メイン

2014年10月11日

演出家の大山勝美さんが死去

テレビプロデューサーで演出家の大山勝美、多臓器不全のため東京都内の病院で5日死去、82歳。

1932年中国・奉天(現:瀋陽)生まれ。旧満州で幼時を過ごし、その後鹿児島県で育つ。早稲田大学法学部を卒業。

57年東京放送(TBS)に入社。ドラマ「岸辺のアルバム」「ムー」「ふぞろいの林檎たち」などの制作に携わる。92年定年退職。

制作会社カズモを設立し、社長となる。ドラマ「蔵」「長崎ぶらぶら節」などを制作した。

著書に「テレビの時間」など。
妻は女優の渡辺美佐子。

2013年1月16日

映画監督の大島渚さん死去

大島渚

映画監督の大島渚、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で15日死去、80歳。

1932年岡山県玉野市生まれ。54年京都大学を卒業、松竹に入社。大船撮影所の助監督をへて、59年「愛と希望の街」で監督デビュー。その後、「青春残酷物語」「太陽の墓場」などがヒットし、松竹ヌーベルバーグの旗手となる。

61年日米安全保障条約に反対する安保闘争を舞台にした映画「日本の夜と霧」を松竹が無断で上映中止したことに抗議し、退社。

61年妻で女優の小山明子、脚本家の田村孟、石堂淑朗、俳優の小松方正、戸浦六宏ら6人で映画製作会社「創造社」を設立。その後、俳優の渡辺文雄らが参加。64年脚本を担当したTVドラマ「青春の深き渕より」が芸術祭文部大臣賞大賞を受賞。

76年阿部定事件を描いた映画「愛のコリーダ」が国際的に話題を呼ぶ。78年「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。他の作品に83年「戦場のメリークリスマス」、86年「マックス、モン・アムール」など。

96年ロンドンのヒースロー空港で脳校則で倒れる。99年復帰作「御法度」を公開。

2012年9月 7日

映画監督の堀川弘通氏死去

映画監督の堀川弘通、食道癌のため東京都世田谷区の自宅で5日死去、95歳。

1916年京都市生まれ。40年東京帝大文学部を卒業、東宝に入社。黒沢明監督の映画「わが青春に悔なし」「生きる」「七人の侍」などで助監督を務める。55年「あすなろ物語」で監督デビュー。その後、「女殺し油地獄」「裸の大将」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「アラスカ物語」などの作品を監督した。

01年発表の「評伝 黒澤明」でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

2012年6月 1日

100歳大往生 新藤兼人監督

新藤兼人

映画監督で脚本家の新藤兼人(本名:新藤兼登)、老衰のため29日死去、100歳。

1912年広島県石内村(現:広島市佐伯区)生まれ。34年京都に転居。新興キネマ現像部でフィルム乾燥の仕事をえる。

同現像部の東京移転に同行、美術助手となる。「南進女性」で脚本家デビュー。44年所属していた興亜映画が松竹大船撮影所に吸収され、脚本部へ移籍。同年召集。

50年松竹を退社、独立プロダクションの先駈けとなる「近代映画協会」を吉村公三郎や殿山泰司らと設立。51年39歳のとき「愛妻物語」で監督デビュー。

51年「偽れる盛装」が大ヒット。

52年映画「原爆の子」を発表、53年カンヌ国際映画祭に出品。チェコ国際映画祭平和賞、英国フィルムアカデミー国連賞、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受けた。

60年無言の映画詩「裸の島」を製作、モスクワ国際映画祭グランプリほかメルボルン国際映画祭グランプリなどを獲得。

62年「人間」で文部省芸術祭文部大臣賞、70年「裸の十九才」でモスクワ国際映画祭金賞、77年「竹山ひとり旅」でモスクワ国際映画祭監督賞・ソ連美術家同盟賞、95年「午後の遺言状」でモスクワ国際映画祭ロシア批評家賞ほかキネマ旬報ベストテン1位や日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。

このほか受賞多数。

2011年12月22日

映画監督の森田芳光が死去

映画監督の森田芳光、急性肝不全のため東京都内の病院で20日死去、61歳。

1950年東京都出身。日大芸術学部時代から自主映画を撮り始める。78年「ライブ・イン・茅ヶ崎」でぴあフィルムフェスティバル入選。81年落語家を主人公にした「の・ようなもの」で劇場映画デビュー。83年松田優作主演の「家族ゲーム」で芸術選奨新人賞などを受賞。84年沢田研二主演の「ときめきに死す」が大ヒット。85年松田優作主演で夏目漱石原作「それから」を映画化し、キネマ旬報ベストワンなど各賞受賞。

