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2015年8月 7日

元大関貴ノ浪の音羽山貞博さんが死去

元大関貴ノ浪の音羽山貞博親方(本名:浪岡貞博)、急性心不全のため大阪市内のホテルで20日死去、43歳。

1971年青森県三沢市生まれ。三沢第二中学時代に年寄藤島(のち二子山、元大関貴ノ花)に勧誘され入門。87年3月場所本名の浪岡で初土俵。94年初場所後に大関昇進。2度優勝した。大関37場所在位。

04年夏場所限りで現役引退。通算成績777勝559敗13休。

その後は、貴乃花部屋付きの親方として後進の指導にあたった。06年心臓の症状が悪化し、心房細動や敗血症などを併発し緊急入院したが回復。15年春場所から土俵下で審判員を務めていた。

2015年1月25日

柔道家での斉藤仁さんが死去

柔道家で元日本男子代表監督の斉藤仁、肝内胆管癌のため大阪府東大阪市内の病院で20日死去、54歳。

1961年青森市生まれ。83年国士舘大学体育学部を卒業。同年モスクワ世界選手権無差別で優勝。84年ロサンゼルス五輪95kg超級で金メダル獲得。その後怪我に苦しむが、 88年全日本選手権で初優勝。

88年ソウル五輪95kg超級で2度目の金メダルを獲得した。

89年選手引退後、国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活動。12年副強化委員長から強化委員長に昇格。この間、04年アテネ五輪および08年北京五輪で日本選手団男子柔道監督を務めた。

国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。段位7段。

元プロ野球選手の大豊泰昭さんが死去

元プロ野球選手の大豊泰昭(本名:陳大豊)、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で18日死去、51歳。

1963年台湾南投県埔里鎮の出身。華興高を卒業。20歳で来日、84年名古屋商科大学に入学。

88年NPBドラフト2位で中日ドラゴンズと選手契約。94年年間38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠獲得。98年阪神タイガースに移籍。00年通算250本塁打、1000本安打を達成。01年中日ドラゴンズに復帰。02年オフに現役引退。

プロ野球生活14年で通算1089安打、277本塁打、打率.266。

2014年8月31日

大相撲元小結でタレントの龍虎さんが死去

大相撲元小結でタレントの龍虎(本名:鈴木一清)、循環器疾患のため静岡県掛川市内の病院で29日死去、73歳。同県内を家族と旅行中に、野外で不調を訴え、救急搬送された。

1941年東京都大田区出身。57年初場所に鈴木山のしこ名で初土俵。改名を重ね、66年夏場所から龍虎とする。68年春場所に新入幕。70年春場所で小結。怪我で一度転落するが、75年初場所で小結復帰。同年夏場所に右アキレスけん断裂で現役引退。

引退後は年寄放駒を襲名するも、77年日本相撲協会を退職。タレントに転向し、ラジオやテレビのほか、映画「嗚呼!!花の応援団」シリーズなどに出演した。

2013年12月10日

俳優のすまけいさんが死去

俳優のすまけい(本名:須磨啓)、肝臓癌のため7日、78歳。

1935年北海道国後島生まれ。終戦の2日前に根室市に引き揚げた。富山大学中退。上京し、文化学院に入学するが中退。61-63年芸術劇場に所属。66年「すまけいとその仲間」を結成。ベケットの「ゴドーを待ちながら」など翻訳劇で伝説的な舞台をつくり「アングラの帝王」と呼ばれた。72年に解散。85年こまつ座の「日本人のへそ」で舞台復帰。

このほか映画「男はつらいよ」シリーズやNHKドラマ「國語元年」などに出演、名脇役として知られた。

2013年10月30日

元巨人監督の川上哲治さんが死去

元巨人監督の川上哲治、老衰のため東京都稲城市の病院で28日死去、93歳。

1920年熊本県球磨郡大村(現:人吉市)出身。熊本県立工業高校を卒業。38年東京巨人軍に投手として入団。その後、打者に転向し、39年打率3割3分8厘で、史上最年少の19歳で首位打者を獲得。以後1941年にも首位打者獲得。56年プロ野球史上初の2000本安打を達成。赤バットがトレードマークで「打撃の神様」と呼ばれた。57年現役引退。

