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2010年1月12日

エリック・ロメール監督、89歳で死去 フランス、ヌーベルバーグの旗手

フランス映画の巨匠でヌーベルバーグの旗手ともいわれていたエリック・ロメール監督が11日、89歳で亡くなった。死因は公表されていないが、入院中だった。

エリック・ロメール監督は教師、映画評論家を経て1959年製作の長編映画『獅子座』が話題に。映画『海辺のポーリーヌ』『緑の光線』『パリのランデブー』など作家主義の作品を次々と発表し、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと並んで1950年代末からのフランス映画にみられる即興演出を特徴とした新しい波といわれるヌーベルバーグの担い手でもあった。

1985年に製作された『緑の光線』ではヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞している。文学作品なども多数手がける中、恋愛の描写には定評があった。また、2001年に『グレースと公爵』、2007年には『我が至上の愛 ~アストレとセラドン~』と近年も意欲的に作品を発表しており日本でも公開され、純愛ストーリーが若い世代にも受け入れられていた。

2009年12月24日

実在の『レインマン』キム・ピークさんが死去

キム・ピーク

ダスティン・ホフマンとトム・クルーズ主演の映画『レインマン』で、主人公レイモンドのモデルとなった「実在のレインマン」、キム・ピークさんが心臓発作のため死去した。キムさんは知的障害を持ちながら驚くべき記憶力で周囲の情報を瞬時に頭に入れてしまう能力を持っており、映画『レインマン』の脚本家バリー・モロウ氏と出会ったことから映画となった。

脳に傷害を持って生まれたキムさんは、医師から「読み書きは不能、社会には出られないだろう」と宣告されたが、2歳になるまでに読み書き、本の暗記までできる能力を見せたという。映画でレイモンドを演じたダスティン・ホフマンは役作りのためにキムさんとともに時間を過ごし、その行動を真似たが、キムさんと別れる際には彼に「僕がスター(星)なら、君は大空だね」と愛情の言葉をかけたという。キムさんは故郷ソルトレイク・シティで58歳の生涯を閉じた。

2009年12月22日

米女優ブリタニー・マーフィーさん死去、32歳

ブリタニー・マーフィー

[ロサンゼルス 20日 ロイター] 映画「8 Mile」などに出演し、「ラーメンガール」では西田敏行さんとも共演した米女優ブリタニー・マーフィーさんが20日死去した。32歳だった。

関係者の発表によると、マーフィーさんはウェストハリウッドの自宅で心不全とみられる症状で倒れ、搬送先の病院で死亡が確認されたという。

マーフィーさんはコメディ映画「クルーレス」(1995年)で注目を集め、1999年には「17歳のカルテ」に出演した。近年では低予算映画への出演などが多かったが、2005年にはコミックを原作とした「シン・シティ」に出演。アニメーション映画「ハッピー・フィート」(2006年)で声優も務めた。

元恋人でロマンチックコメディー「ジャスト・マリッジ」で共演したアシュトン・カッチャーさんは、ミニブログ「ツイッター」に「(今日)世界は太陽の光のかけらを失った。向こうの世界で会おう」と投稿した。

2009年12月21日

「エイリアン」「トータル・リコール」の脚本家ダン・オバノン死去

SF映画やホラー映画に偉大な足跡を残した映画監督・脚本家のダン・オバノンさんが炎症性腸疾患クローン病のため、ロサンゼルス郊外の病院で12月17日に死去した。63歳だった。

オバノンさんは米ミズーリ州生まれ。南カリフォルニア大学(USC)映画学科で映画を学び、同級生ジョン・カーペンター監督による短編映画「ダーク・スター」、さらに74年に同監督による長編リメイク版でも脚本・特殊効果スーパーバイザー・プロダクションデザインを担当した。

77年にはジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」に特殊効果マンとして参加。アレハンドロ・ホドロフスキー監督により特殊効果の才能を買われ、「デューン/砂の惑星」の準備をフランス・パリで半年間行ったが、製作が中止されてハリウッドへ戻ると、リドリー・スコット監督の「エイリアン」(79)の原案・脚本を担当した。

85年の「バタリアン」で監督デビュー。「スペースインベーダー」(86)、「トータル・リコール」(90)、「スクリーマーズ」(96)の脚本も担当した。

2009年12月19日

ジェニファー・ジョーンズさん死去 米アカデミー賞女優

ロサンゼルス(CNN) 映画「聖処女」(1943)でアカデミー主演女優賞を受賞したジェニファー・ジョーンズ(本名フィリス・リー・イスリー)さんが17日、老衰のため死去した。90歳だった。遺族の関係者が明らかにした。

オクラホマ州タルサ出身。地元のカレッジとイリノイ州エバンストンのノースウェスタン大学で演劇を学んだ後、ニューヨーク市内の演劇学校に通った。39年に俳優ロバート・ハドソン・ウォーカー氏と結婚し、女優活動を開始。40年代にハリウッドに活動拠点を移し、ジェニファー・ジョーンズに改名した。

アカデミー主演女優賞を受賞後、「君去りし後」(44)、「ラブ・レター」(45)、「白昼の決闘」(46)とオスカーに3年連続ノミネート。49年には出演作プロデューサーのデビッド・セルズニック氏と再婚した。

