推理作家の吉村達也氏死去
作家の吉村達也、進行性胃癌のため14日死去、60歳。
1952年東京都出身。一橋大学商学部を卒業。フジサンケイグループ入社。ニッポン放送制作部をへて、扶桑社出向。扶桑社時代に書いた「Kの悲劇」でデビュー。90年独立して執筆に専念。
朝比奈耕作シリーズをはじめ、数々の推理小説、ホラー小説で人気を集めた。
作家の吉村達也、進行性胃癌のため14日死去、60歳。
1952年東京都出身。一橋大学商学部を卒業。フジサンケイグループ入社。ニッポン放送制作部をへて、扶桑社出向。扶桑社時代に書いた「Kの悲劇」でデビュー。90年独立して執筆に専念。
朝比奈耕作シリーズをはじめ、数々の推理小説、ホラー小説で人気を集めた。
作家の岡松和夫、肺炎のため神奈川県鎌倉市内の病院で1月21日死去、80歳。
1931年福岡市生まれ。東京大学文学部仏文学科を卒業後、56年同大学文学部国文科を卒業。
横浜学園高校に勤務。66年関東学院短期大学国文科専任講師に就任、助教授をへて、73年教授に就任。
この間59年「壁」で文学界新人賞を受賞。立原正秋らの同人誌「犀」に参加。福岡で迎えた敗戦体験や東京大学での左翼体験とその離脱などをテーマに、端正な作品を発表した。
76年「志賀島」で芥川賞、86年「異郷の歌」で新田次郎文学賞、98年「峠の棲家」で木山捷平文学賞をそれぞれ受賞した。
作家で真樹道場首席師範の真樹日佐夫(本名:高森真土)、急性肺炎のため神奈川県内の病院で2日死去、71歳。
1940年東京都出身。漫画原作者の故梶原一騎の実弟。兄の紹介で極真会館に入門。極真会館東京渋谷支部長や通信教育部門「マス大山カラテスクール」で指導し、77年総本部第三代師範代となる。80年真樹道場設立。
本名で書いた「凶器」で68年オール讀物新人賞、00年「兄貴」でJLNA文学賞特別賞を受賞。梶原との共同作品の際は、正木亜都のペンネームを用いた。
「ワル」など漫画原作や映画プロデュースも手がけた。ほかに世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。真樹プロダクション代表取締役など。
作家で俳優の内藤陳、食道癌のため東京都品川区の病院で28日死去、75歳。
1936年東京都生まれ。父はプロレタリア文学作家内藤辰雄。
日本大学芸術学部中退。コントグループ「トリオ・ザ・パンチ」を結成しなどに出演。「おら、ハードボイルドだど!」などのギャグでV番組で人気を得る。
81年から月刊誌で冒険小説やハードボイルド小説を紹介するコラム「読まずに死ねるか!」を執筆。同年日本冒険小説協会を設立、会長を務める。
俳優として映画「麻雀放浪記」「月はどっちに出ている」などに出演。
東京・新宿のゴールデン街でバー「深夜プラスワン」を経営。
脚本家の市川森一、肺癌のため東京都内で10日死去、70歳。
1941年長崎県諫早市生まれ。て日本大学芸術学部を卒業。66年「快獣ブースカ」』第4話「ブースカ月へ行く」で脚本家デビュー。「ウルトラマンA」などの脚本を手がけた後、大人番組に軸足を移す。
79年舞台「黄金の日日」の戯曲で大谷竹次郎賞受賞。81年「港町純情シネマ」などで芸術選奨新人賞受賞。83年「淋しいのはお前だけじゃない」で第1回向田邦子賞受賞。89年「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。同年「明日 - 1945年8月8日・長崎」「もどり橋」「伝言」でり芸術選奨文部大臣賞受賞。99年「幽婚」でモンテカルロ・テレビ祭最優秀脚本賞を受賞。
鎮西学院理事・評議員、長崎歴史文化博物館名誉館長、日本放送作家協会理事長なども務めた。
作家の北杜夫(本名:斎藤宗吉)、24日死去、84歳。
1927年東京生まれ。父は歌人の斎藤茂吉。旧制松本高校をへて、東北大学医学部を卒業。慶応病院に勤め、慶応大学で博士号取得。