61年巨人監督に就任。65-73年長嶋茂雄や王貞治らを率いて9年連続リーグ優勝、日本一の黄金期を築いた。

監督退任後は球団専務に就任。

2013年10月 8日

元バレーボール日本代表チーム主将の河西昌枝さんが死去

元バレーボール日本代表チーム主将で東京五輪金メダリストの河西昌枝(現:中村昌枝)、3日死去、80歳。

1933年山梨県巨摩郡南湖村(現:南アルプス市)出身。県立巨摩高校を卒業、日紡(当時)に入社。62年モスクワ世界選手権で優勝。64年の東京五輪で主将兼セッターとして金メダルを獲得。大松博文監督のもと「東洋の魔女」といわれたチームをまとめた。65年現役引退。結婚後もママさんバレーの指導や講演などで競技に携わる。

04年アテネ五輪女子日本代表団長などを歴任。

08年世界バレーボール殿堂入り。11年黒鷲旗全日本男女選抜大会で特別功労者表彰。

2013年8月30日

元日本ハム監督の土橋正幸さんが死去

元プロ野球東映(現:日本ハム)投手で元ヤクルトおよび元日本ハム監督の土橋正幸、筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)のため東京都内の病院で24日死去、77歳。

1935年東京都生まれ。都立日本橋高校を卒業。家業の魚屋で働くかたわら、浅草のストリップ劇場「フランス座」(現:浅草東洋館)保有の軟式野球チームでプレー。

55年入団テストをへて東映入り。58年日本記録の9連続奪三振、61年30勝をあげ、62年日本シリーズでMVP獲得。57-64年まで7年連続2桁勝利。67年現役引退。通算成績は162勝135敗、防御率2.66。

73年シーズン途中より日拓ホーム監督。84年シーズン途中からヤクルト監督代行、85・86年同監督。92年日本ハム監督。

2013年8月11日

ボクシングトレーナーの梅津正彦さんが死去

ボクシングトレーナーの梅津正彦、悪性黒色腫のため東京都中央区の病院で23日死去、44歳。

1968年山形県酒田市出身。県立酒田東高校を卒業。大学を中退。高校でボクシングを始め、ソウル五輪を目指すが怪我のため引退。松竹シナリオ研究所に入所。松竹大船撮影所等で映画・TVドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリーなどの助監督を務めた。その後ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。

内山高志らのチーフトレーナーを務めたほか、08年からお笑いタレントでアマチュアボクサーの山崎静代(南海キャンディーズ)の専属コーチとなる。

映画「キッズ・リターン」「ROUND 1」「アウトレイジ」のほかTV・CM、舞台等でボクシングやアクションを指導。

2013年1月20日

元横綱・大鵬の納谷幸喜さんが死去

大鵬

元横綱・大鵬の納谷幸喜、心室頻拍のため東京都内の病院で19日死、72歳。

1940年樺太生まれ。父はロシア革命後で樺太へ亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校。北海道各地を転々と育つ。北海道弟子屈高等学校の定時制に通いながら、林野庁関連の仕事をする。

56年高校を中退し、二所ノ関部屋に入門。同年秋場所で初土俵。60年初場所で新入幕。61年秋場所後、当時史上最年少の21歳3カ月(現在は北の湖の21歳2カ月が最年少)で横綱に昇進。

61年11月場所、62年1月場所と連続優勝し、同年7月場所から63年5月場所まで最初の6連覇を達成。横綱柏戸と「柏鵬時代」を築き、68年秋場所からは45連勝を記録した。 現役時は身長187cm、体重153kg。

71年夏場所で引退。横綱622勝は北の湖、千代の富士に次いで歴代3位で、幕内746勝は歴代4位。幕内最高優勝32回。その功績から現役時の名前で親方になれる一代年寄となる。大鵬部屋(現:大嶽部屋)を創設し元関脇巨砲らを育てた。80-96年まで日本相撲協会理事。09年相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。

05年日本相撲協会を定年退職、相撲博物館館長に就任し08年まで務めた。

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