俳優ウィリアム・ホールデン氏と共演した「慕情」(55)で5度目のアカデミー賞ノミネートを獲得。「武器よさらば」(57)への出演後からスクリーンへの登場が少なくなり、「タワーリング・インフェルノ」(74)が最後の出演作となった。

65年にセルズニック氏と死別後、美術品コレクターのノートン・サイモン氏と3度目の結婚をし、インドに移住。サイモン氏が93年に他界した後は、同氏のコレクションを所蔵した美術館の館長を務め、2003年に名誉館長となった。

2009年12月18日

ウォルト・ディズニーの甥ロイ・ディズニー、死去

ウォルト・ディズニーの甥ロイ・エドワード・ディズニーがカリフォルニア州の病院で亡くなった。79歳だった。

レーダー・オンラインによるとロイはガンを患っており、すでに生命維持装置につながれていたよう。火曜日に妻が装置の停止を求めて亡くなったという。ウィルト・ディズニー・カンパニーは、1923年にウォルトとロイの父親ロイ・オリバー・ディズニーが創設した会社。ロイ・エドワードも入社し、アシスタント・ディレクターとして活躍し、1950年代には映画『トルゥーライフ・アドベンチャーズ』(原題)シリーズをプロデュース。1957年には取締役会に選任されている。1977年には上層部との意見の相違から辞職し、1984年には取締役会からも身を引いた。その後、取締役会の副会長として復帰。映画『リトル・マーメイド』『ライオンキング』など、ディズニーアニメ復活期を支えている。

2009年7月 9日

マイケル・ジャクソンさん追悼

マイケルジャクソン

 6月25日(日本時間26日)に死去した米国歌手マイケル・ジャクソンさん(享年50歳)の追悼式が7日(同8日)、米ロサンゼルスの屋内施設「ステープルズセンター」で行われた。マイケルさんの3人の子供は常備していた"仮面"を着けずに顔を見せ、ステージ上で号泣。マライア・キャリー(39)やスティービー・ワンダー(59)ら親交の深かった著名人が数々の名曲を熱唱。約1万7500人の一般入場者に加え、世界中のファン約10億人も「キング・オブ・ポップ」の早すぎる死をしのんだ。

 メディア対策で常に"装備"していたお面はない。深紅の花が手向けられた金色のひつぎを前に長女パリスちゃん(11)は「生まれた時からずっと最高のパパだった」。涙を見せながらも初の公の場で堂々としたあいさつだった。

 式典の終盤でジャクソンファミリーは並んで追悼。謎に包まれた親子関係だが、遺族を代表し、最後にスピーチした長女の実直な言葉が、会場約2万人の胸を打った。

  生前、親交があった歌手や著名人も出席した。マイケルさんの生前の姿がスクリーンで上映される中、マライアはトップバッターで「ジャクソン5」の名曲「アイル・ビー・ゼア」を披露。「ネバー・ドリームド・ユード・リーブ・イン・サマー」をピアノで弾き語ったスティービー・ワンダーも「この瞬間が来るのを生きているうちに見たくなかった」と悲しみを吐露した。

 アフリカ飢餓救済のためマイケルさんが中心になって制作された名曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」も元恋人の女優・ブルック・シールズ(44)ら参列者全員で大合唱。惜別の思いを胸にマイケルさんを盛大な"コンサート葬"で天国へと送り出した。

  遺族らのセレモニー後に営まれた同式典は米主要テレビが生中継し、インターネットでも映像配信。約10億人の人々が視聴したといわれている。

  一般参列者は抽選で選ばれたため、入場券を持たないファン数十万人が会場周辺に駆けつけるとの見通しもあったが、AP通信によると、1000人程度。周辺の通行止めや、ロス警の騎馬隊など3000人が警備にあたり、大きな混乱はなかった。

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2009年6月16日

ベンチャーズのベーシスト、ボブ・ボーグルさんが死去

 ベンチャーズのオリジナルメンバーであり、ベースを担当していたボブ・ボーグルさん(75)が14日(日本時間15日)に亡くなったとベンチャーズの公式HPで発表した。

 公式サイトには「世界中のザ・ベンチャーズファンの皆様に、非常に悲しい報告をしなくてはなりません。さる6月14日(日)にオリジナルメンバーであるボブ・ボーグルが亡くなりました」

 「この訃報に際し、私達の祈りはボブのご遺族の皆様、特にボブの人生を長年にわたり最愛の妻として支え続けたユミ夫人とともにあります」

 「ザ・ベンチャーズのメンバーは深い悲しみに沈み、友人やファンの皆様とボブの死を嘆き悲しんでいます」

 「このページでは更にボブの死に関する情報を更新していく予定です。また、皆様が哀悼のメッセージを残せるように、特別サイトを新設する予定です」

 「音楽の世界は斬新的な音楽家を失いました」

 「彼との素晴らしい思い出が少しでも私達の慰めとなりますように」とファンに向けてコメントが発表された。

 亡くなったボブ・ボーグルさんはドン・ウイルソンとともにベンチャーズ結成時のオリジナルメンバーのひとりで、当初はベースではなくギターを担当、のちにベースへと交代した。