54年長編「幽霊」を自費出版。60年水産庁の調査船に船医として半年間乗船し、その体験を描いた「どくとるマンボウ航海記」を発表。
同年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。
64年斎藤家三代の歴史を描いた「楡家の人びと」で毎日出版文化賞を受賞。86年「輝ける碧き空の下で」日本文学対象を受賞。98年「青年茂吉」で大仏次郎賞を受賞した。芸術院会員。
純文学系の作品のほか、「昆虫記」「青春記」などマンボウシリーズ、「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」などの児童文学も創作した。
ノンフィクション作家で歌人の辺見じゅん(本名:清水真弓)、東京都武蔵野市の自宅で21日死去、72歳。
1939年富山県水橋町(現:富山市)生まれ。角川書店創業者の角川源義の長女。早稲田大学第二文学部史学専修を卒業。64年「花冷え」を清水真弓名義で刊行。以降は辺見じゅんの筆名で発表される。84年「男たちの大和」で新田次郎文学賞、映画化もされた。89年シベリア抑留者に取材した「収容所から来た遺書」で講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。98年「夢、未だ盡きず」でミズノスポーツライター賞を受賞。
歌人としても活動し、88年歌集「闇の祝祭」で現代短歌女流賞を受賞。08年短歌文芸誌「弦」を創刊した。
02年出版社「幻戯書房」を設立し、文芸書などの刊行にも努めた。
角川春樹事務所会長兼社長の角川春樹、角川グループホールディングス会長の角川歴彦はともに弟。
作家の団鬼六(本名:黒岩幸彦)、胸部食道癌のため6日死去、79歳。
1931年滋賀県彦根市生まれ。中学から大阪で暮らす。関西学院大学を卒業後、上京。バー経営や中学校代用教員など職を転々とする。56年「親子丼」でオール読物新人杯に入選。当初は純文学を書いたが、変名で雑誌「奇譚クラブ」に投稿した官能小説「花と蛇」が評判となり、その後官能小説の第一人者となる。
89年休筆宣言。将棋好きが高じて、将棋雑誌のオーナーを引き受け、多額の負債を負う。95年小説「真剣師・小池重明」で執筆活動を再開。
主な著書に「花と蛇」「夕顔夫人」「真剣師小池重明」など。
童話作家で詩人の岸田衿子、髄膜腫のため神奈川県小田原市内の病院で7日死去、82歳。
1929年東京都生まれ。東京芸術大油絵科を卒業。結核療養中に創作活動を始める。詩人の川崎洋や茨木のり子が創刊した詩誌「櫂」に参加。55年詩集「忘れた秋」が評価される。57年中谷千代子の絵で絵本「かばくん」を出版。群馬県浅間山麓に暮らし、詩集「あかるい日の歌」「ソナチネの木」などを発表した。
童話や絵本も数多く「ジオジオのかんむり」など出版。アニメ「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などの主題歌も作詞した。
劇作家の岸田国士は父。女優の岸田今日子は妹。詩人の谷川俊太郎、田村隆一は元夫。
作家で評論家のいいだもも(本名:飯田桃)、老衰のため3月31日死去、85歳。
1926年東京都生まれ。47年東京大学法学部を首席卒業、日本銀行に入行。まもなく結核のため退職。
茨城県で療養中に新日本文学会などに参加。61年処女作「斥候よ夜はなお長きや」を発表。農民運動などを展開。65年共産党を除名されたのち、新左翼運動の代表的知識人として知られた。ベ平連運動にもかかわった。67年共産主義労働者党書記長に就任し議長となるが、69年辞任。79年雑誌「季刊クライシス」を創刊、編集代表を務める。
92年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法に反対し、発起人として「自衛官110番」を開設。文明や資本主義、世界的不況などに関する著作活動をした。