メイン

2013年12月29日

元ニッポン放送アナウンサーの小口絵理子さんが死去

元ニッポン放送のアナウンサー・小口絵理子さんが16日にがんのため死去していた。39歳だった。同日放送されたニッポン放送『高嶋ひでたけのあさラジ!』内で明かされた。

小口さんは、かねてよりがんで闘病を続けており、16日に永眠。葬儀はすでに執り行われたという。また関係者によると、お別れ会については現在のところ行われない予定としている。

小口さんは1974年生まれ長野県出身。日本大学芸術学部卒業後、1998年にラジオ局のニッポン放送入社。中国留学などを経て、帰国後の2005年からフリーとして活躍。2011年より「ニコ生×BLOGOS」「森永卓郎のBLOGOS経済塾」などで司会を務めていた

2010年8月24日

梨元勝

芸能リポーターの梨元勝、肺癌のため東京都内の病院で8月21日死去、65歳。

東京都出身。法政大卒業後、雑誌記者を経て1976年にテレビ番組のリポーターとなり、草分け的存在として活躍。1980年代から1990年代にかけて、芸能リポートを柱にした「ワイドショーの時代」を築いた立役者の一人。「恐縮です」という決めぜりふで取材相手に突撃取材するスタイルで、お茶の間の人気者になった。勝新太郎の大麻事件の折、ハワイで独占インタビューするなど話題は数多い。

テレビ局による芸能取材の自主規制などを批判して出演番組は減ったが、ブログや携帯電話サイトなどで情報発信を継続していた。

2009年10月12日

江畑謙介

軍事問題評論家の江畑謙介、呼吸不全のため千葉県木更津市内の病院で10日死去、60歳。

1949年千葉県銚子市生まれ。上智大理工学部卒。83-01年英国の防衛専門誌日本特派員を務めた。兵器システムなど軍事戦略や日本の安全保障問題に詳しく、91年湾岸戦争や01年からの米アフガニスタン攻撃、03年からのイラク戦争などをテレビで解説。05年拓殖大海外事情研究所客員教授に就任。「世界の紛争 日本の防衛」「安全保障とは何か」など軍事や安全保障関連の著書、訳書多数。

2009年8月26日

細川隆一郎

政治評論家で元毎日新聞記者の細川隆一郎、老衰のため25日死去、90歳。

1919年熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。42年毎日新聞社に入社。67年に連載「日本政治への提言」で新聞協会賞を受賞。80年大平正芳首相死去のスクープで文化放送社長賞を受賞。政治部長、中部本社編集局長などを歴任し、83年退社

その後、政治評論家として多くのテレビ番組に出演した。86年著書「岸信介伝」「政争・ニューリーダー論」で第6回日本文芸大賞特別賞を受賞した。

2009年5月21日

頼近美津子

元アナウンサーの頼近美津子(本名:鹿内キャサリーン美津子、心不全のため千葉県柏市の病院で17日死去、53歳。

1955年広島市県生まれ。父親は広島市の日米合同研究施設「原爆傷害調査委員会(通称:ABCC)」(現:放射線影響研究所)に勤務した日系アメリカ人2世。

東京外国語大学卒業。78年NHK入局。ニュース番組のキャスターなどを務めた。81年フジテレビに移籍し「小川宏ショー」などに出演。
84年フジテレビ副社長(当時)の鹿内春雄と結婚、引退。88年夫と死別。90年2人の息子と渡米し、米ワシントンD.C.に居住。

93年NHKの音楽番組司会者として復帰。クラシックコンサートの司会も務めた。96年NHK大河ドラマ「秀吉」に出演。

2008年11月 8日

筑紫哲也

ニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也、肺癌のため7日死去。73歳。2007年5月TBS報道番組「筑紫哲也 NEWS23」で肺癌を告し、闘病生活を送っていた。

1935年大分県日田市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。
59年朝日新聞社に入社。68年米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。米国ワシントン特派員時代に当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。その後外報部次長、編集委員などを歴任。

77-82年テレビ朝日系報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者、84-874年まで雑誌「朝日ジャーナル」編集長を務めた。編集長時代に「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」など連載企画を打ちだし、「新人類」という言葉を生んだ。

89年朝日新聞社を退職。TBS系報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢され、07年まで務めた。

このほか早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、立命館大学客員教授を務めた。

2008年10月 4日

元NHKディレクター吉田直哉

元NHKディレクターの吉田直哉、肺炎のため東京都武蔵野市の病院で30日死、77歳。

1931年東京都生まれ。53年東京大学文学部西洋哲学科卒業後、NHK入局。57年ドキュメンタリーの草分け番組「日本の素顔」シリーズの演出を始める。65年ドラマ制作に転向、大河ドラマ「太閤記」を演出。66年大河ドラマ「源義経」を演出。68年「海外取材 明治百年」により芸術選奨文部大臣賞を受賞。70年大河ドラマ「樅ノ木は残った」を演出など。毎日芸術賞、ギャラクシー賞大賞など放送番組が対象の賞を多数受賞した。

87年小説「ジョナリアの噂」にて第98回芥川賞候補となる。
90年NHKを退職、武蔵野美術大学の映像学科創設にともない教授職に就く。

1