さんは昨年10月中旬にがんが見つかり、深刻な病状だったが「どういう形になってもステージに出たい」と開催中の同グループの全国ツアーに、入院先を抜け出して出演。10歳になる娘を思い「1秒でも(長く)生きたい」と話していたという。
青山さんは67年に江木、おりも政夫、北公次の4人でフォーリーブスを結成し、「オリビアの調べ」でデビュー。歌って踊る人気グループの先駆けとなり、NHK紅白歌合戦には70年の初出場から7年連続出場。78年に解散後、2002年に再結成していた。

青山孝史

2008年12月19日

筑紫哲也さんお気に入りの遺影でお別れ会

 11月7日に73歳で亡くなったジャーナリスト筑紫哲也さんのお別れ会が19日、都内のホテルで行われた。祭壇には3枚の遺影が飾られた。63年に朝日新聞社政治部配属当時、国会議事堂をバックに撮ったものと、89年10月のTBS系「筑紫哲也NEWS23」開始当時の宣伝用写真を左右に配置。真ん中には昨年4月に環境雑誌「エココロ」の取材で撮影された1枚が飾られた。
 この1枚は筑紫さんのお気に入りで「僕の遺影用に額のサイズで譲ってください」と頼んで手に入れた。検査でがんが発見されたのは撮影翌月だった。
 会は弔辞の読み上げなどは行わず、献花のみの形式で、同番組のエンディング曲だった「最後のニュース」が流された。ほかにも取材活動の活躍を振り返る30枚のパネル写真、番組での名物論評「多事争論」のコーナーが設けられた。
 海部俊樹元首相、福田康夫前首相、土井たか子さん、田中真紀子衆議院議員、久米宏氏、田原総一朗氏、草野満代アナウンサー、中田英寿氏、萩本欽一、石川さゆり、草なぎ剛ら各界から2584人が出席した。

筑紫哲也

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2008年10月14日

仏俳優ギョーム・ドパルデュー急逝、37歳

フランスの俳優ギョーム・ドパルデューさんが、肺炎から起こる合併症のため急逝した。37歳だった。関係者によると、12日(日)夜にパリ西郊外の病院に運び込まれたという。
父親は、フランスを代表する映画俳優ジェラール・ドパルデュー。1991年に、父と共演した『めぐり逢う朝』で注目を集める。96年“Les Apprentis(英題:The Apprentices)”の熱演で、フランスのアカデミー賞に当たるセザール賞の最優秀新人賞を受賞した。
だが、同年に起こしたバイク事故の後遺症で、長年にわたる細菌感染に苦しんでいたが、03年に右足を切断。手術後、リハビリを経て『ランジェ公爵夫人』などに出演し、復帰を果たしていた。
その他の代表作には、『めぐり逢ったが運のつき』、『ポーラX』、『天使の肌』などがある。

ギョーム・ドパルデュー