他の監督作品に「キッチン」「(ハル)」「模倣犯」「阿修羅のごとく」「武士の家計簿」「黒い家」「失楽園」などがある。

12年3月公開予定の新作「僕達急行 A列車で行こう」を完成させたばかりだった。

2011年5月10日

「仁義なき戦い」岡田茂・東映名誉会長が死去

映画プロデューサーで東映名誉会長の岡田茂、肺炎のため東京都内の病院で9日死、87歳。

1924年広島県西条町(現:東広島市)生まれ。、44年東京帝国大学経済学部に入学するが、学徒出陣。戦後復学。
47年東映の前身である東横映画に入社。50年「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を初プロデュース。60年代以後は深作欣二、降旗康男ら若手監督を起用。任侠路線の「人生劇場・飛車角」を皮切りに、「網走番外地」「不良番長」「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどをヒットさせた。

経営者としては東映の経営合理化に着手。TV番組制作にも力を入れ、「銭形平次」などを手がけた。75年京都撮影所内に東映太秦映画村をオープン、テーマパークの先駆けとなった。

71年社長、93年会長に就任。06年から名誉会長。
78-95まで年日本映画製作者連盟の会長を務めた。長男は東映社長の裕介さん。

2011年4月20日

「あしたのジョー」「ベルばら」アニメ監督の出崎統さんが死去

アニメーション監督の出崎統、肺癌のため17日死去、67歳。

1943年東京都生まれ。59年東京都立北園高校に入学。在学中に貸本漫画家デビュー。62年高校卒業、東芝に就職。63年東芝を退社し、TVアニメ「鉄腕アトム」を制作する旧虫プロダクションに入社、アニメの演出などを手がける。
26歳でテレビ版「あしたのジョー」の監督核に抜擢。その後「エースをねらえ!」「宝島」「ガンバの冒険」などの監督を務め、70年代の代表的アニメをつくった。

2010年7月 6日

飯田裕久

飯田 裕久さん(いいだ・ひろひさ=作家、警察ドラマ・映画監修者)2日午後10時48分、脳出血のため東京都練馬区の病院で死去、46歳。千葉県出身。

警視庁捜査1課の刑事などを経て芸能プロダクションへ。警察ドラマ・映画の演技指導などに携わる一方、ノンフィクションや小説も執筆。代表作に「警視庁捜査一課刑事」「地取り」など。

2010年3月25日

木村威夫

映画美術監督の木村威夫、間質性肺炎のため東京都世田谷区の病院で21日死去、91歳。

1916年東京都出身。伊藤熹朔に師事。41年日活に入社。「海の呼ぶ声」で美術監督としてデビュー。戦後は日活、独立プロなどで、映画美術を担当。63年「悪太郎」をきっかけに鈴木清順監督作品の美術を担当。「ツィゴイネルワイゼン」「けんかえれじい」「東京流れ者」など鈴木作品で魅力的な映像を作り出した。72年にフリーとなり、以降は林海象など若手監督の作品にも積極的に参加。代表作に熊井啓監督「忍ぶ川」、林海象監督「夢みるように眠りたい」のほか「雁」「或る女」「少年時代」など。

91年「式部物語」でモントリオール世界映画祭で最優秀美術貢献賞を受賞。04年自身初の監督作品となる短編映画「夢幻彷徨」を公開。08年長編映画「夢のまにまに」を公開。長編映画監督デビューとしては世界最高齢の90歳だった。

2010年2月18日

井上梅次監督

映画監督の井上梅次、脳出血のため11日死去、86歳。

1923年京都市下京区生まれ。47年慶應義塾大学経済学部卒業後、新東宝に入社。52年「恋の応援団長」で監督デビュー。55年日活に移籍。石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」が大ヒット。60年フリーになり、新東宝、日活以外の邦画4社で活躍。ショウ・ブラザーズに呼ばれ、香港でも映画を撮る。このほか天知茂主演の「明智小五郎シリーズ」などテレビドラマの監督も多数務めた。83年近藤真彦主演で「嵐を呼ぶ男」のリメイクも手がけた。

12