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2010年7月10日

梅棹忠夫

民族学者で国立民族学博物館初代館長の梅棹忠夫、老衰のため大阪府内の自宅で3日死去、90歳。

1920年京都市出身。京都大学理学部で動物学を専攻。今西錦司に師事。モンゴルや東アフリカなどでの調査を通じて独自の文明論を展開。57年「文明の生態史観序説」が大きな反響を呼び論争を巻き起こした。し、日本における文化人類学のパイオニアとなる。
69年情報の処理法を説いた「知的生産の技術」がベストセラーになる。「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。また、日本語のローマ字論者(ローマ字化推進論者)で、社団法人日本ローマ字会会長でもある。

70年大阪万博の「基本理念」を起草し、理論面から支えた。国立民族学博物館(大阪府吹田市)の設立に尽力し、74年創設と同時に館長就任。86年視力のほとんどを失うが、その後も精力的に著述・講演活動を行った。

国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。

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